Monochrome-Monologue

2003年12月
 2003年12月1日(月) その1  会ってきました合掌造りを守る人たちに
kako/2003_12/10311122329.jpg
kako/2003_12/10311121560-2.jpg
師走ですね。
一昨日から一泊二日の富山県上平村への取材旅行から昨夜9時に帰宅し、少々疲れ気味の体調で朝を迎えました。カメラマンの関さんの愛車チェロキーで往復1,000キロあまり。あたしはその2割ほどしか運転をしなかったのですが、それでもけっこう気疲れするものですね。そんなわけで、今朝は6時半ころに起きたのですが、みんなを送り出してから1時間くらい、一人で緑茶をすすりながらボケーとしておりました。
きょうのお仕事はおもに、かんてんぱぱ伊那食品工業の塚越寛社長の本の執筆と、昨日までの森の”聞き書き甲子園”の取材の整理をしておりました。
昨夜帰宅すると、いくつかの郵便物のなかに、東京のプロデューサー久田浩司さんからの封書。中には、「人の森プロジェクト」と称する官民の団体や企業、人をつなぎ合わせる一大事業の企画書が入っていました。森の”聞き書き甲子園”の推進を一つの軸にしながら、「日本の価値」を見つめなおし、編みなおして、暮らしやものづくりに生かしていこうという動きが、始まりました。鍵ことばの一つに、われらが「美日常」も採用していただき、光栄ですし、身の引き締まるおもいです。実際の動きは来年早々から。新年もおもしろーい年になりそうです♪

11月29日と30日の「森の聞き書き甲子園」の取材は、合掌造りの茅葺き名人・小林亀清さんを訪ねました。同行してくれたのは、昨年亀清さんを聞き書きした上杉龍也さん(岐阜県岐阜農林高等学校森林科学科3年)。
29日(土)5時に小布施町を出発。関さんの車で上信越道「須坂長野東IC」・中央道「小牧JTC」・名神高速道「一宮JCT」・東海北陸自動車道「岐阜各務原IC」(高速道285キロ)・国道21号・国道156号を経て岐阜県北方町へ(一般道約30キロ)。10時に岐阜農林高等学校着。正門前にて上杉さんと待ち合わせました。
それから、東海北陸自動車道「岐阜各務原IC」・「荘川IC」(高速道85キロ)・国道156号を一路富山県の上平村へ(一般道約50キロ)。
12時半、同村の道の駅「ささら館」に到着して亀清さんと対面しました。小柄で細身でやさしい笑顔を絶やさない亀清さんは昭和4年生まれの74歳。名物の岩魚のお寿司をいただいたあと、さっそく近くの村営スキー場へ。まだ雪がない斜面では、亀清さんがリーダーを務める五箇山森林組合の6名が、苅安(カリヤス)とか小ガヤと呼ぶカヤの株を植え込んでいました。「五箇山の合掌造りを葺くにはカリヤスが最適です。年間に組合の管轄する80棟の合掌造りの修繕に必要な10,000束を地域内で自給する体制を整えています」と語る亀清さんのもう一つの関心事は「若手の育成」です。
この森林組合にはいま、20歳を最年少に若者の姿が目立ち始めています。山の暮らし、森の仕事をみずから選んで就職し、この地に定着しようという意欲のある若者が増えているのだそうです。
そのうちの一人、沼口和美さん(33)は、神奈川県川崎市出身。鳥取大学で林学を学び、大学院で研究をしていましたが「研究に行き詰まり」、「現場で働きたい」と探していたところ、この組合の求人に出会ったのだそうです。「亀清さんは、カヤの植え込みから収穫、合奏造りの茅葺きや修繕、そして森の手入れなど育林まで、あらゆる山仕事を体験させてくれる。やりがいがあります」と沼口さん。
数年前、地元・平村で保母さんをしている人を奥さんにもらって婿養子となり、「この地にずっと暮らしていきたい」と話してくれました。亀清さんは今春、沼口さんを11人を束ねる班長に任命。大きな期待を寄せています。
亀清さんのモットーは、「職場は明るく楽しく仲がよくて穏やかであること」。いつもこのことに心がけているのだそうです。「山の神様もきっと、仲がいいことがお好きだとおもいますから」。亀清さんの福福しい耳たぶが、笑うたびにおおらかに揺れていました。

夜は川(荘川)一つ隔てた岐阜県白川村の旅館・飯美館(いいみかん)に宿泊。お風呂に入って、地酒をいただいていると、亀清さんがわざわざおいでくださり、ふたたび乾杯!とことんお話をうかがうことができました。

【きょうの写真】上)上平村の世界遺産・菅沼合掌造り集落にて、高校3年生の上杉龍也君と。

下)亀清さん(中)をお迎えして盛りあがる上杉君(左)とカメラマンの関さん(あたしも酔ってましたがブレていない、珍しいカットです♪)
 2003年12月1日(月) その2  カヤのつもりになって埋(い)ける
kako/2003_12/103111222750.jpg
kako/2003_12/103111222750-2.jpg
亀清さんのお話から、いくつか、記します。

合掌造りの茅葺きのカヤを自給するため、株を山の斜面に埋(い)ける作業をしている若い衆に。「カヤのつもりになって埋けましょう。ひっくり返って植えたられたら、春になって芽を出しにくい。やさしく土をかけてやりましょうね、丁寧に」。

「山の仕事と合掌造りが天職だとおもいます。そうおもって、なにごとをするにも精一杯、一生懸命にやればいい。好きなことをやれるのは最高のこと。天に与えられた仕事に没頭することは、幸せなことだ」。

「命もらって生きている。そのことに感謝する気持ちをもちたい。人は動物や植物の命をもらって生きている、いちばん罪深い生き物。だから神さんは人間に”感謝する力”を授けてくださった、とおもう」。

「遠くからみなさんのようにこの山奥まで訪ねてきてくださる方々には、できるだけのことをさせていただいています。忙しいときでも、取材のお役に立てるように時間をとっております。わざわざ足を運んでくださるみなさんに、きちんとお応えしたい。私たちのことを理解して、それを多くの人たちに伝えてくださる。いずれは私たちの仕事や地域に、つながっていく。目先のことばかりを考えていては、そうした対応はできないですね」。

「さーて、がんばるまいか(がんばりましょうか)。そういいながら、若い人たちと働いています。沼口君(その1参照)は土地の娘さんと結婚して家庭をもってくれた。うれしいねー。若いやる気のある人たちを育てていきたい」。

「(高校生の)上杉君、よく来たねー。いい原稿を書いてくれて有り難うね。(建築板金施工業の)お父さんの跡を継ぐんだってね。いいなー。がんばってね!」。
上杉君は、来年春から東海工業専門学校(熱田市)に通います。2年制+1年の3年間通い、「二級建築士の資格を取ってから建築事務所で働いて一級建築士になり、そのうえで、父親の建築板金を本格的に継いでいきたい。板金の腕プラス国家資格。この二本柱で、一流を目指したい」と力強く語ってくれました。
また森の”聞き書き甲子園”に参加したことで、職業観にも大きな変化をいただいたそうです。「亀清さんは森と建築をつなげる仕事。自分も父の仕事を継いで建築に携わり、高校で習ったり林業科学や祖父の山で体験した森の暮らしをつづけることによって、亀清さんのように”森と暮らしのつなげ役”になりたい。この生き方、いいじゃん、とおもえたことが、自分の将来像を明確にしてくれました」。

「日本、いけるね!」とおもった二日間でした。亀清さんとお仲間のみなさん、上杉君のご家族に幸あれ。有り難うございました。

【きょうの写真】上)30日朝、上平村のご自宅で語りあう亀清さんとカメラマンの関さん。今年息子さんといっしょに造った池のあるお庭には、谷の水を引いた池に鯉が泳いでいました。きれいに整頓されたたたずまい。亀清さんの仕事場(現場や倉庫)はどこもきちんと整理整頓されていました。凡事徹底、非凡に至る。

下)30日昼前、演劇で有名な利賀村と平村を結ぶ「山の神林道」から東を望む。ブナなどの広葉樹林が山襞を覆い、遠くに谷川の水が見えます。「平和」をことさらに叫ばなくとも、穏やかで仲のよい調和感が、山にいると自分の身のなかににじみこんでくるようです。
 2003年12月2日(火)  堀田力先生の講演録編集大詰めへ
kako/2003_12/103113225054.jpg
森の”聞き書き甲子園”の取材整理と長野国際親善クラブの会報編集、そしてかんてんぱぱ塚越社長の本の執筆、くわえて文屋文庫第三巻の編集をいたしました。喜多牧夫さんの本の編集も…。おかげさまで、多様にして多用な日々でございます。他用も多くて、集中力が問われているなーと実感する毎日です。

文屋文庫の第三巻は、堀田力先生の講演録を編集した上で、車いすのママにして仕事人兼車いすダンスの畔上智子さんへのインタビューを掲載します。いずれの原稿も校正が終わり、これからゲラ刷りに向けてレイアウトに入ります。20枚ほどの写真も手元にほぼそろいました。できれば年内の発刊へ進めたいものです。

午前10時に家を出て車で長野県庁東庁舎へ。親善クラブの会報編集会議。お昼はホテル犀北館にて西牧英雄さんという元気なおじさまと会食。それから、須坂IC近くのガストへ行って、喜多さんの本の校正作業。5時にアオヤギ印刷の中山伸尚さんと合流して打ち合わせ。それから高山村役場へ納品。帰宅して夕食をとったら疲れたので寝たら深夜に。それから3時ころまで机に向かって寝ました(こんな睡眠リズムはよした方がいい!)。

【きょうの写真】昨年10月12日、小布施の北斎ホールにて講演する堀田先生。
 2003年12月3日(水)  北信濃小布施映画祭のチケットをどうぞ
kako/2003_12/103113231722.jpg
kako/2003_12/103113231722-2.jpg
みなさん、こんにちは。
今月19-21日の3日間、小布施駅近くの北斎ホールにて、第二回北信濃小布施映画祭(実行委員長:市村良三さん、副は小林一三さん)が開かれます。
「二十四の瞳」をはじめ、新旧東西、多様な映画が集まります。
くわしくは、つぎのホームページをどうぞ。
http://www.obusefilmfestival.jp/schedule.html

今朝8時、お届けものでアラ小布施の関悦子さんを訪ねたとき、チケットを預かりました。各日5枚ずつ。「だれか友だちと行かない?」と母親に聞くと、「じゃ、友達に聞いてみるね」とチケットをもって外出。夕方、にこにこしながら、「10枚売れたよー」。頼りになります!♪
わたくしも実行委員の末席をけがしております。当日、会場でお待ちしております。

チケットは、アラ小布施、駅の六斎舎にて。木下に連絡されても歓迎ですよ。

きょうは終日、編集に専念できました。午後2時から玄照寺さんにて編集の打ち合わせ。3時から自宅にてカメラマンの関さんと打ち合わせ。

【きょうの写真】上)19日に上映される「ON AIR」のポスター。原作:ON AIR、配給会社:フラミンゴ・ビューカンパニー、上映時間:113mins.、製作年:2001年日本映画、監督:牛山真一、脚本:関口準/牛山真一、音楽:安川午朗、キャスト:鶴見辰吾・杉田かおる・田中要ニ・船越英一郎・石原良純・四方堂亘
(当日、牛山真一監督と鶴見辰吾さんをはじめ、四方堂亘さん、鈴木晋介さんも来場されるそうです)

下)「夢 追いかけて」のポスター。解説「日本で初めて全盲のながらも普通中学校の教師となった河合純一。スイマーとして過去3回のパラリンピックに出場、計14個のメダルを獲得。ハンディキャップに屈することなく、ひたむきな努力によって夢を実現させ、更に新しい夢に向かって努力し続ける、真実と感動の半生の実話を描いた作品」。花堂純次監督が来場されます。
 2003年12月4日(木)  もみじの葉を売る会社
kako/2003_12/10311502722.jpg
みなさん、こんにちは。ちょっとしたお知らせです。

「ソフト化賞、社会起業家賞表彰式」というのがあす5日午後、東京で
開かれるのだそうです。
http://www.softnomics.or.jp/forum/2003softkashou/2003forum.htm

受賞会社の一つに、
もみじの葉っぱを「つまもの」としてネット販売、年2億5000万円を稼ぐ、株式会社 いろどり(徳島県勝浦郡上勝町)があります。
http://www.irodori.co.jp/

きょう、ふと家の近くのりんご畑に目をやると、りんごの葉が黄色く色づいて、冬の陽光に透けてやわらかく輝いていました。秋の紅葉を愛でることはありますが、りんごの産地に生まれ育って、いちばん身近にあるりんごの黄葉(おうよう)の美しさ、けなげさに五感が反応したのは、44歳、これが初めてのことです。
とおもいながら、夕方届いたメールをながめていると、上の情報が飛びこんできた次第です。

「いろどり」という社名もいいですね。栗の葉も、松の葉も、白梅も、村にあるものはなんでも、商品に仕立て上げているのだそうです。なんだか、この会社の本ができそうが気がしてきました♪

本といえば、五色温泉の五色の湯旅館を開業された水野茂さん(84)の自伝を執筆するお話をいただきました。息子で社長の薫さんからです。15年ほど前、須坂新聞の記者として初めてお会いしたとき、「うちの宿は浮世の肩書きをひけらかして来るような人はお断りなんです。まっさらな人間として、湯船に漬かってほしいんです。ゆーっくりとしてほしいんです」と語っていらしたことを、いまだに覚えています。
取材のスタートは、森の”聞き書き甲子園”の執筆と編集が終わり次第、ということにて、ご予約をいただきました。有り難いことです。来年初夏には、仕上げたいものです。また楽しみが一つ、増えました♪

【きょうの写真】京の上京区七本松通り一条上ルにて「ブティックじゅん」を営む親友の海野順一さん・郁子さんから今日贈られてきた、和歌山のみかんです。みかんにレンズを向けるのも、この写真帖を書いているからこそ。「ふだん」に気持ちを寄せられることに、感謝です。

【透玄きょうの一句】年いちど紀州蜜柑の贈り物
 2003年12月5日(金)  半日休息
kako/2003_12/103116222753.jpg
kako/2003_12/103116222753-2.jpg
きょうは、母の誕生日です。母は昭和9年生まれですので、きょうで69歳になります。長年、間質性肺炎という持病をもっていますが、この2年ほどの間にずいぶんと良くなって、畑仕事(栗・りんご・野菜・水田…)に、マレットゴルフ(上手!)、社交ダンス(汗びっしょりに)に温泉や旅行にと、かなり元気な69歳です。父と結婚する前の数年間、東京は恵比寿あたりにあった洋服のデザイナーのところで働いていたそうで、そのためか、なかなかいいファッションセンスをしています。20年も前に買っておいた服と数年前にお姉さんからもらった服を組み合わせて、見られるコーディネートにしてしまうところなんぞ、いつも見習いたいとおもっています。 母よ、いつまでも明るくお元気に!

きょうは、午後は完全休息日と決めていました。
昼過ぎに、となり町のJR豊野駅に、13・14日の上京用の新幹線チケットを求めに行きました。週末フリー切符というもので、往復料金が通常の6割で買えます。たいへんな人気で、昨夜電話をしたところ、8日まえなのに普通指定は売切れ!あきらめようとしたら、「グリーンはいかがですか?」「グリーンの予算はないですよ」「いえ、グリーン往復は12,000円ですから、通常の普通往復の16,000円よりもずっとお安いんですよ」「へぇ〜、じゃ、考えてみます」「そうですかー、グリーン席もあと一枚しかないんですよ」「…それじゃー決めます。グリーンを中年一枚ね」ということで、決めました。記憶がたしかなら、グリーンに乗るのは、たぶん2度目です。ちょっとウキウキ♪

そのあと、(休息日なので)一人で「おぶせ温泉穴観音の湯」へ。一時間、ゆーったりと湯船につかりました。平日の昼間に温泉なんて…とおもわれるでしょうが、若い人もお年よりも、けっこうな人数、お楽しみでしたよ。
それから「おんだ整骨院」さんへ。2年半ほど前から毎週金曜日の午後、通っていたのですが、ここ100日間、行っていませんでした。
はり、電気マッサージにつづいて、恩田先生が登場。肩、背中、腰、足と、がっちがちに凝った筋肉を20分かけて、もみほぐしていただきました。シップを6枚、腰と背中に張っていただいて終了(御代は初診1,500円ですが、2回目以降は850円くらいです)。
休日には里山に出かけて、走って登頂して、走って下山する、という超人的な50代の恩田先生は、たぶんあたしよりも、あたしのからだをご存知です。いつもご助言をくださり、感謝しています。
極楽トンボになった気分でした。

【きょうの写真】上)小布施町東町にある「おんだ整骨院」さんの入口看板。恩田先生がご夫妻で営まれています。朝5時にはお客さんがいらっしゃいます。電話は026-247-6161、完全予約制です。休日は毎週水・木。

下)北信濃小布施映画祭が19〜21日に開かれます。家のすぐ西にあるりんごの消毒用のタンク小屋の扉に、ポスターを貼りました。21日は、実行委員長の市村良三さんご推薦の『二十四の瞳』です。高齢のみなさんは、21日の券をお求めになりますね、やっぱり。チケットありマス!

【透玄きょうの一句】風邪の娘にダンベルの汗眺めらる
 2003年12月6日(土)  只ほど…ものはない。
kako/2003_12/10311623136.jpg
kako/2003_12/10311623136-2.jpg
昨日夕方、恩田先生のマッサージでからだの奥にたまっていた疲れをもみだしていただいたせいか、朝8時すぎまでグーッスリと眠っていました。
きょうの仕事は、森の”聞き書き甲子園”の執筆とかんてんぱぱ塚越社長の経営理念書の編集。そのまえに、喜多牧夫先生の句集の打ち合わせで、稲田美恵子さん宅へ行き、俳人の高橋宏和さんと3人で打ち合わせ。アラ小布施ガイドセンターにちょっと顔を出したら、支配人の関悦子さんが一人でいらして、「あらーー、ユタカチャーーン、おはよー!お茶飲んでって」といつものあっかるい乗りの笑顔で迎えられ、「それじゃー」と席に座ってお話。5分で帰るつもりが1時間も油を売ってしまいました。

関さんいわく、「只ほど高いものはないというけれど、最近とくにおもうのは、只なものほど、だいじだということね」。どういうことかというと、「只なものをあげてみてー。空気、なくてはならないものでしょ。あたたかな気持ちや気配り、これも只。笑顔、これも只。握手も、抱きしめるのも、キスも只(←キスは、『愛するパパにするときは』のことわりつ付き♪」。「お金で買えるもので、人間が豊かに生きるために、本当に必要なものなんてあるのかとおもえるんです」。

そーかー、なるほど、とおもって家で辞書を引きました。”漢字の神様”白川静先生の『字統』には、「只」は「もとは神の楽しむさまをいう」とあるではありませんか!只よ、おぬし、只者ではないな、とおもいました。

午後はずーっと編集のお仕事。
夕食(味噌味の大なべ煮込み。豚肉に豆腐に白菜ににんじんにたまねぎに…10種類の具の競演)のあと、熱燗が飲みたいなーとおもいながらがまんして、車で須坂市へ。佐賀県知事の古川康さんが講演されるというので、聴きに参りました。
古川さんは平成元年から数年間、長野県の地方課長をされた自治省のキャリア。今春、全国最年少の44歳にて、佐賀県知事に当選されました。
演題は「みんなで考えようまちづくりを!」。以下、こころに残ったことばを記します。

「役所は、前例がないからNOだと言います。でも前例がないというばあいの多くは、その課題がもちあがったことさえないのです。課題になったことがないから、YESの判断もNOの判断もしたことがないんです。前例がないことを、是非判断のモノサシにはしないことを、県民に誓っていますし、県職員にも強く言っています」。

「ある町で県の予算を受けて、3月末に菜の花まつりを企画しました。今年3月末のお祭りに行ってみると、春が遅くてまだ咲いていませんでした。町長に、どうして満開になるまでお祭りを伸ばさないんですか?と聞くと、年度末の3月末日を越えると、予算をいただけなくなってしまうから、と答えました。なんということでしょう。満開の菜の花を楽しんでもらうのが目的なのか、行政の仕組みを優先させて県から補助金を受けることが目的なのか。『自己繰越』という制度を使えば、解決できるのに、めんどうだから、とやろうとしないんです。県のお金は県民から預かっている人のお金。人のお金を預かっている人間の務めとして、最大限に有効に使うのは当然のこと。知事になってから職員に、自己繰越の手続きをやりやすくするように、指示しました」。

「智恵は現場にある。いちばんいい智恵は、現場に行って、人々に、どうしたらうれしいですか、なにが不便なのですか、と聞くこと。正解は現場にある。あーこれだ、これいただき!とひらめくアイデアは、現場の人々が教えてくれるんです。説得力も生まれます。きめの細かな、こころに届くような行政を、これからも進めていきたいとおもいます」。

古川知事には、「文屋文庫」をお送りして、読んでいただいています。これからもよろしくお願いします。

【きょうの写真】上)わが家の栗園にて、笑顔(只!)のあたしです。栗は種類によって、秋に葉を落とすもの(手前)と春の芽吹き近くまで葉をつけたまま冬を越すもの(奥)があります。この畑は、父の代に購入したもの。わが家の宝物です。

下)講演する古川さん。主催者の「信州須坂風土舎」(代表は丸山久子さん←呑み仲間♪)の期待と予想をはるかに上回る人が聴講に訪れ、立ち見の出る盛況でした。丸山さん、みなさん、おつかれさま。

【透玄きょうの一句】栗園の眠りのなかに日向ぼこ
 2003年12月7日(日)  決めた ! 年賀状、出します
kako/2003_12/103117232626.jpg
kako/2003_12/103117232626-2.jpg
朝食のあと、仕事部屋と手洗いと廊下とお座敷とリビングの一部に掃除機をかけて、ふき掃除もしてすっきり。かんてんぱぱ塚越寛社長の経営理念書の編集に専念しました。
終日、部屋に閉じこもっていて、家の外に出たのは、朝の一度だけ。庭の入口の屋敷神様(江戸時代から伝わる石の祠←ほこら)にお参りをした以外は、外に出ませんでした。
夕食後、アジアサッカーの香港戦のTV中継を観ながら、室内自転車を30分こいでトレーニング。ま、いい調子です。
それから仕事部屋に戻って、編集のつづき。

ふと手を休め、どうしようかとずっと悩んでいた、来年の年賀状を出すことに決めました。当然だろーそんなこと、とおもわれるかもしれませんが、あたしは今年の年賀状はパスしました。立派な理由は一つもありません。あらゆる意味でゆとりがなかったのです、おはずかしー。
いまも、ゆとりがあるわけではないのですが、いざ出そうとすると、どんなデザインがいいのかと、おもい悩んでしまっていました。で、決めました。ワードで文章と住所を入力して、写真もイラストも入れないままの、超シンプル、簡素路線でいくことにします。
そして、たとえ一行「元気ですか?」だけでも、かならずすべてに万年筆で書き込むこと、を決めました。
予定枚数は…未定です。

みなさんは、年賀状、どうされますか?

ところで、この欄で先日、葉っぱをお金に変えた ”いろどり”がソフト化大賞を受賞したことを、ご紹介しました。
そのことを教えてくれた、政策学校一新塾の同窓生・谷川さんが、一新塾のMLにつぎのメッセージを送ってくれました。

「少しお話を伺ったところ、真似をしようとしたとことが市町村いくつもあったそうです。しかし、どこもうまく行かないとのお話を伺いました。」

「実際、葉っぱを売っているのですが、”葉っぱを売るのではなく、そのノウハウをうる” とのことでした。話を聞いてみると、ノウハウの塊だということがわかってきました。葉っぱの値段のつけ方、市場の動きの見方、料亭に出せる葉っぱ・出せない葉っぱの見極め方、またビニールハウスで葉っぱを育てて見たり、新たに新種の木を植えてみたり、ネットをフル活用してみたり…もうたくさんのノウハウの塊です。」

「このビジネスは、さらに市場は大きくなると考えているらしいです。しかしながら人口4400人で44パーセントが高齢者の村ではこのくらいがいいのかな?これからどうしていこうかな?と考えているらしいです。」

「徳島県の上勝町はゴミゼロ宣言(脱焼却・脱埋立)を日本で始めてしたところです。やはり意識が違うようです。」

谷川さん、有り難うございます。

【きょうの写真】上)今年の元旦に届いた年賀状のなかから、気になるものを数枚。

下)庭の屋敷神様の横でわが家の入口を固めてくださっている、和つつじが、朱色の花を咲かせています。いまは、五輪が咲いています。葉は紅葉が過ぎて8割がた落ちていますが、雪が来ようかといういまでも咲いている花。樹齢300年の古木に、元気をいただいています。カラー版はBBSに。
 2003年12月8日(月)  死ぬ前に灰になる生き方…?
kako/2003_12/10311901512.jpg
なんて幸せなんだろう、と朝感じられるのって、幸せですよね。
あたしがいちばんそう感じるのは、一日中、仕事場でものを書いたり編集したり本を読んだりお昼寝をしたりできる日の朝です。いえ、人に会うのが嫌なのではありません。たぶんきっと、人一倍、人に会って話を聞くのが好きなんだとおもいます。それでも、「あーきょうは、うちに居られるー」とおもった朝の幸福感は、もーたまりませんのですわ♪
というわけで、今朝はたっぷりハッピーでした。

朝から、森の”聞き書き甲子園”の執筆と、かんてんぱぱ塚越寛社長の経営理念書の編集(もうふたふんばりじゃー!)。昼過ぎ、2時半ころ、ジャージ姿で家を出て、車で高山村の村営蕨(わらび)の湯へ。そうです、昼間っから温泉です♪それからおんだ整骨院さんへ。この100日間、ほとんど休みなしで、恩田先生にもお世話になっていなかったので、先週の金曜日につづいてきょうも、はりとマッサージをしていただきました。今後は、以前とおなじように、週一回ていどにしようとおもっています。

おんだ整骨院さんへ行くことの楽しみの一つは、コミック誌です。井上雄彦さんの『バガボンド』(原作はごそんじ、吉川英治さんの『宮本武蔵』)第18巻を読んでいて、つぎの場面が気になり、メモってきました。
http://shop.kodansha.jp/bc/comics/vagabond/

どうして気になるのか、自分でもよくわからないのですが、只ごとではないくらいに気になっています。つぎの二つの場面です、どうぞ。

「舞台」の章
「鍛錬に鍛錬を積み/技と心を試し合う/試合い/その行き着く処(ところ)にある死を/受け容れた者/「死」/そういう男なら/あいつは斬る」

つづく「戦場」の章
「死の覚悟もなしに/向かってくる者を斬ってもつまらん/だから--お前を斬ることもない」

…というような際キワの劇画を待合室で見たあと、「きのしたさーん」と呼ばれてベッドの上へ。携えたのは、弘兼謙史先生の『黄昏流星群』。電気マッサージをしてもらっているときに、暇なので読むんです。

やがて恩田先生が登場して、ギッシギシの全身マッサージへ。相当の体力を使うのだとおもいますが、恩田先生、平気な顔で話をつづけられます。
きょうのお話は「死ぬ前に灰になる生き方」。なんのことか、おわかりでしょうか。

恩田先生いわく、
「完全燃焼すると灰になるでしょう。不完全燃焼だと煙がくすぶるし燃えかすが残る。ろうそくが最後の芯まで燃えて消えるように、人間も、最期まで生きいきと生きて、いわゆる老衰というかたちで天寿を全うしたいとおもうでしょう。」

「そうなるためには、40代以降の過ごし方がだいじなんです。肩の凝りや腰や背中の痛みは、できるだけ軽いうちに早く、痛みを感じたら数日のうちに解消して、ためないこと。それを蓄積していくと、50・60代に爆発します。平均寿命を越えられるかどうかは、40代から50代の過ごし方で決まります。平均の年齢を超えても、寝たきりにならないで、その年齢なりに元気に暮らすためには、いまからの養生が大事なんですよ。」

おわかりですか?「死ぬ前に灰になる生き方」をするには、中年と世間がいう年代からの日々の生活習慣が、とっても大事なんだそうです。
こうしたありがたい、教育的指導をしてくださる恩田先生、あたし以上にあたしのからだをご存知です。

【きょうの写真】蕨温泉から東の南志賀の山を望んでいます。写真ではよくわかりませんが、正面の山の頭のあたり、標高1,000メートルくらいまで、うっすらと雪化粧していました。あと数日で小布施にも雪が舞うことでしょう。

【透玄きょうの一句】初霜や丸く縁どる日の出かな
 2003年12月9日(火)  平松さんちのお父さんの看板のお話
kako/2003_12/10311901616.jpg
kako/2003_12/10311901616-2.jpg
まずは写真を2枚。文はのちほど書きますね。

おまたせしました、みなさん。
平松さんちのお父さんの看板のお話を、お約束どおり、書かせていただきます。
どうです、みなさん、この看板。
高さ2メートルくらいある木製です。小布施町林の平松興一さんのりんご畑に立っています。平松さんは、りんごの専業農家。くわしくは、平松フルーツ農園さんのサイトをどうぞ。http://www.obuse-apple.com/
すてきでしょう。文屋サイトとおなじく、林映寿さんのチームが作成されたサイトです。このトップページの下のほうで、手を振っている左が興一さん、右が奥様、真ん中は長男で跡取りの聖伸(きよのぶ)さんです。
聖伸さんは、わが記念すべき文屋文庫第一巻の座談会に「小布施の若手農業者代表」として参加してくれた恩人です。

この看板は、興一さんが、たぶん20年以上(もっと前?)前に立てて、色があせるころにまた新しいデザインを描いていらっしゃいます。写真をご覧の通り、子どもにもわかることばと文字にカラフル(BBSを見てね)な色合い。子どもはもちろん、大人のあたしたちだって、畑沿いの道路を通るたびに、どれほど勇気づけられるかわかりません。

興一さんがなぜこの看板を立てているのか?
まじめに理由を尋ねたことはないのですが、あたしは以前から「興一さんがアメリカの農村を訪れたときに、家の入口や農業に、こうした楽しい手作り看板を見かけて、自分も小布施でやろうと決意したもの」と思いこんできました(そうではないとしても、かっこいいでしょ、このストーリー♪興一さん、ほんとうはどうなんでしょう。いつか教えてください)。

というわけで、平松フルーツ農場さん、サイトのとおり、とっても明るくて前向きでエネルギッシュです。りんごやりんごジュースのサイトによる売上げも好調だそうです。日記も更新されています。みなさんも、アクセスしてみてはいかがでしょう?
興一さん、これからも、元気の出る看板をお願いしますね。ありがとうございます。

きょうは、朝から編集仕事。午後2時にカメラマンの関真澄さんが来宅、打ち合わせ。4時から長男真風の通う須坂東高校にて、須坂市・中野市の第二通学区7高校のPTA連絡協議会。
二次会は懇親会。参事会は10数名でスナック・バムパームへ。カラオケで、何曲か歌って、藤代行さんで帰宅いたしました。
 2003年12月10日(水)  雁田山に雪が降りました
kako/2003_12/103111111446.jpg
みなさん、こんにちは。
全国的に冬ですね。
小布施町の東に、この町の屏風のようなかたちに広がる雁田山(かりだやま)。標高786メートル。小布施町の標高はだいたい350メートルですから、400メートル登ると山頂に着きます。この山の中腹、上三分の一くらいまで、10日朝に冠雪しました。ですから、おおむね標高650メートルくらいまでということになりますね。積もるというよりも、おしろいをふりまいたように「かぶる」という感じ。
母によると、雁田山に3回雪が降ると、里にも降るのだそうです。

ところでみなさん、中嶋豊さんご存知ですか?
県のおまわりさんで、山の専門家。この方が、「信州山歩き地図(マップ)」というサイトを運営されています。
http://www.avis.ne.jp/~police/etc/map/yamaaru.htm
雁田山についても、紹介されています。
http://www.avis.ne.jp/~police/etc/map/maphoku/mkarita.htm
ご自身で歩かれた山のことだけを、じっくりと描いておいでです。イラストや解説が充実しています。山岳救助のプロの方が書かれる山案内、それだけでも安心感がありますよね。

自画像のイラストも、愛らしいです。
http://www.avis.ne.jp/~police/etc/map/prnakajima.htm

いつかお会いできる日が来るような、予感がしています。

午後、高山村役場へ打ち合わせに行ったあと、アラ小布施ガイドセンターへ。いつもながら、喫茶室には15人くらいがお茶を囲んで話をされていました。松下政経塾23期生の畠中克賢さんと初対面の名刺交換。埼玉大学教養学部の学生で、小布施のことを卒論にまとめるために滞在されている武久涼子さんとも初対面。外から人に着ていただけること…すでにあたりまえのようになっている小布施のこうした光景が、いかに貴重なこと、ありがたいことなのかと、最近感じております。

【きょうの写真】雁田山の上三分の一に雪が降りました。自宅の東にある野菜畑より。(BBSに志賀高原の夕焼けを掲載しました)
 2003年12月11日(木)  書き上げました、塚越社長!
kako/2003_12/10311122512.jpg
みなさん、こんにちは。
やりました、ようやくです。
昨年夏からずっと取りくんできた、伊那食品工業・かんてんぱぱの塚越寛社長の経営理念書、執筆と第一次編集を終えることができました。ただいま、12日午前2時45分、完了です。
12日朝7時に家を出て、車で2時間弱。長野県伊那市にある同社を訪れ、塚越社長の原稿のファイルを手渡します。
この本は、第一次の読者として社員と取引先を想定していますが、一般のみなさんにも読んでいただける出版形態になるとおもいます。
これから編集作業に入り、発刊は来年早春の予定です。
お仕事に人生に、きっとお役に立つ本になるとおもいます。おたのしみにどうぞ。

【きょうの写真】というわけで、執筆と第一次編集を終えてひと安心する木下、の図です。寝ます。
 2003年12月12日(金)  伊那へ、高山へ
朝7時発にて車で伊那市の伊那食品工業へ。9時過ぎから塚越寛社長と、今朝早くに書きあげた経営理念書の編集打ち合わせ。お昼の1時近くまで、秘書の橋爪美緒さんが差しいれてくれたおにぎりとお味噌汁とお漬物をいただきながら、塚越社長とふたり、原稿を読みあわせて、校正のメモをしていきました。
ほとんど休憩なく3時間、本にして200ページ分の原稿を読みきり、今後の打ちあわせをしてから、同社を辞しました。
塚越社長直伝の集中個人講義を受けたようなもの。文屋の経営にも生かせる理念・哲学がどんどん語られ、役得とはいえ、こんな幸福はないとおもいながら、過ごしました。感謝です。
本は来春、上梓される予定です。塚越社長とのつぎの面談は新春4日朝。新年もおもしろい一年になりそうです。

小布施に帰り(途中、松代のSAにて仮眠20分)、駅の六斎舎にて、埼玉大学教養学部4年生の武久涼子さんと面談。小布施のまちづくりを観光の視点から調べて卒業論文にしあげるのだそうです。1時間ほど、体験やおもいを語らせていただきました。
自分の町に居ながらにして、武久さんのような研究熱心な人に出会え、語りあえること。すごいことですよね。これも、先輩や小布施町に感謝です。

夜6時過ぎ、高山村五色温泉の五色の湯旅館へ、パンフレットの打合わせ。そのあと、社長の水野薫さんのお父様・茂さん(84)と、新年から始める自叙伝の取材と編集の打合わせをして、帰宅しました。

きょうは、これで寝ます。


 2003年12月13日(土)  東京・鎌倉へ
kako/2003_12/10311161936.jpg
kako/2003_12/10311161936-2.jpg
13日早朝6時発の長野新幹線にて東京・鎌倉へ。
夜、森の”聞き書き甲子園”の打合わせ会(飲み会)。

14日、森の”聞き書き甲子園”の座談会の取材と打合わせ。
午後、東京都写真美術館(恵比寿)にて、写真家サルドガ氏の写真展「エッセイ」を観賞。
夕方から田町の政策学校一新塾にて、「美日常」について懇談会。
東京発22:04の新幹線最終便にて、帰宅します。

では行ってまいります。

==いま、16日午前零時すぎです。昨夜、一泊二日の出張から帰りました==

13日は朝6時、長野駅発の新幹線始発にて東京へ。なんと、グリーン席で言ったのです。新幹線グリーン席なんて、生まれてはじめてのこと。先日も書きましたように、いきなりリッチになったんのではなく、普通指定より4,000円も安い価格設定だったためなんです。

なれないグリーン席に乗ったものだから、あまりの心地よさと寝不足からぐーっすりと寝てしまい、東京駅についてから数分間、気づかずに、お掃除のおばちゃんたちが入ってくる直前に、ハッと飛び起きました。おはずかしいったら、ありゃしません。

それから鎌倉駅へ。徒歩5分にて、学習の場へ。
お昼時、神奈川県立近代美術館へ散歩してゆき、「彫刻家 堀内正和の世界展」を見学。作品に見入っていると、一人のおばあちゃんが声をかけてきました。80代。「わたし、堀内の家内です、未亡人です」。だいじょうぶかいな、このおばあちゃん、とおもいましたが、どうやら美術館のスタッフのみなさんにも公認の存在。亡き堀内さんの奥様でした。
奥様からは、堀内さんが粘土をこねながら、手触りを楽しみながら、創作していたことを教えていただきました。あたしはてっきり、精緻な数学理論を使いこなして作品を作っていらしたのかとおもっていましたが、奥様から帰ってきた答えは、「堀内は数学はあまり好きではなかったようです
。数値化は、デザインが決まったあとの、後付けでした、いつも」。
現場の実体験からすべてを発想する…あたしの企画取材執筆編集にも戒めとして通じる、たいせつな姿勢だとおもいました。

夕方まで、学びの場にて過ごし、東京へ。港区のアジア会館に宿を取り、カメラマンの関真澄さんと合流。二人で銀座のソニービルへ。降りる駅を間違えて待ち合わせ時間に20分も遅れてしまいました。
久田浩司さん、飯島ツトムさん、深澤由美さん、霞末裕史さん、三原美香さん、関さんとあたしの7名にて、中華料理店にて飲酒懇談。森の”聞き書き甲子園”を話を中心に、語り合いました。アー飲んだ食った♪

【きょうの写真】上)いい気分に候♪飲食後、「うんちを流すとき、うんちにどんな顔を向けて、なにを言って流すのか」という設問に各自が答えるなど、稀有な雰囲気の仲間です。これからなにが生まれるやら…。

下)ソニービルの壁一面にシャネルのクリスマスツリーが輝いていました。
 2003年12月14日(日)  森の”聞き書き甲子園”座談会
kako/2003_12/10311161216.jpg
kako/2003_12/10311161216-2.jpg
朝、アジア会館にて関さん、三原さんと朝食のあと、関さんのチェロキーに同情して明治神宮の弓道場「至誠館」へ。
澁澤寿一さん、吉野奈保子さん、そして座談会に参加する5名の高校生、林野庁森林保全課の内田敏博さんと合流。神宮の森のの芝生で撮影したあと、至誠館の会議室で座談会を開きました。
おじいちゃんのような世代の名人に人生や仕事のことをつぶさに聞いて5000字にまとめた昨年の体験が、それぞれの高校生に、どれほど大きなものをもたらしているのか、それを教えられました。

恵比寿ガーデンプレイスのレストランライオンにて、久田さん、三原さん、関さんと打合わせをしたあと解散。一人になって、東京都写真美術館のセバスチャン・サルガド写真展「エッセイ〜この大地を受け継ぐもの」へ。約2時間、世界の人間の現実を写しつづけるフォト・ジャーナリストの仕事を、ゆっくりと楽しませていただきました。

7時前、田町の慶応大学近くにある政策学校一新塾へ。
現役塾生の名波俊兵さんがリーダーを務める政策論文チームのみなさんが、塾を担う森嶋さん、近藤さんらと待っていてくださり、「美日常」について懇談しました。
あたしの暮らしと仕事の中軸になっている理念「美日常」は、5年前に6期生としてこの塾に毎週通いながら、仲間と議論を交わしたことから誕生したもの。どなたでもお使いいただける”著作権フリー”の日本語として、次第に広がっていくことを、こころからうれしくおもいます。
名波さんたちは、静岡県三島市のまちづくりについて、富士山の伏流水の恵まれた「水」をテーマに政策をまとめようとされています。「水を非日常資源ではなく、美日常資源として再編集すること」という課題が、語り合いのなかから生まれました。成功を祈ります!

終了後、田町駅近くの居酒屋さんにて懇談(ごちそうさまでした)。
東京駅発22:04の新幹線最終にて、帰宅しました(0:30)。

【きょうの写真】上)森の”聞き書き甲子園”について語り合う高校生たち。手前は撮影中の関さん。

下)一新塾のみなさんと。脳の筋肉が鍛えられた感じです。感謝。
 2003年12月20日(土)  戻ってきた写真
kako/2003_12/1031122232819.jpg
13日夜に泊まった東京赤坂のアジア会館に、翌朝チェックアウトしたとき、大切な写真2枚を入れた封筒を置き忘れました。
15日昼ころ、かばんのなかに見当たらないことに気づきました。記憶をたどると、13日夕方、飲みに出かけるまえに、部屋の机のうえに、壁に立てかける状態で封筒に入れたまま、飾っておきました。たいせつにするつもりで、そうしたのですが、結果的には、だいじにしすぎて忘れる、ということになったようです。朝、洗面台、衣文かけ、ベッドの上、そして机の上を見て、忘れ物がないようにチェックしたつもりでしたが、”つもり”のお話。たぶん、フッと気が抜けていたのでしょう。とにかく、忘れたのです。

15日昼ころ、アジア会館に電話をして、部屋番号を伝え、電話を切って俟つこと十数分。若い女性のスタッフが電話をくれました。答えは「忘れ物の届けはなく、念のため再確認しましたが、ございません」とのこと。やさしく丁寧な対応に救われはしましたが、無いものは無い、ショックでした。たいせつな方が、わたくしのことをおもって、撮影、プリントしてくださった写真・・・ふとつぎのことばが、思い出されました。

「人を責める前に、自分の足跡をたどってごらんなさい。どれほど平気で人の心を踏みにじったか、また義理を欠いてきたかを反省しなさい」。今年、いちばん、こころにしみたことばです。

失意のまま数日を過ごした18日朝、神棚とお仏壇にお参りをしていると、天から降ってくるように、ある発想をいただきました。「いちおう、アジア会館のフロント担当の方に、メールを送っておこう。もしかすると、見つかるかもしれないから」。すぐに机に向かい、メールを送信しました。

それから一時間のち、フロントの田中さんという女性からメールの返信。なんと、有ったのです。フロントの忘れ物置き場に、たいせつに保管されていたようです。電話で伝えたときの、あたしの言い方が悪かったのでしょう。封筒は茶封筒とおもいこんでいたのですが、じつは白色なのでした。

きょう20日、宅配便にて写真は無事届きました。よかった!アジア会館のスタッフのみなさん、ありがとうございました。

アジア会館:http://www.asiacenter.or.jp/

【きょうの写真】19日から始まった第二回北信濃小布施映画祭の映写機。2台の映写機を、フィルムを入れかえてつなぎながら、動かしていました。あたしは、音声と照明部門の担当として、正味2日間、この映写機が回る小部屋に詰めておりました。
 2003年12月21日(日)  大雪でした
kako/2003_12/1031122234050.jpg
21日夜から降りつづいた雪は、朝までに30センチほどになりました。映画祭の3日目最終日。集合時刻の朝8時前に会場の北斎ホールに着いたのですが、一番乗りの花井裕一郎さんはすでに雪かき中。実行委員長の市村良三さんの「大型の除雪車が来るから、雪かきはやめて、ほかの準備をしましょう」とのひと声に、ひと安心。調整室でのリハーサルにとりかかりました。
きょうは、調整室の責任者。前の日まで、佐藤幸雄さんに教えてもらったことをふりかえりながら、本番に臨みました。ぎこちないながらも、なんとか、4本上映のスケジュールを終えることができました。

一本目の「二十四の瞳」のお客様の平均年齢は、たぶん60歳以上でした。青春時代に封切された人気映画を観ながら、会場のあちこちで、すすり泣く声がしていました。あたしの母親は、「出征して戦死する若い人たちの姿と、自衛隊のイラク派遣などの現在の日本を重ねあわせて観ていたよ。やっぱり戦争はだめだ。すべてをぶち壊してしまうもの・・・」と語ってくれました。

和洋、新旧、多様な映画と、3名の映画監督をふくむ8名ものゲストを迎える小布施の映画祭。たくさんのボランティアとスポンサー、チケットを求めてくださったおおぜいのみなさんのお力のおかげで、成功といえる二回目であったとおもいます。来年もぜひ実現を・・・そう願っております。

【きょうの写真】北斎ホールの2階窓から見た栗ガ丘小学校の雪の校庭と雁田山。
 2003年12月22日(月)  森の”聞き書き甲子園”執筆へ
kako/2003_12/103112301241.jpg
映画祭も終わり、準備をしてきた森の”聞き書き甲子園”の本(来年2月、ウェッジ出版より発刊予定)の執筆にとりかかりました。正月返上で書き上げてまいります。

きょうは、しばらくまえから練ってきた一本の原稿も書きました。財団法人日本交通公社の旅の図書館(東京丸の内)の館長・外川宇八さんが編集長をされている「観光文化」の新春の号に掲載する原稿です。
テーマは「地域ブランド」。
わたくしは、「美日常に根ざす小布施の地域ブランドを」というテーマに決めて考えてきました。書き出しのタイトルは「地域ブランドの危険」。
地域全体としてのブランドに頼らずに、人や家単位の個別のブランドを各自が磨きつづけることのたいせつさを、自戒を込めてまとめました。原稿は、同誌が発刊になってから、ここにご紹介させていただきますが、関心のある方は、あたしにメールをください。

午後4時から2時間、おんだ整骨院さんへ。

突然ですけどみなさん、「乱れ籠」というのをご存知ですか?「乱れ箱」も同義です。
辞書によると、手回り品または衣類を入れる漆塗りで蓋のない浅い箱とあります。寝室の布団のかたわらに置いて、着ていた衣類を脱いで置いておく籠や箱のことですね。日本語の美しさを、このことばに感じるのは、あたしだけでしょうか?好きです、このことば。

【きょうの写真】森の”聞き書き甲子園”の取材でお世話になる、作家の塩野米松先生の最新刊が届きました。祭りの露天商=香具師(やし)の親分、會津家本家六代目・坂田春夫氏に聞き書きした『啖呵(たんか)こそ、わが稼業』(新潮社・1,600円)。塩野先生には、1月5・6日、秋田角館のお宅に、プロデューサーの久田浩司さんといっしょに訪ねます。
 2003年12月23日(火)  次男荒野は須坂園芸高校にチャレンジ
kako/2003_12/103112403524.jpg
朝から森の”聞き書き甲子園”の総論部分を書きはじめました。これを仕上げてから各論の名人と高校生についてのルポへ。正月休みは、この仕事を楽しむことになりそうです。将来に豊かな芳しい展開が予想できる仕事に参加することができて、うれしいです。

午後2時より、アオヤギ印刷の中山伸尚さんといっしょに、高山村五色の湯旅館の水野薫さんを訪ね、パンフレットを納品。新春から始まるお父様・茂さんの自叙伝の編集打合わせ。

終えてから須坂迎賓館2階の喫茶室にて一人で、文屋文庫第三巻のゲラ校正に集中しました。この本は新春中旬に発刊予定です。

夜、次男荒野が書いている高校の前期選抜試験用の自己PR文について、彼と話し合い。荒野は隣町にある県立須坂園芸高校をめざしています。将来の目標は、警察犬などの犬の訓練士になること。国内の専門学校で学んだあと、シェパード犬の本場・ドイツに留学して、世界のお役に立てる一流の訓練士になることを夢見ています。
「・・・で、なんで犬なのに園芸なんだい」とあたし。
「からだを動かして汗を流すのが好きだし、園芸高校で生き物について学んでおけば、犬との暮しにもきっと役立つだろうから。普通高校よりずっと魅力的だよ」と荒野。
「それなら、高校のときからドイツ人の先生について、ドイツ語勉強してもいいよ。望むなら、ドイツにすこし滞在したっていい」とあたし。
合格してくれるといいのですが・・・。

年賀状の印刷を、仕事場のパソコンで行いました。一枚ずつ、2〜3行、万年筆で書いています。いつまでかかるやら・・・ざっと15センチはあります。お一人ずつのお顔を思い出して、楽しませていただきます。「こんなにもたくさんの人たちに、お世話になって生きているんだー」とあらためて実感するあたしです。

【きょうの写真】仕事場から見た雪の庭。今朝は粉雪が舞っていました。
 2003年12月24日(水)  「嫁と姑」の無責任
kako/2003_12/1031124231421.jpg
クリスマス・イヴですね。
うちでも今晩、ケーキをいただきました。特別なケーキです。ケーキそのものは、ふつうの市販のものでしたが、その意味がちょっと・・・。
となりの家、「東のうち」と呼んでいる、遠くの親戚より近くの他人、親戚以上のお付き合いを代々つづけていただいている家の姉さん(奥さん)からいただきました。
じつはわが家、この100日間、つまり9月初旬から、嫁と姑とあたしの関係がよくなかったのです。というより、最悪でした。見るに見かねた姉さんが、「みんなで仲良くしてね」というメッセージを添えて、昨日、プレゼントしてくれたのです。
あたしたちも、なんとか関係改善をと願い、試みてきたのですが、なかなかうまくいきませんでした。ようやく、あたしと妻の関係からときほぐし、それを安定させてから、妻と母の関係をうまくするのに、いままでかかってしまいました。
そして今晩、イヴの夜、いただいたケーキをまえにクリスマスソングを(ぎこちなく)歌い、紅茶で乾杯して、なんとかかんとか、和やかな雰囲気にすることができました。

欠点のあるもの同志の人間関係です。これからもいろいろあるのでしょうが、おたがいに感謝しあうこと(あたりまえ、じゃないんですよね)、認めあうこと、おたがいの自由を尊重すること、気楽に生きることなどなど、語りあいました。
ほうっておけば、このまま崩壊まで向かっていたであろう、わが家の100日間でした。あぶねーあぶねー。

そして今日、あらためて考えました。
「嫁と姑」を悪い人間関係の象徴のように言いますが、これ、旦那さんの存在が抜けてますよね。家系図にすれば、両方の女性の間に、というか、嫁のとなりに一体になって旦那がいる。その旦那の一代上に両親がいて、その一方が「姑」と呼ばれる。両方の関係の状態に、旦那(主人であり息子である男)の存在感やおもいやりや声かけなどが、とっても大きく影響するわけです。それなのに、「嫁と姑」だけを拾いあげて悪く言うのは、男=旦那の責任放棄ではないかと気づきました。

つまりその、結婚から18年、出会いから20年。この課題を、ずーっと棚に上げたまま手を触れず、両方の女性など周囲の気遣いや忍耐や我慢に甘えていたのでしたなー、あたしは。
だれがいい悪いといっても始まりません。あたしが、このわたくしが、気持ち、心がけを変えることで、動く人間関係や雰囲気がとっても大きいのだと、いまになってやっと、気がついたのです。
こんな最悪状態であったのに、仕事やそれによる資金のめぐりや、ほかの人間関係は、驚くほどありがたい状態で経過し、来春までの見通しがつけられています。救っていただいている、いい方向へ導いていただいている、と感謝の気持ちでいっぱいです。

あーあ、こんな恥をさらしちゃって・・・みなさん、こんなあたしですが、見捨てないでくださいね。

というわけで、本日は森の”聞き書き甲子園”の編集に専心しました。この本の取材で、1月5・6日は秋田の角館へ、作家の塩野米松さん(通称・アンクル米松さん)を訪ねます。久田プロデューサーといっしょです。今日、年賀状はひとまず100枚くらい、一筆万年筆書きをして、投函しました。

【きょうの写真】朝、真っ白の大地と白く深い朝もや、そして立ち木の黒の世界。
 2003年12月25日(木)  ごゆるりと
朝から森の”聞き書き甲子園”の執筆と取材準備に専念していました。

昼過ぎ、アオヤギ印刷の中山伸尚さんが来宅。文屋文庫第三巻のゲラ第二稿と「俳人喜多牧夫」の表紙サンプルを持ってきてくれました(上田からいつもありがとうございます)。
文屋文庫第三巻は堀田力先生の講演録です。チェックをしてから堀田先生と、インタビューをした畔上智子さん宛てに、ゲラを宅急便にて発送しました。お二人には、お正月休み中に校正をしていただきます(お休みのところごめんなさい)。発刊は1月20日ころの予定です。

「俳人喜多牧夫」の表紙は、とっても洗練されたデザインになりました。さすが仁(中村仁)さん!カラー写真は関眞澄さんが担当。牧夫先生の愛用した、真ちゅう製の豆腐笛です。こちらは1月下旬の発行です。

【透玄きょうの一句】「つがい鳩 師走のひなたぼっこかな」
昼下がり、あたたかな日差しを浴びながら、庭木の枝にとまった鳩のつがい(きっと夫婦)が、なかよく並んでいました。
 2003年12月26日(金)  日程どんどん
kako/2003_12/103112702416.jpg
今日も朝から、森の”聞き書き甲子園”の総論部分を執筆、おおむね仕上がりました。
そのあい間に、年賀状書き。今年は裏面はあいさつ文と文屋文庫のご紹介。宛名面は、上半分に横組で住所を印刷、下半分は万年筆の横書きで、お一人ずつに2〜5行ずつのメッセージを書いています。おおむね三分の一を書きおえて投函しました。年々出す枚数がすこしずつ増えているのは、木の年輪が一輪ずつ加わっていくようで、うれしいものです。書きそえるたびに、その人のお顔やお世話になったものごとを思いだしています。年に一回くらい、こうした時間があるのは、貴重ですよね。できれば年に数回、近況報告の通信をだしていきたいとおもっています。
名称は?名称だけは決まっているんです。「田園ノート」と申します♪

夕方、長野市の日本赤十字血液センターの若い男性のより電話。
「1月2日にある病院で大きな手術があり、O型の血液の成分献血が必要です。血液の鮮度(?)の関係で31日においでいただけますか?」のことと。執筆の最中ですが、参ることにしました。一年の締めくくりの日に、どなたかのお役に立てるのは、いいことですからね。すべては自分のため、ですもん。だからその日まで、お酒はがまんして、あと室内自転車とダンベル体操をして、体調万全にて臨むことにしました。生きのいい血液をどうぞ!

来年のスケジュール帳が届きました(写真右)。
能率手帳のウィック(エクセレントタイプ、定価1,700円)。黒のカバーはソフトで、手触りがいいんです。中味はここ数年の愛用品。さっそく、旧年の手帳の備忘録に記しておいた新年の予定を書きうつしました。
1月5・6日、秋田・角館へ。7日は伊那市へ、10・11日は鎌倉と東京。17日も上京。なんだかとっても動きの多い年始めになりそうです。くわえて、森の”聞き書き甲子園”の原稿は1月下旬までに仕上げて編集まで済ませるというスケジュール。当然元旦から、机に向かいます。うれし〜なー。お酒も飲むけどね。

写真の左は、いま読んでいる、中西進先生の『日本人の忘れもの』(ウェッジ出版)。帯にこう記されています。
「大切な忘れもの、お届けします。たとえば、《まけるが勝ち》といいます。勝つためには、いったん敗ける。そして相手に生かされる道を探るのが、日本人の生き方でした。生かされて生きること、忘れていませんか?」。
中西先生については、松岡正剛さんのご紹介文をお読みください。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0522.html

新年から、中西先生に継続的にご指導をいただけることになりました。勉強しなければ・・・!
 2003年12月27日(土)  メール様様でやんす
朝から仕事場にて、森の”聞き書き甲子園”の総論部分を執筆、夜までかけて、書きあげることができました。勢いのままに第二章のリード文まで執筆。西日本チームを率いる香川県在住の三原美香さんと、東京のプロデューサー久田浩司さんに明日朝、メールにて、この原稿を送り、足並みをそろえて第二章の執筆に入ります。
こうして東京・信州・讃岐(香川)の三点を支点に、全国への取材ができるのは、久田さんの運びのおかげなのですが、技術的な面では、インターネットの恩恵です。ありがたや、ありがたや。

昼は、高山村五色温泉の水野薫さんといっしょに、小布施の「ままごとや」にて山菜おそばのあったかいやつをいただきながら、本の編集の打合わせ。水野さん、ご馳走様でした。

そのあと、小布施ハイウェイオアシスの売店へ。
9月から3か月間で、「文屋文庫」第一巻10冊、第二巻13冊の計23冊の販売いただきました。この売店で、これだけお求めいただけていることに、あたしはすごい喜びを感じています。
地元の人があまり行かない、たぶん全体の90%以上は高速道路や一般道で見える観光のみなさんです。「文屋文庫」のことをまったく知らないで、有名な栗菓子や地酒やキャラクター土産品がひしめく売店を歩き、ふと目にした「文屋文庫」を手にとって、500円を払って求めてくださる。
どんなお気持ちで?と考えるのです。
「小布施のことを知りたい」「講師の先生が魅力的」「こんなお土産があってもいいね」「あの人に渡せば喜ぶだろうな」・・・。

そこで、ある方のご助言を真に受けて、本を帯状に巻いている紙を、白からピンクにしてみました。おしゃれさが増した感じです。もしかすると、より手にとっていただけるようになるかも。
二巻、各20冊を新規で納品いたしました。みなさん、よろしくお願いいたします。山本店長さんや売店の責任者池田さんののご厚意で、レジカウンターに平積みしていただいています。木村先生と玉村先生のカラー写真入りいのPOPが目印です。
 2003年12月28日(日)  OH掃除!
kako/2003_12/103112910189.jpg
みなさん、こんにちは。
今日は朝から、みんなで大掃除をしました。子どもたちは窓拭き、妻は台所と手洗い、母は自分のお部屋など。
あたくしは午前中、掃除の様子をながめながら、森の”聞き書き甲子園”の執筆と取材準備をしていました。

昼前から、いま長男の真風がお世話になっている須坂東高校の校長・柳澤勲先生のご尊父・柳澤勲様のご葬儀に参列するため、PTA会長の月原光昭さん、副会長の島田和美さん、前会長の栗野孝次さんといっしょに、車で長野市篠ノ井の会場へ。柳澤校長先生は、柳澤家の婿養子として入られたため、偶然、奥様のお父様のお名前と同じになったというわけで、多くの人たちは、”勲jr.”と呼んでいたそうです。
あたたかい天候のもと、1,000名を超えようかという人たちが、参列されたようです。亡くなられた勲様は、元県会議長でいらっしゃいました。おつかれさまでした。ご冥福をお祈りいたします。

帰宅して、いよいよあたくしの大掃除です。
受けもちは、お風呂掃除。天井、壁、床、浴槽、そして窓やシャンプー類など、1時間半かけて磨きあげました。それから、脱衣場+洗濯場の床、壁、流し台などをぴっかぴかに♪

そうしているあいだに、妻の朝子が、「便器は、紙やすり(サンドペーパー)で丁寧に磨くと汚れが落ちる」とNHKの朝の番組で言っていた(みのもんたさん、もしくは伊東家の・・・かも)のをおもいだして、試みたところ、水あかがミルミルうちに取れて、新品同様の輝きに。満足していました。

それからみんなで、おぶせ温泉+かっぱ寿司へ行って打ちあげをいたしました。

というわけで、きょうは、疲れもほどよくほぐれましたので、お休みなさいませ。

【きょうの写真】「年賀状、まだこんなにある〜〜」の図。
 2003年12月29日(月)  先生の手紙 「成功の哲学」
今年もあと3日です。
26日の終業式に、次男の荒野(中3)が担任の飯塚先生からいただいてきた「春風と秋霜」という学級通信に、こんな詩が紹介されていました。

長野県の中学校のなかで、常勝チームの長野市立裾花中学校女子バレーボール部が、毎日大声で唱えているのだそうです。

============

「成功の哲学」

もし、私が「負ける」と考えるなら
私は負ける
もし、私が「もうだめだ」と考えるなら
私はだめになる

勝ちたいと、思う心の片隅で
「無理だ」と思うなら
私は絶対に勝てない
「失敗する」と考えるなら
私は失敗する

世の中を見てみろ!
最後まで、成功を願い続けた人だけが、
成功しているではないか
全ては、「人の心」が決めるのだ

もし、私が
「勝てる」と考えるなら
私は勝つ!
向上したい
自信を持ちたいと
いつもそう願うなら
私はそのとおりの人になる

さあ再出発だ!
強い人が勝つとは限らない
すばしこい人が勝つとは限らない
私はできる!
そう考える人が
結局は勝つのだ

============

勝つ、負ける、強い、弱い・・・
成功、幸福・・・

さて、自分は?とおもわせてもらえました。
 2003年12月30日(火)  田中サンジリョウ先生と再会
kako/2003_12/1031131213630.jpg
昨29日朝、須坂高校時代の恩師・田中三二良先生より電話をいただきました。さっそく約束をして、11時半に、小布施町の桜井甘精堂「栗の木テラス」にて待ちあわせました。
先生のお名前は、サンジリョウと読みます。
須坂市のお生まれで、飯山、上田、須坂などで教え、あたしは高校2年と3年のときに担任をしていただきました。細身で、めがねで、たばこ好きで、パチンコもお好きで、現代国語の授業のときは、名文を酔うように朗読されていたのを、おぼえています。とにかく、つつみかくさず、ものごとをはっきりと言う先生でした。

そのころの(も)あたくしは、成績は良くなく、気に入らない先生の授業は抜けだして、ひとりで、近くの臥竜公園の池でボートに乗ったり、家に帰って千曲川で釣りをしたりしておりました。けっして”いい生徒”ではなかったとおもいます(しかられるたびに、それらの不良行為を自分ひとりでやったことを、ツルンデいなかったことを、誇りにおもっていたあたしでした)。
そうなのですが、三二良先生とは波長が合ったのでしょう。学活の時間、みんなのまえでけちょんけちょんに言われても、言われるほど、先生に惹かれていったようにおもいます。

先生のお住まいは長野市吉田。車で20分ほどのところですが、まだ訪ねたことはありません。ですが、同級生の前坂政明さんが、毎年8月14日午後に須坂駅前のおなじお店で同級会を開いてくれるおかげで、毎年先生や仲間に会うことができます。感謝!

で、先生のきのうのご用件は、ある会社の創業者の自伝を書く仕事でした。まだ話は始まったばかりなのですが、82歳のその経営者も出版については前向きで、会社としてもその方向とのこと。いくつかの条件を調整しなければいけませんが、決まれば来年早々からのお仕事になりそうです。

その経営者は、以前から気になり尊敬していた方ですので、すごくうれしいです。年末のキワになって、こんなすてきなお話。まずは、伊那食品の塚越寛社長の経営哲学の本を、しっかりとまとめたいとおもいます。

【きょうの写真】三二良先生(右)といっしょに、栗の木テラスにて。
 2003年12月31日(水)  愛の献血、行ってきましたー
kako/2003_12/1031131215858.jpg
今年最後のこんにちは、です。

朝、神棚を掃除しました。

朝10時、玄照寺さんへ行って1時間ほど、今晩の除夜の鐘のときのお灯明の準備を、お寺の青年部の仲間とやりました。

終えてから、車で長野市へ。日赤血液センターへ出向いて、献血をさせていただきました。数日前に職員の人から電話があり、「1月2日にある病院で大きな手術があり、O型の成分献血が必要です。31日にお願いできますか」と言われ、お約束していたものです。

献血のまえに血小板を成分献血するための検査をしていただいたところ、「血小板の数がたいへん良好(多い?)ですね、ばっちり、すばらしいです」とのこと。血液をほめられたのははじめてですので、けっこういい気分でした。45分ほど、リクライニングの椅子に身を預けて、小型のテレビを見たり、居眠りをしたり。10数台の椅子を見渡すと、20代を中心に男女ともお若い人たちが目立ちました。

お正月早々に手術を受ける人がいらっしゃる。その人の身にはなれませんが、こうして献血ができることの幸せを、じんわりと感じました。感謝ですよね。

終えてから帰宅して机に向かい、森の”聞き書き甲子園”と塚越社長の本の編集。お庭の屋敷神さんの石の祠を掃除しました。

夜は、お神酒でみんなで乾杯して、鮭を肴に一杯。それから飯田郷元神社へ参って、火の当番。いま、帰宅しました。これから11時ころまで執筆編集をして、自転車でふたたび玄照寺さんへ。二年参りのお灯明やお酒のご接待をさせていただきます。たぶん、200名くらいのみなさんが、鐘を突きにこられることでしょう。

終えてからのお寺さんでの酒宴が楽しみです。帰宅は2時ころ。あすは朝10時から、隣組の新年会。お昼寝をしてから夜まで、執筆編集です。おかげさまで文屋は満5年を経て6年目へ。意義を感じるたくさんのお仕事をいただき、こんな緊張感のある年越しははじめてのことです。来年もますます充実した、楽しい、明るい、面白い、健康な、仲の良い、幸せな日々になることを願います。

みなさん、ほんとうにありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。(年賀状、きのう、書きあげて投函しました。700枚。送れなかった人も大勢いらっしゃいます。こんなにもたくさんの人たちに支えられている自分。年賀状というのは、おかげさまを感じるいい機会ですね、あらためておもいました)

【透玄きょうの一句】湯の里やオリオンは身を温めリ

【きょうの写真】献血記念でいただいた、”ナースキティーちゃん”のクリアファイル。色はピンクです。ほかにシャーペンとボールペンセットも。成分献血は2週間に一度、できるのだそうです。

戻る