Monochrome-Monologue
2004年1月
2004年1月1日(木) 馬鹿のすっぱだか
みなさん、あけましておめでとうございます。
平成16年、2004年のスタートですね。
つぎの詩、いく篇か、いまのあたしの気持ちを語ってくれている気がします。関口江畔という長野県佐久に生きた農民詩人の作品です。1954(昭和29)年に90歳で亡くなられた方ですが、かざらない、土から生えたような作風がとっても好きです。『老農詩集 今日の心』(杏の里板画館発行、板画・編集:森獏郎さん)より。
「捨身」
人生は到る処に
関門がある
次から次とある関門
ここを通過するには
すっぱだかになって
大手を振って通ることだ
「こういう人に」
両手をひろげている人に逢いたい
昨日も‐‐
今日も‐‐
明日も‐‐
両手をひろげている人はいないか
「坂本還源」
大きな馬鹿にならなければ
世の中が明るくならないそうだ
何も彼もあちら任せに
根気よく
土と親しんでいる
聾の爺さんは
強い口調でそう言った
「俺は静かに」
鳥は飛ぶ
獣は走る
俺は静かに
歩いてゆく
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きょうは午前10時より、隣組の新年会。
昼過ぎより、森の”聞き書き甲子園”の取材準備と塚越社長の経営哲学の本の編集を始め、深夜まで。
新年早々、自分が「人を責め、人の心を踏みにじり、義理を欠いていた」過去のできごとに直面する体験をしました。自戒、反省、お詫びの気持ちで一杯です。
今年一年、おもしろい日々になりそうです。
【きょうの写真】上)森獏郎さんの板画「坂本還源」(前掲書より)
下)昨夜、玄照寺の二年参りのときに作って灯した、雪の灯ろう。サラダボールに雪を詰めて作った半球を二段重ねにして、てっぺんからろうそくを指してできあがりです。
2004年1月2日(金) みーんな集まって新年会、でした。
みなさん、こんにちは。
初夢はいかがでしたか?
あたしの初夢は、パソコンに向かってなにかを書いている場面でした。きっと、締切間近の原稿におわれていたのでしょうな。今年も多用になるよ、という前向きな夢であると、信じております。昨夜は3時まで机に向かっていたので、夢というより現実に近かい現(うつつ)状態のような気がしますけど・・・。
朝から、森の”聞き書き甲子園”と塚越社長の経営理念書の編集で、午後3時過ぎまで、缶詰状態で集中していました。・・・やっぱりあれは正夢、ですね♪
4時より、わが家の恒例の新年会でした。
あたしは三人兄弟の長男でして、二人の弟の家族と、父の弟と妹の家族が集まってくれました。わが家もあわせると、16名の宴会です。料理は、刺身(2,500円×3皿)を買ってきたほかは、みんな妻朝子の手作りです。お酒はビールに地酒に五一ワインという信州塩尻のお品〈白・レッド)、焼酎少々。そしてわが家のりんご園で採れたフジりんごを母親が仲間としぼってくれたりんごジュースでした。これ、香りも甘さもばっちりでっせ〜。
盆と正月、春秋の鎮守の森のお祭りの計4回。多少組み合わせや人数を変えながら、こうした祝宴を開きます。10数名のためのたくさんの料理を作ってくれる妻に、感謝しています、はい。もちろん、素材の野菜のほとんどを畑で作ってくれている母親や、手伝いをしてくれる弟の奥さんたちにも。こうして家族、親類みんなで仲良く集まって談笑できることは、わが家にとっていちばんの幸せの原点なのだと、つくずくおもいます。有り難いです。
けっこうお酒をいただいたのですが、ウコン茶を飲みしま飲んでいたためか、あまり酔いが残っていません(ほんとに効くのかも、カンゾー君に♪)。
夜は、元旦に届いた年賀状のうち、あたしの方からまだ出していなかった人約30名への年賀状を書きました。
【ことしの課題1】住所録を日々更新すること。そして、お便りを作って発送するなど、活用すること。
【透玄きょうの一句】北向きの山の皺(しわ)まで初日の出
【きょうの写真】上)料理づくり中の朝子(右)と母
下)一族郎党勢ぞろいの図です。
2004年1月3日(土) 自転車 初乗りしました
午前中は、昨夕からの新年会で泊まってくれた、二人の弟家族とにぎやかにすごしました。午後は、編集の仕事のかたわら、運動とお掃除に汗を流しました。
まずは自転車の初乗りです。
あたくしの愛車は、ルイ・ガノというカナダの自転車乗りの名を冠したものでして、一昨年、ちょっと奮発して求めました。マウンテンバイクのフレームですが、タイヤはロードタイプ。ギアは8段変速。色は明るいオレンジです。昨年はこいつといっしょに、野尻湖という湖まででかけました。往復50キロくらい。今年はもうすこし長距離に挑むつもりです♪
昨年の元旦にも書きましたが、あたしの家は、自転車乗りにはとっても恵まれております。家から5分ほど走ると、千曲川右岸の土手に出ます。この土手は、小布施町の須坂市境から、高速道に平行して北へ走り、中野市境までつづいています。全長5キロ。なんとこの道、自動車やバイクは原則禁止。自転車と歩き専用の一本道なのです♪
自宅からこの土手を往復して自宅に帰ると、12キロになります。おおむね50分で帰ってこられます。往復のあいだに、ひとつも信号がな〜いんです。すごいでしょ!!
土手と高速道の間は平均30メートルくらいありまして、八重桜の草原(くさはら)になっています。自転車を降りて、草のクッションの上を走ったり歩いたりできます。
調子のいいときには、中野市から豊田村へ足を伸ばします。これだと、往復25キロになります。豊田村は、ご存知「ふるさと」の高野辰之先生の生誕地。いまもそののどかな雰囲気が残っている村です。
きょうは、12キロコースを走りました。途中、八重桜の草原をジョギング。たっぷりと汗をかきました。
家に戻ってから、わが愛車と母のと、子どもたちの自転車を、掃除しました。汚れたまま年越ししてしまって、すまんかったです、自転車さんたち。そのあと、靴3足を磨いて、ふたたび仕事部屋へ。
夜には家で縄跳び200回(最近始めました)とダンベル体操・・・なかなかの一日でございました。
【透玄きょうの一句】三が日暖炉に赤き去年(こぞ)の薪
【きょうの写真】初乗りのまえに、自宅の庭にて。おかげさまで、元気です。
2004年1月4日(火) ブドウ棚の大雪被害
きょうは朝から仕事場にて、森の”聞き書き甲子園”の執筆に専念しておりました。
お昼休みに、きのう、きょうと届いた年賀状の束を読んでいて、一枚の年賀状に目が留まりました。小布施町の鈴木智彦さんからのものです。鈴木さんは、巨峰ブドウの「鈴木葡萄園」を奥さんと営んでいる、まだ30代の若手農業者です。3年ほどまえに取材で知りあいました。休日や放課後には、息子さんと娘さんも進んで畑に出て、お手伝いをしている、すばらしい農家だと、感心しています。
年賀状には、ご家族の写真が数点。その空きスペースに書かれていた手書きのメッセージには、「大雪で50アールのブドウ園に被害を受けました。自然の力の大きさを、またひとつおもい知らされました。心機一転、がんばります」とのこと。お正月まえに、北信濃を襲った大雪の被害は、ブドウなどのビニールハウスや、ブドウ棚の支柱、そしてブドウの枝や幹にも、大きな被害をもたらしています。量が多かったうえに、水分を多くふくんだ雪であったことが、被害をいっそう大きくしました。
鈴木さんのお宅だけではないのですが、いつも元気で前向きな鈴木さんだけに、早く立直ってがんばっていただきたいとおもいます。
わが家の栗園の若い栗の木も、枝や幹にずいぶん被害が出ました。
あす5日と6日は、森の”聞き書き甲子園”の取材で、秋田県角館町へ行ってきます。聞き書き作家で小説家でもある塩野米松さんのご自宅を、プロデューサーの久田浩司さんとお訪ねして、インタビューをします。夜は地酒とキリタンポ鍋、かな?では行ってまいります♪
【きょうの写真】「日常への礼賛」と題した美術展のポスター。軽井沢の西・御代田町のメルシャン美術館で99年に開かれました。副題は「誕生から300年。再発見されたフランドル・オランダ絵画」とあります。図柄は、村祭りの絵です。
17世紀はじめ、日常生活と絵画が出会い、画題とスタイルに革新的な変化をもたらしました。あたくしは、この美術展「日常への礼賛」から想をいただいて、「美日常」ということばに出会いました。
ボードに貼っていただいて、自宅仕事場の入口に掲げ、毎日眺めています。
2004年1月5日(月) 秋田角館へ
小布施駅発、朝6時台の電車で長野駅へ向かい、新幹線で大宮へ。大宮にてプロデューサーの久田浩司さんと合流して、東北新幹線にて秋田県角館町へ向かいます。
ご当地生まれの作家・塩野米松さんをお訪ねして、森の”聞き書き甲子園”の取材を行い、一泊して6日夜に帰宅いたします。
角館は、北東北の小京都とも呼ばれ、武家屋敷や川沿いの桜並木などで有名です。ちょっと散策も楽しもうとおもいますが、あすは雪が降るようですね。それもまたよし、です。
【きょうの写真】自宅の庭の木の枝に、年末からリンゴが、いくつも差してあります。冬になると鳥たちは、餌が雪におおわれてしまい、食糧難になるようです。母は毎年、この時期になると、こうして鳥たちのためにリンゴを用意します。今年は、先日の大雪が消えかけてまだら状態になり、餌不足が深刻ではないようで、まだついばんだあとはありませんが、ひと雪来れば、きっとオナガやスズメなどが集まってくることでしょう。
お茶を飲みながら居間で、あるいはキーボードを打ちながら仕事場から、その光景を眺めるのが好きです。
この場所は、庭の屋敷神様の石の祠(ほこら)のまえです。この祠、すでに200年くらい経っているそうです。いつもあたしたちの交通安全を見守ってくれています。朝のお参りのほか、出かける前と帰ってからお参りをするのですが、あたしは「いい出会いをいつもありがとうございます」ともお願いしたり、お礼をしたりしております。ご利益は・・・ばっちりです。だって、みなさんと出会えたのですから、ね♪
2004年1月6日(火) 作家の塩野米松さんをお訪ねしました
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5日、新年はじめての旅に出ました。
秋田角館町へ、作家の塩野米松先生をお訪ねしたのです。長野発7時台の新幹線に乗って、大宮にて久田さんと待ち合わせ、秋田新幹線こまちに乗って、角館へ直行。駅に着いたのは12時過ぎ。おおむね4時間で、信州から秋田へ着いてしまうのですね、近いちかい!
車内では、久田さんと取材の打合わせをしたり、だべったり、本を読んだり、居眠りしたり。
ふつうの田舎町ですが、ここはかつては1万石の城下町。武家屋敷が現存する町ですから、小布施などにはない歴史と伝統の格式を感じます。「地力」があるなーとおもいました。くわえてですね、秋田美人というように、色白の美人さんが多いような気がいたしました(気のせいでもないような)。
本題の塩野さんの仕事場は、駅から歩いて15分。春には堤に桜がいっぱいに咲く川に面した、木造の家です。
塩野さんは、目先の結果(仕事やお金)に結びつかなくとも、取材をしておく値打ちがあると判断したならば、時間やお金や手間や労力をおしまずに”投資”しておくことの大切さを語られ、それが印象に残っています。
塩野さんの著作は、つぎのサイトをどうぞ。
http://www.ehon.info/whoswho/YonematsuShiono.html取材対象によっては、3年も使って通いつめ、またイギリスへも出向いてカメラマンの費用も自分で持って、資料を集め、文章にして、それから出版社と話しあうことも、しばしばなのだそうです。つまり、出版社が本にすると決めなければ、それまでの苦労は「出版」という成果になりません。そうならないために、また出版されたときの評価もしっかりと見通せる力、アンテナの感度が求められる仕事なのだとおもいました。
これは、どんな仕事にも、通じることでしょうかね。
3時間ほどの取材を終えて、久田さんと宿に戻り、それから近くの温泉へ。もう一回宿に戻ったところで、塩野さんがロビーに来てくださり、いっしょに夕食に出ました。
「むさ咲」という名前の家庭料理屋さん。塩野さんは常連さんのようでした。きりたんぽ鍋に地酒。燻製のタクワン「いぶりガッコ」と、ハタハタのお寿司・・・新年から、うれしーーい、旅の夜となりました。ほのぼの♪
6日は、武家屋敷の町並みを歩いてから、塩野さんの仕事場を再訪して、打ち合わせ。お昼は久田さんとふたたび「むら咲」ヘ行って稲庭うどんをいただき、和菓子と地酒のお土産を求めて、秋田新幹線こまちに乗りました。こんどは桜が満開のころ(4月25日から連休まで)に行きたいとおもいましたが、「100万人も一気に訪れるので、冬の静かな風情はまったくないよー」とのこと。角館は、傷心のおもいでもある町ですし(東京の学生時代、ある女性のふるさとでござんした)、やっぱりこんども静かな季節に再訪したいとおもいます。
【きょうの写真】上)塩野さん宅でインタビュー中の塩野さん(左)と久田さん
下)むら咲にていっぱいいただいて、よいよい気分の三人です。あーおもしれかった、おいしかった、あったかかったー。
2004年1月7日(水) 伊那のかんてんぱぱさんへ
昨夜は深夜に帰宅したにもかかわらずー、ですね、今朝は5時に起きて、朝のお祈りをしてから6時半に車で家を出て、高速で伊那市へ向かいました。南信州の伊那まで車で2時間半。9時前にかんてんぱぱ本社に着いて、塚越寛社長と面談。びっちり3時間、経営理念の本の原稿についての、集中個人授業を受けました。
伊那食品さんは、12月決算の前年度も過去最高益を記録しました。年輪のように自然にゆっくりと確実に大きくなる、永続経営を進めてこられた塚越社長の本は、きっと3月には発刊となることでしょう。ただ、本来の目的は、会社の後継者である若い人たちへのメッセージですから、当面は非売品にて発行することになりました。
本社のあるかんてんぱぱガーデンにすこしまえに完成した写真ギャラリーの喫茶室にて、塚越社長とおにぎりお昼をいただいて、取材は終了!
帰路、高速の途中のPAに駐車したら急に眠くなり、1時間半も寝てしまいました。
帰宅してから深夜まで、森の”聞き書き甲子園”の執筆に専念。ところが!メールの受信が途中で止まってしまい、ふなだ電気の船田悦雄さんにSOSして来ていただきました。どうやらPC本体に問題はなさそうだということで、こんどはインターネット関係でお世話になっている林映寿さんに電話。「すぐに参ります」ということばに甘えて、来ていただき、対処していただきました。時刻は夜11時過ぎ。お二人とも、いつもすみません、ありがとうございました。
【きょうの写真】伊那食品さんのかんてんぱぱガーデン。アカマツとサツキを中心にした広大な庭です。毎朝8時前から、社員全員がほうきをもって掃除をされています。日曜日でも、雪が降れば自発的に掃除に来るのだそうです。その士気、やる気の源泉は?それは本をお読みくださいね。
2004年1月8日(木) 森の”聞き書き甲子園”、執筆中です
朝8時半に家を出て車で長野市の宮本忠長建築設計事務所へ。そう、あの小布施の町並みをプロデュースなさった建築家のお仕事場です。
「信州名匠会」という職人集団の年二回の会報を制作すお仕事をいただいておりまして、その新年号の編集会議をしました。
それから、「俳人喜多牧夫」の編集打ち合わせのために、稲田美恵子さん宅を訪問。俳人の高橋宏和さんにばっちりぎっちりと校正をしていただいたゲラを受けとりました。感謝。
それから小布施堂の傘風舎へ。上田市の経営者・新村均さんと待ち合わせて、1時間半ほど、二人で語り合いました。新村さんは、50代半ばのテニス人。地域の子どもを世界に通用する一流のテニスプレーヤーに育てようという大きな夢のプロジェクトの入口に立とうとされています。あたしはなんの力もないけれど、新村さんの夢となんらかのかたちで、いっしょに歩んでいきたいなとおもいました。話しているうちに、小布施堂社長の市村次夫社長が合流してくださって歓談。帰宅。
午後は、森の”聞き書き甲子園”の各論部分の執筆に専念しました。山形の朝日連峰”最後の猟師”といわれる熊撃ち名人の志田忠儀(ただのり)さんと福島県の高校生・武地葉子さんの話を、原稿に書きあげました。
【きょうの写真】雪の北斎館まえです。夜、冬、路地、そしてまわり。小布施の魅力は、これらの鍵ことばの裏に潜んでおりますんです♪
2004年1月9日(金) 月が冴えています こころ温んでいます
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みなさん、こんにちは。
きょうは終日、仕事場で執筆しておりました。森の”聞き書き甲子園”の関係です。高校生が森の名人を訪ねて話を聞き、名人の技や暮らしや人生を5,000字の文章に描く事業。2年前から毎年100名、100組が対面して、聞き書きに仕上げます。いまは2年目の事業が進行中です。ただいま取りくんでいるのは、この事業の意義や魅力を一般のみなさんにお伝えするのが目的です。楽しくて、読みごたえ、見ごたえのある本になりそうです。
発刊は3月、東京の出版社「ウェッジ」さんから出ます。そのためにーー、いまは執筆、そして編集に専念です。この本が終わったら、子どもたちとスキーをして温泉に入って、本を読んで、それから一人で数日間の旅に出ようとおもいます。
ところで今夕、ご近所の電気屋さんへ行って30分くらい、おばさんと話をしました。60代後半のそのおばさんは、旦那さんと長男と、旦那さんのお母さんと暮しておられます。お母さんは97歳。すこしまえに転んで身動きができなくなり、いまは介護保険を受けながら、町のデイサービスに通っています。
おばさんは、ふだんは仕事をしながら、夕方から夜、朝まで、おかあさんを介護しています。おもな仕事は、食事と夜は2時間に一回の寝返り(布団の上で、体の向きを変える)をしています。おかあさんは、からだは不自由になりましたが、頭はしっかりされていて、耳も目も大丈夫。夜、寝返りを打ちたくなると、おばさん(お嫁さん)を呼ぶのだそうです。そのたびに、「わるいなー、お世話になって、ありがとうね」と言ってくれるとのことです。
あたしが「長時間の熟睡ができなくてたいへんですね」と言うと、おばさんは、「一人息子のところへ嫁に来て、兄弟もいなくて楽をさせてもらったし、おばあちゃんにもよくしてもらったんだもの。ありがとうって言ってもらえるだけで、力がもらえるんです。不思議と疲れないんですよ」と笑顔を返してくれました。
「ありがとう」。いますぐに言えて、ただで言えて、すぐに相手のこころをあったかくできる、力のあることばですね。ほのぼのとしてきました。外へ出ると、すこし欠けはじめた丸みのあるお月様。「月」のある星に生まれたことに、静かな感謝の気持ちが湧いてきました。寒空の月。その光に、冬の夜ならではの力がみなぎっているようでした。
そこで、
【透玄きょうの一句】凍て月やあかりちぢめて放ちをり
【きょうの写真】5日、秋田角館のご自宅仕事場にて、あたしたちのインタビューに答える、森の”聞き書き甲子園”のリーダーのお一人、作家の塩野米松さん。若いときからの「蓄積」の大切さを教えていただきました。かんてんぱぱ塚越寛社長の座右の銘である、二宮翁の「遠きをはかる者は富む」の教えを、おもいだしました。
2004年1月10日(土) 東京・鎌倉へ出張です
こんにちは。
きょう10日朝6時長野駅発の新幹線にて上京します。朝9時から、新宿の澁澤寿一さんの事務所で澁澤さんにインタビュー(久田プロデューサーと)。お昼に終えて鎌倉へ上り、こころの勉強会に参加します。
それから東京に戻って、宿のアジア会館(赤坂)へ。香川の文筆家・三原美香さんと、御代田のアーティスト・中村仁さんと合流して、打ち合わせ、と称した飲み会です♪
2004年1月11日(日) 甘ーい柿の種のお話です。
きょうは、朝9時から広尾の久田さんの会社にて、4名で森の”聞き書き甲子園”の本の執筆編集デザインの会議を、びっちりと午後まで。それから美術館の見学と買い物などをして、夜、帰宅します。
くわしくは、また帰ってから書きますね。
【とりあえず、きょうの写真】みなはん、甘い柿の種をご存知でしょうか。あたしははじめて知りました、最近。仕事仲間の中島敏子はんが、母校新潟大学の仲間と会うために新潟へ行き、オミヤに買ってきてくれたんです。その名は「ホワイト柿チョコ」。「柿の種は辛しょっぱいもんだろーが」とおもいこんでいたのですが、そしてそのおもい込みは、すこしまえまでは世界標準だったのでしょうが、いまは違います!!
あの柿の種を、ホワイトチョコで包んであるんです。パッケージはカラーで、茅葺き屋根の民家の庭で、子どもたちが縄跳びやタイヤ転がしをしていたり、お馬さんが荷物を引っぱっていたりする、ほのぼの系のイラスト。このお馬さんの荷物は、新潟産のおいしいお米で、それを町まで運ぶという物語なんですって。
裏を見ると驚きです。柿の種とチョコの組み合わせを「素敵なミスマッチ」とミスマッチをみずから認めておいでなんです。しかも「柿チョコ」という姉妹品まで出されているではございませんか。
製造者の浪花屋製菓株式会社さんは、柿の種の元祖なのだそうです。やりますねー、元祖さん!
で、お味はどうですかって?いえ、まだ食べておりません。もったいないので、もーちょっと、このミスマッチさを目で楽しんでから、いただきたいとおもいます。
で、浪花屋さんのホームページをご紹介しますね。
http://www.naniwayaseika.co.jp/さらにびっくりしたことに、「元祖 浪花屋の柿の種のテーマソング」なるものが存在し、しかも6番まで菓子、じゃなくって歌詞があり、それを聴くことができるんですよ、みなさん。ではどうぞ♪
http://www.naniwayaseika.co.jp/09-song/09.html
2004年1月11日(日) その2 いま帰ったよー♪
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みなさん、こんにちは。
先ほど11日午後7時過ぎに、家に着きました。
昨日は、新宿にて澁澤寿一さんのインタビューと神田での鳥料理のお昼(ごちそうさまでした)、それから鎌倉へ参って勉強会をして過ごしました。夕方、定宿のアジア会館(赤坂)にチェックイン。お正月キャンペーンとのことで、一泊なんと3,980円でしたー。ごきげん。
前回泊まったとき、とってもたいせつなお写真を部屋におき忘れ、それを探して届けていただきました。そのお礼で、近所の八百屋さんにてイチゴを求めて、フロントの田中さんに手渡しました。小さな宿の家族的なところと安いところ(普通7,500円くらい)、便利なところ、外人さんが6割くらいいるところなどが気に入っています。
香川から見えている編集の三原美香さんと、御代田から来てくれたアーティストの中村仁さんと合流して、「夕飯どーしよう」と相談。あれやこれやと話し合った結果、「有楽町のガード下で飲もうやないか!」ということに決着。地下鉄で花のお江戸の地下をつっきって、日本一地価の高い銀座駅へ。それからのことは、なーいしょ、じゃなくて、あすかあさってに書きますね。
デジカメを持っていくのを忘れてしまったのです。でも三原さんが、ケータイのデジカメで撮ってくれたので、きっとメールで送信してくれるでしょう。それからアップしますね。この画像は、、、いいよー♪
ガード下ですもんで、飲んで食って3,000円で済んだことを、ご報告いたしておきますね。こんどみんなで、ツアーしましょうか?!
きょうは、森の”聞き書き甲子園”の編集デザイン会議のため、朝9時から広尾の久田浩司さんの事務所「スペース・ポート」にて、4名で会議を午後4時まで、びっちりやりました。いい本になりそうです。これから2週間は、この本の執筆と編集に専念、ですねー。
宿を出るまえ、朝5時半に目を覚ましたあたしは、シングルルーム内にて柔軟とかフッキンとか深呼吸とか、運動をして、着がえて、マフラーにジャンパーを着て、からっ風のつべたい屋外へ。赤坂、乃木坂、明治神宮外苑などをほっつきあるいて、冬の早朝のお江戸を散策いたしました。汗びっしょりになって、お風呂に入りました。
乃木坂では、乃木大将の神社境内にて、骨董屋さん10人くらいがお品を並べておられました。お値段を見ると、けっこう手が出そうなものもあるので、衝動買いするのを恐れて、退散しました。
見物しながら、長野県内の、とある骨董屋さんで気に入った、木彫りの御猫様・・・彼女(と勝手にメスと決めている)は、いつもずーっとじっとして(あたりまえか)、目を閉じているので、「そんなにあくせくするなや、ゆたかちゃんー」というメッセージ猫だとおもい、「ぼちぼち御猫様」と命名している、でも12万円もするもんで買えないる彼女のことを、おもいだしておりました。大きなお仕事を終えてご入金をいただいて、支払いをぜーんぶ済ましたら、迎えに行くからね(いつになるんだ?いやもうすぐだよ、きっと)。
あすは小布施の冬のお祭り「安市」とむらの鎮守のどんどん焼きです。安市では、商工会の「ふるまいトン汁・地酒」のコーナーの奥のほうで、トン汁の大鍋の火焚き当番をしております。全身真っ黒けになる楽しくてうるわしいお仕事です。それと、お練のときに「祝い舟」からまかれる、商工会員からのプレゼント大会に、なんと、あたしの「文屋文庫第二巻」が一冊ずつ10名様にあたる紙が入っております。ほかにもすってきなプレゼントがたくさんですよ(たとえば、造園のさつき苑さんは、鉢物50名さま分とか♪すごーい)。声、かけてくださいね。
【きょうの写真】上)早朝の南青山のホンダのショールーム(左)より。東の空に、白いお月様が浮いておられました。
下)11日午後4時過ぎの、東京駅です。右に「とうきょうばなな、みーつけた」のお菓子売り場がございます。こんな混雑、好きになれませんな、なんど行っても。
2004年1月12日(月) なまの火、生の火
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きのう、きょうと、小布施の安市というお祭りがありました。商工会館の庭で、振舞い酒(小布施の蔵元4軒が提供した地酒を、木樽でブレンドして供します)とトン汁を無料でご奉仕するコーナーがあり、あたくしは毎年、トン汁の大鍋の火焚き当番をおおせつかっております。といっても責任者なのではなく、地域振興部という仲間の部長さんをはじめ部員さんたちの下で、働く立場です。
朝7時半に会場へ行って、火を起こしたり、鍋に水を張る仕事をやったあと、9時にはむら(わが飯田区)の鎮守の森(飯田郷元神社さま)の庭で夕方から行う「どんど焼き」の準備のために公会堂へ。
小学生の子どもたちといっしょに(あたくしは小中の育成会長さんなんです)軽トラック3台で、達磨さんを集めに歩きました。飯田は70数戸のむらでして、そこを一軒一軒歩きます。
家の玄関先に、達磨さんや去年のお札、書初めの書がなどが出してあります。玄関で挨拶をすると、家の人が、お年玉袋を手渡してくれます。このお金は、毎年数万円になり(相場は一軒500〜1,000円)、育成会の資金源になっているんです。
軽トラック3台は、荷台を一杯にしてお宮さんへ。
むらの役員さんたちが、どんど焼きのやぐらを組んで待っていてくれて、そこに、達磨やお札などを積んでいきます。
これを終えてから、ふたたび、”安市の人”になり、前日の盛況で足りなくなったトン汁のカップ2,000個を買いに、長野市の市場団地へ急行。会場へ戻り、火焚きを始めました。生の火にあおられて熱いのと、煙でけぶいのをのぞけば、北風はなく、お天道様が見えたので、快適なお仕事でした。
掃除を終えて片付けて、午後4時過ぎに解散となりました。
家に帰り、着がえてから、うがいをすると、鼻ものどもススで真っ黒、手の平も爪のなかもススだらけでしたが、”新年の洗礼”です♪これで今年一年は無病息災、でしょう、と願います。
30分くらい、こたつでうとうとしてから、ふたたびお宮さんへ。むらのどんど焼きをして、なまの火の勢いを体中で受けとめて帰りました。
すっかり冷えたからだを、家の暖炉のなまの火が温めてくれました。
むらとまちの歴史と人、そして生の火に抱かれた、至福の一日でございました。合掌!
【きょうの写真】上)むらじゅうから集めた達磨などを、やぐらに積んで満足そうな、飯田の小学生たち、全員。
飯田のお宮さんは、諏訪大社の末社”お諏訪さん”ですので、今春の春祭りは、共有林から伐採した赤松を引いて、むらの御柱際を行います。前回、あたしは、木遣りをやらしてもらいました。
下)トン汁の火焚き当番姿のあたしと、地域振興部長の関口実男さん(右。愛称:じっちゃん。御商売:司法書士、公職:町の議員さん)。右下になまの火が見えますね(撮影はあたしの小学校の同級生で役場職員の田中助一さん:愛称はすけちゃん)。
2004年1月13日(火) 有楽町のガード下です
みなさん、こんにちは。きょうの小布施はうす曇です。
きのうの安市とむらのどんど焼きの疲れがないといえばうそになる、朝を迎え、仕事場で書いております。
きょうは、午前は仕事、午後の後半はスポーツとおんださん(はり・マッサージ)へ参ります。
ところで、10日夜の有楽町のガード下で一杯やったときに、讃岐(香川県)の編集者・三原美香さんに携帯電話のデジカメで撮影してもらった写真が届きましたので、掲載させていただきます。
みんな、こんど、有楽町のガード下ツアー、しませんか?
【きょうの写真】上)アーティストの相棒・なかむらじんさん(右。御代田町在住)と。乾杯直後の至福の表情でございます♪
下)ガード下の「まんぷく食堂」前のコンクリートの橋脚の壁に貼ってあった、にっかつとかの任侠モノの映画のポスターです。
2004年1月14日(水) 贅沢はいけませんよ。
きょうは、仕事場にて朝から森の”聞き書き甲子園”の編集と執筆に集中しておりました。午後5時より7時半まで、となりの須坂市にあるKEIトラベルという旅行会社を訪れ、社長の芋川恵子さんと、友人の山岸三千代さん親子と4人でお茶飲み話に興じました。
山岸さんは、須坂市郊外の田園地帯にお店を構え、「ありがとう」という名前の化粧品と、海岸の石を使ったエステのお店をなさっておられます。山岸さんのお店には16日に遊びに行くことになっていますんで、帰ったら書きますね。それまで、お楽しみに(エステ、しちゃおかな♪息子にはキモイ!と言われるに決まってるけど)。
朝日の朝刊に「聞き書き 繰り返し見る夢」の連載。今朝は、中国文学者の白川静さん(93歳)。
「健康のために、随分節制はしている。老人食にして、朝と夕、郵便を出しに歩いて行く。贅沢(ぜいたく)は絶対いけませんよ」。
はい、こころにしみます。
きょうは、写真なしにて、すみません。
2004年1月15日(木) 湯布院の中谷さんのことば
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みなさん、こんにちは。
信州北部の山沿いは大雪、との予報が流れるなか、朝9時着をめざして、隣村の高山村五色温泉に車で向かいました。山間部に入ったとたんに雪になり、渓谷沿いは、川から吹き上げるような竜巻状の吹雪になっていました。
朝9時、五色の湯旅館のあるじ・水野茂さん(84)と面談。このことは後日、くわしく書きますね。ところで、このお宿にて、温泉ジャーナリスト&冒険家(!)の野口悦男さんに初対面いたしました。TBSの取材で、かわいいおねえちゃん二人と、屈強そうな体躯の男性スタッフ数名といっしょに見えていて、野天風呂に入ってらしたようです。
お昼に一人で、さらに山へ足を伸ばして、山田牧場スキー場のレッドウッドインへ行き、カレーをいただきました。あるじの兼平緑さんによると、お正月は期待を大幅に下回る入りこみであったとか。どこのスキー場も、特色のある雰囲気や施設やイベントなど、趣向を凝らしながらも、集客や収益面での課題は大きいようですね。
最近は、冬になっても、テレビにスキーの映像が流れることが、極端にすくないようにおもいます。どうしたものでしょうね?3年前に『ベーシックノート志賀高原』を発行したあたしとしても、気になる課題です。
帰宅すると、メールに、知人の静岡県職員・溝口久さんから、お便りが届いていました。このあと、転載させていただきます。
=====以下、溝口さんからのお便りです=====
■自分の速さで歩くこと
人材育成ゆふいん財団顧問 中谷健太郎
「そういうものに」
ふと気がついたら 正月になっていた
風に吹かれて 露天風呂にはいった
雪の積もった 初春の由布岳が見えた
ふんわりと 湯気が流れていった
今朝方、どうやら初夢をみた
「頑張らんでもいい」と、東北の県知事が言い、
「そのとおり」と、私が答えた
頑張って、人に差をつけることはない
頑張って、人に追いつくことはない
頑張って、人を追い抜くことはない
大事なことは「自分の速さで歩くこと」だ
自分の速さで歩けば、周りの風景がさんざめいてくる
水がさんざめき、光がさんざめき、
自分がさんざめく
もちろん人々がさんざめく
世界がさんざめいて、やさしく輝き始める
頑張らない光のオーロラ
周りの光りを受けて、自分が光り始める
周りの人の速さを褒め
周りの人の涙を拭い
周りの人の幸せを祝う
「正義」という、怪しげな旗を立てず
「国益」という、わがままな利益に加担せず
「発展」という、とめどない幽霊に惑わされない
「希望」と「安心」を前、後ろに振り分けて、
悠々と自分の速さで配って歩く
さんざめきながら配って歩く
そういうものに私はなりたいと
二千四年の初春の午前九時、
露天風呂の中でぼんやり考えている。
=以上です。溝口さん、ありがとうございます。=
【きょうの写真】上)中谷健太郎さんです(溝口さん提供)
下)先日12日朝、どんど焼きの達磨集めの途中で、むらのお地蔵さんの赤い頭巾が風で落ちていたのを拾って、かぶせてあげている、飯田のむらの女の子たち。むらには、東と西に一体ずつのお地蔵さんが立っています。むらびとは、そのまえを通るとき、軽く、あるいは深く、おじぎをして、家庭や交通やむらの安全を祈っています。この子たちにもその伝統というか、こころはしっかりと、受けつがれているようですね♪
2004年1月16日(金) あったかい石でエステをする
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朝から森の”聞き書き甲子園”の本の執筆をつづけました。まだ原稿完成までに一週間はかかりそうです。一文字ずつの積みかさね、やりがいは十分のお仕事です。
午後、となりまち須坂市郊外にある「ポリアンナ・ステイション」という化粧品とエステのお店に行きました。お化粧やエステが目的なのではなく、ここの代表の山岸三千代さんとスタッフのみなさんに会うためです。
まだよく理解はできていないのですが、「つける」から「洗う」への新しい発想の化粧品を開発され、その名称を「ありがとう化粧品」といいます。そして、水を中心にした化粧品の販売と海岸の石をあたためたものと使ったエステをなさっています。
くわしくは、つぎのサイトをどうぞ。
http://www.polyanna-s.com/index.htmlあたくしも、顔だけを、ためしにやっていただきました。きもちいい、表情筋が引きしまる感じ、肩の力が抜ける感じがしました。山岸さんとはこんごおつきあいをいただいて、もしかすると、ごいっしょになにか出版物を創ることになるかもしれません。楽しみです。
帰宅すると、詩人の高橋睦郎さんからお年賀のはがきが届いておりました。高橋さんには、一昨年の晩秋、松岡正剛先生のご紹介で初対面させていただき、その後「いずれ小布施百句の本をつくりましょうね」と語りあっております。
新年にあたしが高橋さん宛てに「小布施の態勢が整い次第、小布施においでいただき、俳句や詩の創作をお願いします」と書きました。
れへのお返事は、「恭賀新春 ものごとにはタイミングということがあります。急がずあせらずとはいつも大切な智恵と思います。どうかお気になさらずお気軽にお出かけを。」と書いていただきました。
高橋さんのお住まいは、神奈川は逗子の海岸に近い桜山にあります。一度伺って、海岸から富士山を遠望するフランス料理屋さんで、ワインとお食事をいただきました。高橋さん、できることなら、今年のうちに、この企画を具体化させたいとおもいます、あせらずに♪
夜、カメラマンの関眞澄さんから久しぶりの電話をいただきました。いまは志賀高原の丸池スキー場にて、子どものためのスキー”保育園”にて、センセをなさっています。元五輪選手の杉山進先生が主催するスキースクールが、今年初めて企画しました。
親がスキーを楽しんでいるあいだ、子どもさんを預かり、ホテルとなりの専用コーナーにて、基礎から優しく教えるのだそうな。子どもはすぐに上達するし、親はフリーに楽しめるしで、初年度ですが予想以上のご利用数だということです。
【透玄きょうの一句】迷ひ雪月のぬくみに溶けにけり(高橋さんとすごしいた宴の席で創ったものです)。
【きょうの写真】上)山岸さんにいただいた海の石と化粧品、奥に高橋睦郎さんからのおはがき
下)10日夜、有楽町界隈をほっつき歩く、あたし(左)と中村仁アーティスト。あやしい。
2004年1月17日(土) 中西進先生の人間塾のため東京へ♪
2004年1月17日(土)その2 湯布院の溝口薫平さんが講演されます 2/25
ふたたび、「しずおかグリーンツーリズム研究所」主任研究員の溝口久さんからのお便りをご紹介します。
このところ、ここ浜松でさえ低温が続いています。
明日は雪がちらつくのではと思われます。
さて、昨年11月18日に放映された
『湯布院 癒しの里の百年戦争』
プロジェクトX 挑戦者たちの一人 溝口薫平さんが浜松で講演されます。
時 :2月25日(水)13時〜
場所: 静岡文化芸術大学(浜松市野口町)
溝口薫平さん:ゆふいん玉の湯会長 湯布院町商工会長 第1回観光カリスマ
2004年1月18日(日) 日本人の生命観を学ぶ塾
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すみません(と、いきなりあやまる)、しばらく書くのをおこたっておりました。森の”聞き書き甲子園”の執筆と編集に専念しておりまして(と、言い訳を言う)、ごめんなさい(と、ふたたびあやまる)。
きのう17日は、中西人間塾の第一期が開講し、その一回目の塾に参加してきました。会場は東京・神田の出版社「ウェッジ」の本社会議室です。東海道新幹線に乗ると『ウェッジ』という車内誌がありますよね。それを出している会社です。もちろん、たくさんの単行本も出版なさっています。
中西進先生にこれから1年間、6回の予定で、お世話になることになりました。この塾のココロは、つぎのサイトをご覧ください。わが愛しのプロデューサー、久田浩司さんが書かれたものです。
http://www.wedge.co.jp/ningenjyuku/index.html一期生は16名。世代間の交流も大きな目的とのことで、20代から60代まで、多様な仕事や経歴の人たちが集まりました。
テーマは「日本人の生命観」です。
初回は、中西先生に古代から中世にかけての死生観や人生観、自然観について語っていただき、その後自由に意見を交換しました。
人見知りをするあたくしは(ほんとかよ?)、2時間、まったく発言をせずに、聞きっぱなしでした。最後に一度発言しただけ。これはいけませんわな。次回からしっかりと発言しようとおもいます。
お昼過ぎまで語りあい、それから神田駅近くの洋風居酒屋へ移動してお昼をいただきながら交流を深め(飲む人は飲み)ました。
それから、久田さんと、近くのルノアールにて1時間半ほど、森の”聞き書き甲子園”の本(この本も「ウェッジ」さんから出版されます)について打合わせをして、帰宅しました。
中西人間塾については、おってまた書きますね。
ひとつだけ。
中西先生は数々の大学で教えてこられたのですが、「これからは塾ですよ。少人数で、とことん議論しあう。それをつづけるといい。みなさん、ここで学んだ内容や塾の運営を、地元にもちかえって、地元で塾を開いてくださいね」と語っておられました。どうしようか。
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18日(日)は、朝から森の”聞き書き甲子園”の執筆に集中しました。
夕方6時より、小布施駅前通りのお蕎麦屋さん「つくし」にて、玄照寺さんの若い人たちの集まり「慕古(もこ)の会」の新年会。お酒をこよなく愛するおっしゃん(ご住職)の葦澤義文さんを囲んで、11名のわけショ(若い衆)が飲んで食べて方って歌いました(歌は『月光仮面』・・・なんでや?)。
店を出て、雪道を気をつけながら、同級生のカズちゃんといっしょに帰路につきました。めでたしめでたし♪
【きょうの写真】上)中西先生。1929年東京都生まれ。大阪女子大学学長などを経て、現在奈良県立万葉文化館長。4月より京都市立芸大学長に就任の予定です。万葉集や日本の精神史の大家であらせられます。
下)塾生のみなさん。右端に中西先生、左に久田さんとその左に、見なれた顔が(めずらしく黙ってるあたしでした)。
2004年1月19日(月) 決めた!ぶら下がり、買おう。
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朝からずーーーっと、森の”聞き書き甲子園”の執筆です。最近ずっとこれなので、書くこともないなーとおもっていたら、見つかりました、書くことが。
あたしの家のすぐ近くのお宅、島田さんのおじいちゃん、正三さんが亡くなられました。97歳でした。専業農家として、リンゴを中心に、まじめにこつこつと畑仕事をつづけた生涯でした。
ここ数年の間、在宅介護とデイサービスを受けられ、すこしまえからは新生病院に入院療養されていました。看病をされていた元雄さんご夫妻、ご一家、ご愁傷様です、そしておつかれさまでした。ゆっくりとお休みください。
午後1時に、ご自宅にて告別式が開かれ、お焼香をさせていただきました。専業農家ですし、ご本人が高齢でもあるので、村人を中心にした静かなお別れの式でした。数百人、千人を超えるような華やかな告別式もありますけれど、「こんな告別式が、静かで、しんみりしていて、いいなー」とおもいました。有名人が「家族だけ、身内の葬儀をすませた」というニュースを聞くことがありますが、その気持ち、わかるような気がします。
午後4時からは週に1度の恩田先生による、はりとマッサージのお時間です。マッサージを受けながら聞く恩田先生の健康談義や世間話が楽しみなのですが、きょうの話題は、「(あたしの暮すむら)飯田は長寿のむらではないですか」ということでした。
そういえば、正三さんは97歳、先日亡くなられた別の島田さんは94歳。ほかに、90〜100歳前後のじっちゃん、ばっちゃんが5名ほど。ほとんどの人が、ボケておらんのです。
しかも、あたしの親戚筋の木下作一翁などは、95に迫らんといういまだに軽の愛車を乗りまわしておられます(急ブレーキ、ウインカーなしの右折左折、しばしばあり)。
やはり90をとうに超えている込山薫翁は、電動車いすに乗って、「上高井」という郷土史研究の本を年2回、あたしに届けてくれるのです。その血色のいいこといいこと♪
そうそう、小林一三翁は、やっぱり95近いのですが、自転車ですいすいと町までお出かけなさってます。
恩田先生によれば、飯田は中世の居館があった土地なので、やっぱり風水的に見ても良好な土地柄ではないか、とのこと。そういえば、小布施町の南西に位置し、日当たりはよく、北風も南風もほどよく受ける場所です。土壌は肥沃な弱酸性。リンゴと栗の名産地です。野菜もうんまい!
「小布施のなかでも長寿なのではないですか?いっぺん、調べてみては?」と勧められました。調べてみようかな、とおもいます。ではまた!
おっと、タイトルの「決めた!ぶら下がり、買おう。」について書くのを忘れてました。
ぶらさがり健康器を、いよいよ求めることにしました。
ぶらさがって、背骨を伸ばしたり、懸垂をする、あの道具です。農協の通販広告に載っていました。お値段は1万円。腹筋用のベンチシートも付いています。名前は「ぶらさがり君」(まんまやん!)。あす注文します。
わが愛しの健康指南役・恩田センセいわく。「木下サンは書き仕事でコンを詰めることが多いから、肩がこるでしょう。ぶらさがったり、懸垂をすると、肩こりがほぐれますよ」とお勧めくださっています。
妻と母に、置き場所は玄関の板の間の奥、という了解も頂戴いたしました。みなさんもいかがですか?
【きょうの写真】12日、どんど焼きの日に、村中を歩いて達磨さんを集める飯田の子どもたち。お宮さんのご利益(りやく)が長寿をもたらしている、のかも、ね。
2004年1月20日(火) 東京はおぎないの場、という東吉さん
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まえにも書きましたが、この文屋サイトを創ってくれたのは、小布施町雁田の浄光寺副住職にしてウェブクリエーター(という呼び方でいいのか)の林映寿(えいじゅ)さんです。まだ20代。あたしの6割くらいしか生きていない人なのですが、人間的には軽々と数段上を行っている御仁です。
その映寿さんにお借りしたままになっている本があります(映寿さんごめんなさい、お返しします!)。
『木村東吉のカントリーダイアリー 至福の河口湖生活』(ベネッセ。在庫切れ)、映寿さんの愛読書です。東吉さん(となれなれしく呼ぶが、会ったことなし)はあたしとおない年の45歳(私は3月18日に45歳)。ファッションモデルであり、アウトドア愛好家であり、料理上手。なにより家族をこよなく愛していて、家族といっしょに河口湖に移住し、暮しています。
http://www.greatoutdoors.jp/そのなかの文章のいくつかを、ご紹介します。
「ボクには東京は毒だ。ときどき毒の刺激が必要になる。2週間に1度、一泊二日くらい。しかし毒だけだと死んでしまうので、3日といられない。(中略)(東京とは)距離を保って暮し、ときどきその毒をちょっぴり味わう。それでいいのですよ。」
「河口湖で足りないことを補うのが東京である。・・・しかし、長居はしない。」
「ウエイトロレーニングの効果はカラダにのみ効くのではない。重いものを持ち上げる。ただそれだけのことだけど、トレーニングの後は、精神まできれいになったような気がする。肉体が美しくなるのは、もはや付録にすぎない。だから毎日の生活に欠かせない。カラダが精神を養っているのだ。」
そういえば、17日(土)の朝日に、デザイナー・プロデューサーの山本寛斎さんが登場。59歳。
「活力やアイデアをどのように生み出しているのでしょうか。」との問いに、こう答えておられます。
「ある種の洞察力には恵まれていると思いますが、ただし、それを運営していくためには体と脳の筋トレが欠かせない。夜にはあれこれいろいろ考え、それを頭にいっぱい詰め込んで寝ます。それで朝早く起きて1時間の運動をして、頭と体に酸素をいっぱい送り込んでから判断します。」
この新聞記事のタイトルは「転換期だからこそ、ド派手に『元気』ショー」「お金以外の幸せに、エネルギーを向かわせたい」
質問「おしゃれの極意は?」
答え「年相応を、全面否定することです。」 いいね〜カンサイさん!
http://be.asahi.com/20040117/W11/0021.htmlhttp://www.kansai-inc.co.jp/というわけで、夜、室内自転車こぎ30分と縄跳び200回、腕立て、腹筋、ダンベルなどをやりましたー。
きょうは、朝から午後まで森の”聞き書き甲子園”の執筆。午後後半は長野市の長野商業高校にて、全国高校PTA長野大会(来年8月)の打ち合わせ会議に出席しました。1万人が全国から集まるのだそうな。
あたし、4月より、長男真風のかよう須坂東高校のPTA会長です。悪さしないように、自重して暮します(むりだろうけど♪)
【透玄きょうの一句】女正月線香ひとつ燃えのこる
【きょうの写真】いま撮ったあたくしと相棒のPCです。こんなアップで、ごめんなさい。たまにはいいか・・・。PC右手には、最近こってるウコン茶を入れた白いポット。ウコンはカンゾウに効くと聞いたもんで。それにしても、眉毛うすいよなー。
2004年1月21日(水) 足首のお話
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21日、きょうは・・・やっぱりずーっと、書いていました、森の”聞き書き甲子園”の原稿を、です。もう少しで完成です。
北海道黒松内町のかんじきづくりのおじいちゃん、渋谷吉尾さんと、渋谷のおじいちゃんを訪ねて聞き書きした、高校生の白木投和さんのお話を、まとめています。書いていて、ちょっとゆきづまったので、エーイ首より下も使わにゃーからだが壊れちまうわい!ということで、愛車に乗りこんで走りました。
愛車とは、あたしの愛しの自転車です。彼女(もちろん女性名詞)は1年半ほどまえに、あたくしのもとにやってきた、ルイ・ガノというブラン名の明るいオレンジの車体です。タイヤには赤のラインが入った、おしゃれな子です。
行き先は、仕事場のある自宅から畑の道を通って、10分ほどで千曲川の土手へ。こちらは南北に直線で5キロもある、自転車専用道路です(人と農耕車もOK)。土手のゆきどまりまで5キロ+折りかえして1キロ走ったところで、降りて、草原を2キロほど走りこみ、また愛車に乗って、帰りました。
往復12キロ、約45分。汗びっしょりです。
で、タイトルの足首のことですが、あたしには15歳のころから、左足首の捻挫癖(ねんざぐせ)がありました。年中行事のように、年に2回は、グキッと音つきの大捻挫をしてしまっていたのです。
2年半まえの春のこと。旅先で歩いていて、また大胆にやってしまいました。このときは、平坦な歩道を、なにも持たないで歩いていたにもかかわらず、やってしまいました。
帰宅して、おんだ整骨院の恩田先生に診てもらったところ、足首だけを治してもだめ、とのこと。
「ではどうしたらいいのでしょうか?」。
「足首はひざから、ひざは腰から、腰は背骨から・・・つまり全体を治さんと足首も治りませんよー」と、ビッシッとやさしく言われました。すなおな(?)あたくしは、「そうですか、それじゃ、完治するまでお願いします」とお願いしました。以来、毎週一回、足首が良くなってからも、通っているのです。
自転車を購入したのも、恩田先生のご指導によるものでございます。
で、おちついて考えてみたら、「・・・背骨が曲がっているのは、どうしてか」という疑問をいだきました。
飲み友だち何人かに聞いたところ、「そりゃおまえ、根性が曲がっているからだろう。腹も黒いからだろうが〜」。・・・聞かなくちゃよかった。
というわけで、おなじころから、鎌倉のこころがけを教えていただける場所に、お世話になっているわけです。
【きょうの写真】あたしの左足首、を載せようかとおもいましたが、だれもそんなもん見たくないでしょうから、おじいちゃんの写真を載せますね。このおじいちゃんが、渋谷吉尾さんです。あす22日は、このおじいちゃんの名言集を掲載します。お楽しみに。
2004年1月22日(木) やった、大山越えたよー
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きょうもきょうとて、森の”聞き書き甲子園”の執筆に専念じゃー。そうしてようやく深夜(つまり23日の午前1時ころ)、渋谷のおじいちゃん(きのうの写真帖をご参照)のルポをかきあげましたー、おめでとさん♪って、だれも言ってくれないから、自分で叫ぶ。
それじゃ、お約束の、かんじきづくり名人、渋谷のおじちゃんの名言集をお届けいたします。
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神や仏に対する感謝の念、何かをして人の役に立ちたいなんていう気持ちから、かんじきを作り始めたんだ。かんじきを初めて見たとき、人間と植物とが大自然の教えの中でともに生きている、共存しているんだなぁという印象を持った。(中略)今から二三年前に「渋谷式」というオリジナルのかんじきを作った。(中略)健康でやっぱり長生きして最後まで社会に対する奉仕の精神がなければならないということなんだな。
大好きなたばこ「わかば」をくゆらせながら、黙々と、「五〜六個作るのに一〇日ぐらいかかる」作業を一足、また一足。「値段はつけません。お気持ちに応じたお礼でいい。それでまわりが、じょーずに動いていくから」。
かんじきの漢字「樏」について。「樏」という字の語源は「衣・食・住」なんだ。分析してみなさい。「木」は「衣・食・住」の住を表す。「田」は食を表す。「糸」は衣を表す。「樏」という三つの語源は我々の先祖がちゃんと考えて作ったものなんだ。
前輪と後輪を組みあわせる渋谷式について。
「前は夫、後ろは妻。真んなかでピタッと合わさって結ばれる。丸いかんじきになる。まーるく和やかな夫婦の和、家族の和合が平和な世の中の基本です。渋谷式は、人のこころを表しているんです」。
かんじきを通して、大自然の一員なんだよということを日本人ばかりでなく、世界の人達に認識してもらいたい。
渋谷さんの和歌です。
ぶな里の 深雪の原に ボール舞ふ 精(あせ)や笑(わらい)で 重(かさ)む友情
田舎のいいところは、自然と解け合いながら、手を結びながら生きていくということ。これはもう素晴らしいことだ。これ以上のことはないと思うよ。田舎に住んでいて不自由なことは何一つない。食べ物は豊富。だから健康。今の生活には大満足している。
「夢かい? 夢はないな〜。ただ、喜んで、笑って、人にお礼を言いながら、あの世に行くことだな〜」。
「年寄りには年寄りにしかできないことを生きがいとしていくことが、ほんとうの福祉だとおもう」。
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夕方、アーティストの仁ちゃんより、森の”聞き書き甲子園”のカラーページの校正が届きました。いいねー、関真澄さんの写真もいいし、レイアウトも素敵。東京のプロデューサー、久田浩司酒人(しゅじん)からも、好感のメッセージ。よっしゃ!このまま出版へ、ぬかりなく!
【きょうの写真】上)自宅居間から2階へ通じる階段の踊り場に置いた室内自転車(という名前か?)をこぐあたくし(撮影は高校受験生の二男荒野クン)。近ごろ汗の快感を覚えてしまったです。このあと、縄跳び、だんべる、うでたて、ふっきん、はいきんなども、うさぎっ跳びも少々。で、目が覚めちゃって、午前2時までお仕事でしたー。このあとお風呂へ、そして缶ビール飲んで寝まする。起床は7時すこしまえ、かな。
下)なんだとおもいますー?手前はピンクのシクラメン、窓越しにリンゴ畑と、ずーっと先に、志賀高原の山並み。自宅の居間より、本日午後撮影。なかなかいい光景でしょう?気に入ってます。
2004年1月23日(金) 地域ブランドって、なんなん?
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どうも一日遅れの写真帖になってしまって、すみませんです。
さっそくですが、一昨日、東京から封筒が届きました。中味は『観光文化』という冊子です。財団法人日本交通公社(JTB)の機関誌です。編集室は、JTBが運営する「旅の図書館」という、観光や地域づくりなどの本を収蔵閲覧している図書館内にあります(千代田区丸の内)。
で、なんで届いたかと申しますと、あたくしがこの163号に原稿を書かせていただいたからなんでございます。
この最新号の特集テーマは「地域ブランドとは何か?」。5名が原稿を寄せていて、その2番目に、拙稿(=つたない原稿)を掲載していただきました。タイトルは「”美日常”に根ざす小布施の地域ブランドを」です・・・けっこうマジでしょ、たまには締めないと、ね♪
それじゃ、「地域ブランド」って、なんなん?という疑問に、だれもが直面するわけですが、特集のトップに原稿を寄せられた、東京大学大学院新領域創生科学研究科メディア環境学分野助教授の武邑光裕先生によりますと、「ブランド認知力」と「ブランド・イメージの浸透力」と「ブランドの文化的学習」によって構成されているものなのだそうです。そして、地域ブランドを維持・向上させることは重要だと述べられ、その理由として「地域のイメージ低下やブランド力の低下が、地域経済全体の価格下落を招くからである」と書かれています。
ん〜?なんだか、難しくなってきたなー、でも、分かる気がする・・・とおもいながら、いま、4名の方々の原稿を読んで、勉強をしております。
それで、あたくしの原稿ですが、全部で4,000字くらいあり、ここにみんな載せたらパンクしてしまいそうなので、冒頭と結論だけ載せさせてもらいますね。
もし、もしですよ、奇特にも関心をおもちの方がいらしたならば、あたくしにメールなどをくださいな。そしたら、手持ちの『観光文化』をプレゼントします。手元には5冊あります。それでも足りないときは(そんなことないでしょうけども)、あたくしの原稿をワード添付にて、お送り申しあげます(もちろん、すべて無料のシュッケツサービスじゃ〜!)。
では、つつしんで、最初と最後だけ、チラッとね。
===さいしょ===
美日常に根ざす小布施の地域ブランドを
「地域ブランド」の危険
「地域ブランド」という言葉は、だれによって使われだしたのでしょうか。地域の名前や値打ちを内外に向けて伝える意図の言葉ですから、まちづくり、とくに物産品の販売を含めた観光地としての地域宣伝を目的にした人々ではないかと思われます。初めて目にした時から、私はこの言葉にひそむ危険を感じてきました。それはまさに、まちづくり、観光地の「成功例」とされる信州小布施に身をあずけて暮らしている自分自身に対して抱く危うい感じと、重なるものがあるからです。
===さいご===
人や家を単位にした、小さな「個別ブランド」がそれぞれに自立しつつ仲良く支えあい、高めあう。おごることなく磨きつづける雰囲気があるかぎりにおいて、「人がすべて」のまち・小布施の「地域ブランド」は高まっていくことでしょう。
===おわり===
『観光文化』の編集長は外川宇八さんという方です。ホームページは、
http://library.jtb.or.jp です。やさしいおじさまですから、相談に乗ってくださるとおもいますよ。図書館は東京駅から歩いてすぐです。
外川さん、執筆の機会をいただき、ありがとうございました。これも「小布施ブランド」というものおかげです。ぶらさがっているだけではなく、すこしでも引きあげることのできる仕事や暮しを、していきたいとおもいます(これが結論です、あたくしの)。
【きょうの写真】『観光文化』の掲載誌です。右は表紙、左は拙稿の冒頭部分です。昨夜は久しぶりに、缶ビールを飲んで寝ました♪うまかった〜。
2004年1月24日(土) 雪景色、さいこー♪
きょうは8時まで寝ておりました。で、いま朝11時、写真帖を書いております。
これから、文屋文庫第三巻(堀田力先生)の最終チェックと、第四巻(遠藤守信先生)の第一稿の校正をします。そのあと、森の”聞き書き甲子園”の総論部分の編集と執筆。それから、喜多牧夫先生の本の最終校正をいたします。
ふと外を見ますると、昨日いっぱい降りつづいた粉雪が、庭にほどよく積もって、快晴の朝日を浴びておりました。居間のおこたつでは、長女の星河(小4)がなにやら書いております。「なにしてんの?」と聞くと、「くもん(公文)と日記」だそうです。いまの子どもはたいへんですよね。さっきまで、友だちと学校の鳥小屋のお世話をしてきたようです。
ひとまずは、これくらいにて。サーさ、お仕事おっしごと、うれしーなー♪ あ、ふとおもいだしましたが、先日、アウトドアマンの木村東吉さんのことを書いたとき、彼が、「東京には河口湖の暮しで足りないものを補いにいく」と書いておられました。気に入ってます、このことば。
【きょうの写真】上)ベンキョー中のセイガちゃんと庭の雪景色です。星河、いまのところ、作家志望です。漫画しか読んでないけど、作文は好きみたい。
下)・・・の10分後、星河バク睡。小春日和、ですもんね。
2004年1月25日(日) 刺刀隆さんとの再会
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朝、森の”聞き書き甲子園”の本の編集をしたあと、小布施町の洋菓子屋さん「アルパジョン」へ。すこしまえに電話をしておいたので、ロールケーキ(バニラとチョコとコーヒーの3種のうち、まえの2種を各1本)を袋に入れておいていただきました。あたしよりも10歳くらい(?)若い関谷さんご夫妻が営むお店です。
そのお菓子を持って、となりの須坂市にお住まいの刺刀隆さんを訪ねました。刺刀さんには、いまから20年近くまえ、須坂新聞社にお世話になっていたころ、取材で知りあって以来のおつきあいです。ただここ数年は、ほとんどお会いすることもなく、過ごしていました。でもずっと気になっていたのです。
ご縁とは不思議なもの。ひょんなことから、ひょんな展開になり、本日の再訪問となりました。
生まれながら不自由なからだを背負いながら、パソコンのキーボードを口にくわえた割り箸のような棒でつついて操作する技術を、早くから習得された刺刀さん。「自律」ということばがぴったりの人生です。
また、共同作業所を立ちあげて、印刷を中心にした事業を軌道に乗せ、いまは再来年あたりの開設を目指して、社会福祉法人(通所授産施設+障害者のためのデイホーム)の創立のために奔走されています。この施設は、須坂市と高山村と小布施町のほぼ中間、須坂市小河原に建設されます。
「自律」を越えて「協働」そして他者への「貢献」へ。
刺刀さんにお会いするたびに、肉体的には”恵まれた”自分が、いかにその状態に甘んじて、自分本位のことばかりを考え、おもいやりのない、感謝のない暮しを安穏と送っているかを気づかされます。
またお母さんの怜子さんは「もう75だよー」とおっしゃりながらも、隆さん、数年前になくなられたご主人、そして90歳を超えたお母さんの、3人の介護をしてこられました。「信濃毎日新聞」にはひんぱんに、怜子さんの投書が掲載されています。『よろこびとかなしみのパッチワーク』という本も、自費出版なさっています。「書くことがストレス解消」(あたしのばあいは逆ですけども)と言って、ソプラノ系のハリのある笑い声をあげる怜子さんに、喝采を贈りたい気持ちです。
刺刀さんの作業所には、これから、文字入力の仕事などを、文屋としての力の範囲で、お願いしていきたいとおもいます。ビンボー人ですけど、福祉法人の建設資金に、すこしはお力になれたらと願っています。がんばって仕事しよっと♪
午後はもっぱら、森の”聞き書き甲子園”の執筆に専念しました。5日・6日に秋田の角館まで行って取材をした、作家の塩野米松さんのインタビューの素原稿が、協力者の中島敏子さんのご尽力で届きました。それを編集して、明日朝、東京の久田さんへ送ります。編集しながらあらためて、高校生が森の名手・名人に聞き書きをするこの事業の、意義の大きさとおもしろさ、魅力を感じています。こんなすてきな仕事、事業に参加する機会をいただけたことに、感謝しているあたくしです。
【きょうの写真】刺刀さんとご自宅の仕事場にて。もう20年近くまえから、お世話になっている10年くらい先輩のお方です。これからもよろしくお願いいたします。
あすは、長女の星河のスキー教室です。
あさっては、二男荒野が須坂園芸高校の面接を受ける日です。
みんな、それぞれを道を、がんばれよ!楽しめよ!!
2004年1月26日(月) 色うすく・・・嗚呼(ああ)
こんにちは、木下です。
きょうも、森の”聞き書き甲子園”の執筆と編集、それに文屋文庫第3巻の仕上げなどにとり組みました。
午後は、3時ころからおぶせ温泉へ。それからおんだ整骨院さんにてマッサージの至福。ここ10日ほど休みなくやってきましたので、ま、いいかな、と。
夕食をとっていると(献立は、豚のしょうが焼きとけんちん汁と、お漬物と、ご飯でした。ご飯と野菜はすべて、自家産でござる♪)、志賀高原のカメラマン関眞澄さんと奥さんの千尋さんから電話。2月のはじめのころ、10名くらいで、須坂の料亭にてお茶会を開くので、お出かけくださいとのこと。そんなお茶なんて、ガラにもないことを、とおもいましたが、なにごとも経験ですので、よろこんでお約束しました。
関カメラマンには、今回の本、森の”聞き書き甲子園”の取材にすべて同行していただきました。いい感じの写真をたくさん撮ってくださり、本を飾ってくれます。お人柄、洞察力、もちろんカメラワーク…あたしの仕事になくてはならないお方です。
奥さんの千尋さんは、いま、須坂市の田中本家博物館に学芸員としてお勤めです。彼女のことはまた、おりおりに書かせていただきます(とても、ついでには書ききれまへん)。
【きょうの写真】上)ケヤキの大木。昨日、須坂市の墨坂神社の裏手に車を止めたところ、あたりでいちばん大きなケヤキの木にレンズを向けました。葉はなく、冬空に大きく広げた枝が、なにかを話しているような感じがしました。
下)慈眼大師御遺訓(日光輪光寺)「気はながく 勤めはかたく 色うすく 食ほそうして 心ひろかれ」。うちにむかしからある色紙でして、最近、おもうところがあって、仕事部屋に飾ってあります。「色うすく」。これは好色という意味だけではなく、色気とか、さまざまな欲望への執着のようなものを、ふくむのではないでしょうか。
「鷹揚和合(おうよう・わごう)」。自分自身の座右の銘と照らして、いろいろ考えさせられる色紙です(考えてるだけじゃ、なんにもなりゃーせんって)。
2004年1月27日(木) ジケン発生
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朝からずーッと、書いておりました。
午後3時ころ、車で駅前の八十二銀行へ行ったとき、そのジケンは発生しました。
小布施支店の玄関に向かっていたところ、以前いっしょに、まちづくり系のお祭り騒ぎをしていた女性に声をかけられました。いきなり「あー、おめでとうございます」。すこし世間話をして、別れました。
「…ん?なにがおめでとうなんだろう?…」。
あー、お正月だからか。でも、もう27日だぜ、おめでとうもないもんだというくらいに日が過ぎています。でも、それ以外におめでとうと言われる理由はないし…よく「おまえはほんとノー天気で、オメデタイやっちゃなー」と仲間に言われますが、そーいう意味でもなさそうです。
「やっぱり、新年おめでとうか…でもなー」とおもいつつ、ATMでお金をおろして支店の玄関を出ました。
すると、こんどは、以前町の課長さんをされていたおじさまが、車から降りるなり、「やー木下さん、おひさしぶり。おめでとさん」ときました。なんと、「おめでとう」の二連発です。それも3分以内に2回も、1月27日になって!
まー、小布施って、お芽出度い人がそろっているんだなー、あたしもふくめてー、とおもい、家路に着きました。さもない話ではございますが、お目出度いのは、いいことです、はい。…やっぱり、1月27日、3分以内2回、はジケンだわなー、とおもいます。
夜、いま副会長をさせてもらっている須坂東高校の次期副会長(あたしのつぎの会長さん)候補宅に、月原会長、島田・安原良副会長とともにお願いに参りました。いきなりの訪問が無礼であることはじゅーじゅー承知の助ですが、「あらかじめ電話をしてうっかり用件を伝えようもんなら、たいがいは断られる」という教訓から、こうした突撃系のお願いになるわけです。あいにく、奥様はお風呂上りだし、お目当ての旦那様はお留守。あすかあさっての夜、出直すことになりました。
二男の荒野が須坂園芸高校の前期試験の面接を受けて帰ってきました。「なにを聞かれた?」とあたし。ムスコは答えます。
「志望の動機と、将来の希望と部活の希望と…だいたいそんなとこ」
「試験官の3人の先生は、にこにこされていたので、こっちもリラックスできた」
「将来の希望(犬の訓練士になるために専門学校で基礎を学んだあと、シェパード犬の本場ドイツに留学して、世界に通用する訓練士になりたーーい)がとってもはっきりしているね、とほめられた」
よしよし、よくがんばったな、息子よ。結果は神様にお任せして、後期試験(前期がだめなときは、5教科の試験を受けます)に向けて、気をゆるめるなよ。前期の合格発表は、2月5日です。結果は、当夜、発表いたしまッす♪
【きょうの写真】ジケン発生のオメデタイ現場です。びっくりしたー♪
2004年1月28日(水) ろうそくの最期の炎
朝からきょうも、森の”聞き書き甲子園”の執筆と編集を仕事場でしておりました。夕方、車で、長野市三才の出版社・章文館を訪ね、10年前に取材執筆をして発刊された『長野に生きる』を5冊、買いもとめました。
その足で、ホテル国際21へ向い、NIFC長野国際親善クラブの常務理事会へ。あたしは常務理事ではないのですが、広報担当理事として、毎回参加して書記役をしております。
(きょうはこれくらいで、ごめんなさいませ)
【きょうの写真】上)NIFC常務理事会の様子。あっつい議論が持ち前です。一校一国運動、長野市の子どもたちによるインドの子どもたちとの交流、盛りあがっております。
下)仕事場の神棚のろうそくは、週に一回から二回、燃えつきて新しいのに替えます。ろうそくの炎も生の火です。燃えつきようとする数分間、炎が上に長く伸びて、大きくなるんですね。普段のも炎の高さの倍以上になります。燃えつきる直前がいちばん大きい…人の生き様も、末広がりの、こんな感じがいいなとおもいつつ、眺めておりました。
朝夕のお祈りのひととき、生の火に顔を照らされるのは、いいものです。こころを広く、明るくね、という声が聞こえてくるようです♪
2004年1月29日(木) 太田三郎会長をお訪ねしました♪
朝から仕事場で書きものをしたあと、昼前に小布施町役場へ。オープンガーデンの新年度の打ち合わせ。自宅で母と昼食(おうどん)をとってから須坂市の産業機器メーカー・オリオン機械本社へ。創業者の太田三郎会長を、会長室にお訪ねしました。高校時代の恩師・田中三二良先生の同行していただき、約2時間、お話を伺うことができました。総務部次長の宮澤利弘さんにも同席していただきました。
太田会長は82歳。全国の中小企業経営者のなかから選ばれる優秀創業者賞を、新年に受賞されています。【信頼の積層構造】という経営理念のもと、創業以来、一度もリストラ(首切り)をしていません。じっくりと”人間・太田”の魅力にひたることができました。こんごの展開が楽しみです。
そのあと、須高ケーブルテレビの現場トップで友人の丸山さんを訪ねて、出版事業などについて打ち合わせ。
そして、JA須高本所を訪ね、注文しておいたぶらさがり健康器「ぶらさがり君」を購入。あすにでも組みたてます。腹筋用の台座も付いてるんだもんね♪
帰宅してひと仕事をしてから夕食(酢豚とポテトサラダ、辛子明太子など。おいしかった)。休憩もそこそこに、車で須坂市へ。須坂東高PTAの新年度役員について会合をしました。
帰宅して1時過ぎまで、書きつづけました。そしてとうとう!森の”聞き書き甲子園”の原稿を書きあげました〜〜!!!これから2週間は、この本の校正が残されています。編集統括者として、最後まで気を抜かないで楽しみぬこうとおもいます。文屋文庫第三巻と第四巻も進めなくっちゃ。
朝、林映寿さんから電話。新しい動きの予感。よろしくね。
【きょうの写真】太田三郎会長(中)と恩師の田中先生(左)とともに。
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