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 2008年6月19日(木)  花堂純次監督への感謝〜まちづくり十訓
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みなさん、映画監督の花堂純次さんをご存知ですか。私は、小布施で毎年秋に開かれる北信濃小布施映画祭の一スタッフとして、この映画祭をご支援くださっている花堂監督と知り合うことができました。
監督については、ネット検索でたくさんの情報が得られます
花堂監督から先ごろ、映画祭の「60秒シネマコンペ」についてのお便りが配信されました。詳しい内容は伏せますが、それを読んだ私は、以前からずっと考えてきた課題について、一気に考えをまとめることができました。それをこの場で、書かせていただきます。

目が覚めました。私にとりましては、今後の活動(公私とも)の明確で力強い道しるべを、お示しいただけたものと思い、感謝しております。
出版人として、境内アートや掃除に学ぶ会、図書館といった事業にかかわる小布施人として、日々、とくに近ごろ、考え続けてきた、自分自身への疑問に対して、花堂監督のメッセージは強烈でした。
一個人としての自戒の十訓を、整理しました。未定稿で今後の改良はいたしますが、思いはすべて込めてございます。

【小布施人としての動き十訓】(私家版)
一 主催者が一番楽しむこと。
  自分と仲間が楽しみ続けること。されど、「楽さ」からは「楽しさ」は生まれることなし。
二 私利私欲におぼれず、仲良くやること。
  相手を認め合って仲良く生きる。つまらないねたみ心を捨てる。他者批判の暇があったら、自己を磨くべし。
三 始めた以上は続けること。
  ものごとの価値は永続させることにある。ブームやお祭り騒ぎで終わらせていたら、自分の生涯も、うたかたの夢の泡で終わってしまう。
四 原点に返ること。
  毎回、中止か続けるかを再考する。なんのための動き(イベント)か、だれが幸せになるための動きなのか。初心、原点にいつも返って意義を問い直す。だらだら続けるくらいなら、やめる。永続を志向しつつも、毎回、やるのかやらないのか、を決める。
五 主導者にゆだね、主導者と汗をかくこと。
  主導者とは、自身のリスク(時間、お金、汗、いのち)を使って、その動き(イベント)を推し進める人物。それはだれなのか。その人に、リードはゆだねる。共鳴した人は、共鳴と自分の分度の範囲で、いっしょに笑顔で汗を流す。言いだしっぺと主導者は違う。主導していない言いだしっぺは、足を引っぱるべからず。
六 発信先・お客様を思うこと。
  地元発・地元行きの発信なのか、全国行きか、世界行きなのか。主催者の意向や好き嫌いにかかわらず、発信先にはお客様がいる。共鳴する関係者もいる。「そなつもりじゃなかった」は通用しない。思えないならば、中止しましょう。
七 迷惑をかけず、期待にこたえ、期待を越えること。
  発信先が広いほど、お客様の層は増え、期待や求められる質の高さも厳しくなる。発信先に思いをはせない動きならば、即中止。小布施人ならば、期待を越えていきたい。身と心を、世界の高みに投ずべし。
八 分度をわきまえること。
  自分の度量、力量、分限、分度をわきまえる。自分のできないことをやっている人物を、認める。ねたむなそねむな、恥を知れ。
九 郷土とご先祖様および、世界と100年後に思いをはせること。
  葛飾北斎を迎えた小布施人、戦前にカナダ人医療団を迎えた新生療養所の歩み、小布施に花開いた疎開文化、町並み修景事業・・・ご先祖様、先人の恩恵を食べているだけの段階からの、明確な飛躍を。世界の中の小布施、100年後の子孫や世界を見据えた動きを。
十 議論と予算の透明性を保つこと。
  論を待たず。陰での批判がお好きな人は、草葉の陰にお引取りいただきたし。

以上、この場をお借りしまして、決意を公表いたします。

小布施のまちづくり。本当の意味の「第二幕」は、花堂監督からのメールで、幕を開けたと私は思っております。これで変わらなければ、幕は永遠に閉じたまま、なのでしょう。
あと、「感謝とは言葉ではなく、行動です。その人に喜んでいただける行動をしてこそ、感謝、です」とのお教えに学んでいる者です。花堂監督への「感謝」ができますよう、あわてず、あせらず、でも危機感いっぱいに、でも笑って、すごしてまいります。

上記の十訓は、私家版であり、私自身への戒めです。自戒の十訓です。
「美とは、それぞれの分度に応じた役割を果たしきっている姿」だと思います。十訓は、「分度に応じた役割を果たしているかどうか」のものさしです。
【写真】私の家の入り口、庭の一角に300年以上生きてきた、株立ちの和つつじ。人の美しさに通じる分度の有様を感じます。

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