Monochrome-Monologue

2004年2月
 2004年2月1日(日)  『森の人、人の森』、大詰めです。
みなさん、こんにちは。
すみません、写真帖、いく日もお留守にしておりました。だめですね、訪れてくださった方には、深くお詫び申しあげます。
言い訳ですが、森の”聞き書き甲子園”の本『森の人、人の森』の最終校正からゲラの校正が大詰めとなり、気持ちを一気に集中させておりました。

本は、3月1日に、東京の出版社「ウェッジ」から発行されます。
この本は、出版社とプロデューサーの久田さん、それにプロジェクトの大半は東京を拠点にされています。しかし、取材先は、全国の森に暮す名手・名人のみなさんです。久田さんは、かねてから、取材編集スタッフを東京に集中させないで、地方に暮す人たちにも参加させていこうというお考えの持ち主。今回、そのおもいを具体化させて、取材・撮影のスタッフを長野県と香川県、デザイナーも長野県の人を採用しました。出版界では異例の、その意味で大いなる実験です。

今回、私は、企画から取材執筆、それと本全体の実務面の「編集統括」というお役目をいただきました。いま現在の仕事内容は、まず1)デザイナーの中村仁さんから宅急便で届くゲラに目を通して赤ペンで校正します。
2)それを2部コピーして、宅急便で東京の久田さんと香川で書いてくれている三原美香さんに送ります。
3)お二人は、校正したページを、それぞれファクスで木下に送り、あたしがお二人に電話かメールで確認します。
4)それでゲラ校正を完了し、仁さんに赤の入ったゲラを宅急便で返送します。仁さんがそれを見ながらゲラを修正して、データを確定します(以後、印刷→色校正→最終校正へ)。

この工程を、章ごとに行い、2月13日までに印刷会社から最終ゲラが久田さんに届きます。あたくしが、14・15日に上京して、最終的に目を通し、久田さんとほかのみなさんのOKを受けて、印刷に回します。

電話やファクスはもとより、メールと長野=香川も翌日配達の宅急便があるからこそ実現できるシステムということが、わかりますね。素原稿をメールでやり取りしてきたことは、言うまでもありません。

あと一週間ほどで、レイアウトの校正が完了いたします!
 2004年2月2日(月)  映画げげを観ました
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きのう、長野グランドにて、映画「解夏」を観ました。妻朝子と長女の星河といっしょです。朝子は、2回目。さだまさしさんの小説が原作です。
くわしくは→ http://www.gege.jp/

主演の大沢たかおさん石田ゆり子さん♪、とってもいい雰囲気を出してました。「目が見える」。あたりまえのように、感謝のかけらもない自分ですが、このことがいかに有り難いことなのか、あらためて感じました。

出演者のうち、柄本明さん、いつもながら、シニカルなユーモア感がたまりません。柄本さんとは、以前、テレビのロケで小布施を訪れたときに、酒宴をごいっしょさせていただきました。ぶすッとされていて、ほとんど口をきいてもらえなかったのですが、その夜から、柄本さんファンになってしまいました。「うなぎ」の柄本さんの狂気も好きです。

そして、松村達雄さんです!
79歳、しばらくぶりにスクリーンで拝見した松村さんは、ふたまわりくらいほっそりとされていました。「こんなお年寄りになって、慕われながら100まで生きて、ぴんぴんころりといきたいなー」と、一人、しみじみと松村さんの演技を観ておりました。願えばかなう、か?

きょう2日は、午後、おんだ整骨院さんにて、ゆったりマッサージにひたり、英気をやしなました。夜は、須坂東高のPTA役員の就任のお願いに、月原会長、安原副会長と歩きました。そのあと、久田さん、三原さん宛てに、ヤマトの宅急便にて、校正ゲラを発送しました。本、もう少しです!

【きょうの写真】松村達雄さん、あたしのあこがれです(「解夏」のサイトより転載しました)

 2004年2月3日(火)  NEWS!玉村さんが小布施で講演されます
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みなさん、こんにちは。ニュースです。
われらが文屋文庫第二巻にて主役を張っていただいた、玉村豊男さんがふたたび小布施を訪問され、講演なさいます!
2月9日(月)午後1時半より、小布施駅から徒歩1分の北斎ホール(役場となり)です。テーマは農業振興のようです(入場無料)。
会場受付にて(たぶん)文屋文庫を販売いたします。

なお、文屋文庫第三巻は、たいへんお待たせしておりますが、あす最終チェックを終えてアオヤギ印刷さんへ発送。最終修正ののち、印刷へ。2月中旬には仕上がります。テーマは福祉。堀田力先生が主役です。そしてインタビューでは、車いすダンスの畔上智子さんが登場なさいます。

…というように、おかげさまで、多用な毎日を遅らせていただいております。有り難いことです。

あすは、とうとうわが家にやってきた、ぶらさがり健康器「ぶらさがり君」にまつわるお話です。お楽しみに♪

【きょうの写真】玉村豊男さんです。4月に、お住まいの長野県東部町にワイナリーとカフェをオープンなさいます。楽しみですね(玉村さんは中央、右は八十二銀行小布施支店長の飯島伸明さん、左はあたくし。昨年2月、玉村さん宅にて)
 2004年2月4日(水)  文屋文庫第三巻、、おうじきです
きょうも終日、森の”聞き書き甲子園”の編集・校正をしておりました。もうすぐ完成です。
文屋文庫第三巻、堀田力先生の講演録(新生病院70周年記念講演)は、来週から印刷に入ります。ようやく、今月20日までには発刊になります。お待たせしてごめんなさい、みなさん。
内容はまたくわしくお伝えしますが、堀田先生の講演録のあとに、小布施のとなりの高山村在住の畔上智子さんへのインタビューを盛りこみました。畔上さんは車イスの暮しですが、長男の幸四郎君を育て、ふつう働き、そして車イスのダンスを楽しむ、すてきな女性です。魅力的な生き様を読むと、きっと元気が出てきますよ。お楽しみに。
 2004年2月5日(木)  荒野、高校合格できました。感謝
みなさん、今朝、二男の荒野が、念願の須坂園芸高校に合格させてもらえました。長野県では今年から、県立高校の受験が前期と後期の二段階になりました。前期は、自己推薦で出願して、各校が独自に行う試験を受けます。面接や小論文などを行うのですが、須坂園芸高校は、事前の作文提出と面接試験でした。
担任の先生からは「ま、なんとかいけるかな」という評価でしたが、やっぱり最後まで心配なものですね。結果は朝8時半に、高校のホームページで公表されるのですが、接続がうまくいかなかったためか、私が結果を見れたのは9時を回っていました。さすがにひやひやでしたが、結果オーライ!

荒野は、犬の訓練士をめざしており、高校を出てから2年間は国内の専門学校で基礎を学び、そのあと、シェパード犬の訓練の本場であるドイツに留学して、いずれ帰国して日本の社会のお役に立ちたいと、殊勝な作文を書いたようです。今後の展開は未知数ですが、大きな夢を抱いての入学は、親としてもうらやましいというか、まぶしく映ります。がんばれ、そして楽しみぬきなされ、荒野くん!親も、しっかりと楽しんで生きてるからね♪

午後1時半、小布施のお食事とお茶どころ、「ままごとや」にて、浄光寺の副住職にしてインターネット事業のプロデューサーの林映寿さんと打ちあわせ。書き手として、林さんと組んで、すごく夢のある、意義のある動きを創れそうな気配に、わくわくしています。

店を出るころには、大雪に。また冬に戻りました。まだ2月の入口ですもんね。
 2004年2月6日(金)  渋ホテルさんに泊まりました
森の”聞き書き甲子園”の最終校正の段階にきています。朝からずっと、この仕事に専念していました。
午後4時過ぎ、車で小布施の北、志賀高原のふもとにある渋温泉のお宿「渋ホテル」へ。http://www.shibuhotel.com/
長男真風の通う須坂東高校のPTA役員として、近隣の7つの高校(第2通学区)の先生と役員さんによる懇親会が、このお宿に一泊して行われることになり、それに参加しました。
渋ホテルの若夫婦、山田さんとは、10数年まえからお友だちづきあいをさせてもらっております。渋温泉にお住まいの幹事の羽田吉彦さん(中野西高校のPTA会長さん)の”イチオシ”のお宿ということで、とってもうれしくおもいました。
渋温泉で老舗格のお宿ですが、新築して10年ほどで建物は新しく、掃除も念入りにされています。山田さんのご両親と若夫婦を中心にした家族的な経営ですが、あったかさはあってもべたべたした雰囲気はなく、ほんわかとした洗練さが漂っております。料理も満足ですし、こじんまりとした内湯も味わいがあります。お値段もごくごくよろし。あたしとしましても、イチオシのお宿です。みなさん、渋のお泊りは、渋ホテルへ♪
というわけで、10名のみなさんが集まり、語りあい、酒を酌みかわしました。
話題の一つは、生徒の通学の足の問題。遠距離通学の生徒の場合、1時間半から2時間を通学に要する例もあり、そうした生徒の多くは、駅や、時には学校まで、親が送り迎えしているそうです。定期券も2万円にのぼる生徒もいるようです。公共交通機関が、コストの徹底から運行本数の減少などを行っいるいっぽうで、長野県のばあい、新年度から通学区が拡大されるので、この問題はますます大きくなります。共通の課題として、とりくんでいくことになりました。
深夜12時まで2次会。あたしはこれでお休みしましたが、ほかのみなさんはカラオケで2時まで♪すっごいですねー!

【透玄きょうの一句】いちめんの粉雪腹の黒さかな
 2004年2月7日(土)  お茶会のしっぽり感にひたりました
渋温泉から朝9時台に家の仕事場に戻りました。森の”聞き書き甲子園”の最終校正を一気に進めました。
午後3時、高校のPTAの次期副会長(来年4月からの会長)候補に名前があがっている方のお宅へ、月原現会長と訪問。これでこの方のお宅には3度目のお願いにあがったことになります。電話での応対では、受けていただけるかなと期待してまいったのですが、結論はNO、でした。
自営業をされていて、PTAがとく多用な春から夏には、書き入れ時になるのでとても無理とのこと。ご事情はおさっしいたします、じゅうぶんに。でも…、高校生をもつ親は全員が40〜50代のいちばんの働きざかり。お勤め人でも自営業でも、農業でも、ご隠居さんみたいな暇なお方は、一人もいないんですよね。「いそがしいから」という理由をたくさん並べられて断られると、「じゃ、あたしは暇なんかいな…?」とへんな疑問を自分に向けてしまいます。
いえ、批判をしたいのではありません。
子どものおかげでPTA役員というお役目をいただけたこと、役員にならなければ出会えない人やできない体験をさせてもらえること、多用ながらも用事のあいまを縫ってなんとかおつとめできていること…。自分のおかれている環境を、ほんとうにありがたいとおもいます。感謝です。
好きで望んでなったのではありませんが、白羽の矢を立ていただけたのですから、光栄におもってお受けし、お受けした以上は、とことん楽しませていただこうとおもっております。
4月からは会長になります。やっぱり、責任を感じますね。しっかりと、楽しませていただこうとおもいます♪

夕方、須坂の料亭「能登忠」さんにて、カメラマンの関真澄さん・奥さんの千尋さんにお声かけいただいて、8名ほどにて、お茶会に参加させていただきました。お茶の心得はまったくないのですが、練習を兼ねた気軽なひと時とのこと。この季節のお茶会を「夜咄」(よばなし)というのだそうですね。6時から9時過ぎまで。会席のお料理と濃い茶、薄茶のお手前を楽しませていただきました。しっぽりとした再会としっとりとした出会いに感謝です。
 2004年2月8日(日)  森の”聞き書き甲子園”校正終了です
森の”聞き書き甲子園”のゲラの校正が、いよいよ本日夕方にて終了しました。これで印刷会社にまわり、色校正を14・15日に東京へ出張して行い、翌日から印刷、そして製本へと進みます。完成は今月末。3月初旬には、全国発売されます。
東京のプロデューサー久田浩司さんからこの企画のお話をいただいたのは、昨年9月のことでした。メールや電話、ミーティングで構想を練りはじめ、具体的に取材を始めたのは10月下旬でした。それから正味4か月弱。100日間ほどの短期集中型の本づくりでした。いっしょに編集をしてくれた三原美香さん、カメラマンの関さん、田中さん、そしてアーティストの中村さん。またNPO樹木・環境ネットワークの渋澤さん、吉野さん。塩野米松さん、赤池学さん。取材に応じてくださった高校生と名人のみなさん。ありがとうございました。
みなさんのおもいの結晶、『森の人、人の森。』、きっと広く、永く、読みつがれる本になることでしょう、そう願っております。
 2004年2月9日(月)  玉村豊男さん、再登場です!
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朝から、きょう午後に開かれた玉村豊男さんの講演会の会場で販売する「文屋文庫」の準備をしました。
玉村さんは、一昨年末に小布施で講演をされ、これが二度目になります。一回目の講演録が、文屋文庫第二巻になっています。
きょうの講演会の主催は、小布施町と高山村と須坂市、そして地元のJA須高など。250名くらいが集まりました。「明日の農業経営を担う農業者のつどい〜農業は強く、優しく、面白〜」という集会で、寸劇や事例発表のあと、玉村さんが登壇されました。

講演のタイトルは「農業で元気になる方法」。
メモからひろい書きしてみますね。

「小布施ワイナリーの曽我君は、質の高い自園自醸のワインを造っており、すでに国内トップの地位を築きつつあります。北となりの中野市でも、この秋にワイン醸造の免許を受けてワイン作りを始める動きがあります。北信濃がこんご、上質なワインの産地になっていく可能性がじゅうぶんにあり、期待できます。」

「いまは、すべての産業において日本中のシステム全体が変わっていく時期。新しいことにチャレンジするにはとっても面白い段階です。」

「砂漠や水に恵まれない土地において、メロンやブドウは、地下に深く根を張って地中の水をくみ上げてくれる”植物の井戸”。そしてワインはブドウの”漬物”であり、冬場を乗りこえるための”保存手段”でした。」

「BSEや鶏インフルエンザは、食の安全への意識を高め、どこのだれが作ったものかを明確にする”トレーサビリティー”の考え方が急速に浸透しています。国内で、まっとうな食べ物づくりをしている農家が、正当に評価される時期にきています。」

「日本は人件費が高く、おなじ質のワインでもフランス産の倍の値段になってしまいます。東部町の自宅農園にこの春、ワイナリーとカフェをオープンさせます。鍵ことばは”風景を売る”。ミュージアムの発想で、農園や厨房やワイナリーを、説明しながら見ていただき、付加価値をわかっていただいて、納得していただいて、うちのワインをお求めいただくように、していこうと考えています。」

玉村さんのワイナリーの名前は、「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー」。4月16日に、ワイナリーとハーブガーデン、カフェ、ショップがオープンします。
サイトはこちら→http://www.villadest.com/index.html

なんと、わが文屋のサイトが、玉村さんのサイトのリンク集に紹介されています。そして玉村さんの本のコーナーに、文屋文庫第二巻が紹介されているじゃーございませんか!えっへん!!感謝です、玉村さん、スタッフのみなさん♪(やめられまへ〜ん、このお仕事)

玉村さんには講演のあと、小布施でがんばってる洋菓子屋さん、「アルパジョン」関谷さんご夫妻の焼き菓子の詰め合わせをプレゼントさせていただきました。

本の売上げは18冊。久しぶりに、自分の作った本をじかにお客様にお売りしました。いい勉強ですね。

みなさん、春になったら、玉村さんのワイナリーを訪ねましょうよ。ツアーしようかな?できれば平日がいいようにおもっています。

【きょうの写真】上)講演する玉村さん

下)タマムラ・スマイル(玉さんのサイトより)
 2004年2月10日(火)  100年後も残る本に
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森の”聞き書き甲子園”の本のプロデューサー・久田浩司さんから、本の表紙とカラーページ分16ページの色校正が届きました。タイトル『森の人、人の森。』、関眞澄さんと田中雄三さんの写真、そして中村仁さんのレイアウト、(すこしひかえめに、)私と三原美香さんの原稿、さらには、久田さんのプロデュース…たくさんの人たちのおもいとうごきの結晶です。

久田さんのコメントに「100年後まで残る本になることでしょう」とありました。きっとそうなることでしょう。意義の大きさ、深さ、広さを、いまさらながら、実感しております。3月初旬には、全国の本屋さんに並びます。アマゾンなどのネット販売でも手に入ります。みなさん、ぜひお読みください、ね。

午後、オリオン機械さんの本社にて、総務部長の小林俊次さん、同次長の宮澤利弘さんと、出版物について打ちあわせ。そのあと、長野市のホテル国際21にて、長野国際親善クラブ(NIFC)の広報委員会と理事会に出席。中座して、須坂市内に向かい、須坂東高校のPTA役員就任のお願いに参上(またまた色よい返事をいただけず…どーねってんの!?)。

【きょうの写真】上)昨日、小布施で講演された玉村豊男さんが東部町の山中にて今春オープンさせるワイナリーです。

下)NIFC理事会にて。手前が小出博治会長。子どもたちの国際交流プロジェクト「一校一国運動」に燃える、70代半ばのスーパーおじいさんです。
 2004年2月11日(水)  埼玉県日高市のみなさん、視察、いらっしゃい
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ちぇっ、風邪、ひいちゃったぜ。のどの痛みがおとといあたりから。原因、わかってます。さきおとといの夜、室内で、自転車や縄跳びやうさぎ跳びや腕立てをやって、たっぷり汗をかきながら、じゅうぶんに汗をふきとらずに、深夜まで仕事をしてしまったのです。アホカおまえは!

おんだ整骨院の恩田先生に、のどに綿棒で直接殺菌消毒液を塗る薬が市販されていると教えてもらい、昨日、薬局へ。白衣を着た人なつっこそうな30代のおにいちゃんに聞くと、「あ、それなら、これですねー」と手にしたのが、いま、目の前にあります。その名も「のどぬ〜る」、まんまやん!
小林製薬のもので、赤いヨウ素の液が入った小ビンと長さ15センチくらいの綿棒が15本で約600円でした。

これ、けっこういいみたいです。綿棒をのど○○○の奥へ、直接つけて、消毒します。しみますけど、ガーグルのうがいよりも効く〜、って感じ。風邪のばあい、100%はのどの痛みから始まるわたくしには、ぴったりのお薬ですね。お試しください。

で、朝すこし遅くまで寝ていると、枕元の携帯が鳴りました。埼玉県にお住まいの井上昌夫さんからです。井上さんは、日高市横手台に住んでいらして、昨年秋ごろから急に盛りあがったまちづくりの動きの火付け役、兼ガソリンのぶっかけ役。45名もの住民をその気にさせて、小布施にバスでやってこられました。

午前11時ころから、町商工会館にてアラ小布施社長の観光カリスマ、市村良三さんの熱血講演を聴き、活発な意見交換をされたそうです。良三さん、ありがとうございました。それから、桜井甘精堂北斎亭でのお昼の会場にて、あたくしが合流。それから井上さんや、井上さんの相棒でまちづくりに燃えちゃってる小野さんとお茶しました。

井上さんは、協和種苗というガーデニングや農業の会社にお勤めです。あたしがアラ小布施に勤めていたころ、信州カラマツで作ったプランターやトレリスを扱っていただき、ずいぶんお世話になりました。もう8年くらいのおつきあいです。

「井上さんたちといっしょにまちづくりをしながら、交流していきましょう」と良三さん。これからもいいご縁になりますように。井上さん、幹事おつかれさまでした。

午前、散髪にカットルーム・パズルへ。開店10周年、古川さんご夫妻、おめでとうございます!

夜、須坂東高校PTAの役員のお願いに…まだ結論に至らず。

【きょうの写真】上)井上さん(右)と。アラ小布施のガイドセンターにて。歌舞伎役者みたいなおももち井上さん。3人姉妹のお父さんです。井上さんには、渋谷で、おいしい焼き鳥をご馳走していただく約束をしております(しぶとく覚えてる)。

下)きょうは小春日和。北斎館前、小布施堂のメタセコイヤの大木の下に置かれた木製の椅子に座って日向ぼっこを楽しむ人の姿が見られました。遠くに、雪をかぶった妙高山が見えます。冬の小布施はいいなー、すいてて。
 2004年2月16日(月)  みなさん、ごめんなさい
みなさん、写真帖を見に訪れてくださり、ありがとうございます。
こちら、元気にしておるのですが、ちょっと、写真帖に書きこめる状況にありません。しばし、お待ちください。ごめんなさい。
 2004年2月17日(木)  つつしんで、春一番
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みなさん、こんにちは。
おぶせ写真帖、ほぼ10日ぶりの書きこみです。ぼけーーっとしているあいだに、なんとこのサイトへのご訪問者が、のべ7000名様を超えていました。有り難いことです♪

どうしてこんなにサボったのかと申しますと、(ずべていいわけですが)先週の月曜日9日ころから風邪を引いていて体調も気分がよろしくなかったことと、森の”聞き書き甲子園”の本『森の人、人の森。』の編集校正が大詰めを迎えていただめでした(それはわかるけど、毎日書くって言った約束を破ったことは、じじつなんです。みなさん、ごめんなさい)。

風邪は、たいしたことはないんです。熱も出ないし汗も出ない、食欲はこれでもか、というくらいにありますし。…でも、最初はのどの痛み、それから気管支に来て、セキが出るようになりました。セキというのは、はた目にはわかりませんが、すごく体力を減らすものなんですね。

16日の夜(17日の明け方)、あたしは始終、セキ込んでいたようです。ようです、というのは、自分ではまったく気がついていなかったのですね。ふかーく眠りながら、セキだけは元気良く。このばあい、となりに寝ている人に迷惑になることは言うまでもありません。妻、長女がいちばん被害を受け、となりの部屋の二男も「眠れなかったー」と頭を抱えていました。すまんすまん。

17日夕方、近くの内坂徹先生の栗の木診療所へ。「点滴お願いします」と言ったのですが、「それだけ元気なら、点滴はいりませんよ」とやんわり。飲み薬各種、処方していただきました。
待合室にて、牧野富士男さんと会いました。「頭の上、なにか盛りあがってきていないか?」と聞かれて、手を頭に当てると、「いや、鳥インフルエンザかとおもってさ♪」。鳥インフルエンザにかかると、鶏冠(とさか)が生えてくると信じている、ひょうきんなお方なのでありました。

【透玄きょうの一句】したたりて雪のいのちの鼓を打てり

【きょうの写真】上)数日前の朝、粉雪が降りやみました。家の裏の散歩道についた自分の長靴の足跡です。春一番が吹き、畑の雪もしだいにすくなくなっていきます。

下)薪小屋にて。秋までにためておいた薪の山が、ひと山、無くなりました。それでも薪小屋にはご覧のとおり、たくさんの薪が。母屋の南、物置小屋にあるここから、薪をストーブまで運んで、燃やしています。
 2004年2月18日(水)  『森の人、人の森。』校正完了
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風邪はだいぶよくなりましたが、まだときおりセキが出ます。食欲はありますし、汗も熱も出ないんですけどね。もうすぐ完治するでしょう♪

森の”聞き書き甲子園”の本、おかげさまで、ようやく校正を完了しました。写真帖への書きこみをさぼっていた14日と15日に上京しまして、14日朝から夜まで、プロデューサー久田浩司さんの会社「スペースポート」にて、香川から合流してくれた三原美香さんと3人で、ゲラとにらめっこ。完了したのは午後6時過ぎでした。気がつけば、150か所もの修正箇所が見つかりました。最終ゲラでこの数はちょっと多すぎます。

ということで、急きょ、修正をデザイナーの中村仁さんに戻して、やっていただくことになりました。そんな仁さんを独りにはしておけないよーん♪というわけで、きのう17日朝、御代田の仁さんの仕事場へ車で伺い、お昼までの約2時間、150か所を、マックの画面を見ながら修正しました。それを18日午前、東京着のヤマト便にて送り、きょう、久田さんから印刷会社へ手渡されました。印刷製本があがるのは2月27日。3月中旬には全国の書店にてお求めいただくことができます。

あたしのこのサイトからのご用命も承りますので、よろしかったらいまから、ご予約くださいね。

久田さんから仁さん、三原さん、あたしに昼過ぎ、つぎのメッセージが送られました。
「勝手ながら、また一緒に仕事をしたいなと思っております。プロジェクト自体は、これからです。『遠きをはかりながら、“これでいいのだ”と思える人生』をこころがけ、美日常的なくらしを日本に、世界につくり出していきたいと考えています。」

久田さん、みなさん、ありがとうございました。これからもお願いします。

きょうは、朝から仕事場と化粧室と廊下とお座敷とリビングの掃除をしました。五か月をかけた森の本の資料を整理し、ほぼ同時に校正を終えた文屋文庫第三巻と『俳人喜多牧夫』の資料も整理して、すっきり。断続的につづけてきた、文屋文庫第四巻(遠藤守信教授)と、かんてんぱぱ塚越寛社長の本を、本格的に仕上げてまいります。

こうかいているうちに、なんだか元気になってきました。やってるでー!

【透玄きょうの一句】春一番 みなみにむかい やったるでー!

【きょうの写真】上)粉雪、朝もや、春の朝陽。桃畑には、せん定された枝が、きれいにまとめられています。小布施、早春の風景です。「そろそろと畑仕事や春一番」。

下)朝もやに包まれたあたしんち、です。
 2004年2月19日(木)  原研哉さん『デザインのデザイン』
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朝からかんてんぱぱ、塚越寛社長の経営理念書の編集に取りくみました。昼休み、こたつに横になりながら、デザイナー原研哉さんの新著『デザインのデザイン』をめくりました。
原さんは1958年生まれですから、私よりも1年先輩です。昨年でしたっけ、小布施堂のオブセッションにゲストで招かれたときが初対面でした。小布施堂さん、というか枡一市村酒造場さんの「白金」という桶仕込みのお酒のボトルをデザインした人としても知られています。

原さんについては、書ききれませんので、つぎのサイトなどをご覧ください。http://www.visualogue.com/speakers/hara_j.html

で、『デザインのデザイン』。
「情報の彫刻としての書籍」という項目が目にとまりました。

原さんは、情報テクノロジーの進化によって、「書籍はもはやメディアとしての主役を降りた」と断じたうえで、つぎのようなことを語っておられます。本づくりをする自分には必読。かいつまんで。

「紙はメディアの主役を降りて、実務的な任務から解放されたおかげで、再び本来の『物質』として魅力的にふるまうことが許されるようになったのではないか。」

「情報と個人の関係を冷静に洞察するならば、情報をいかにじっくりと味わえるかというポイントになってくるのである。」

「情報を右から左へ移すのではなく情報を慈しむという観点で書籍の魅力を意識している。」

「電子メディアが情報伝達の実質的な道具であるとすれば、書籍は『情報の彫刻』である。だからこれからの書籍は、紙というメディアを選んだ以上、その物性がいかに生かされているかという評価にさらされることになる。これは紙にとっては幸福な課題である。」

そして、「無印良品」について。
「無駄なプロセスは徹底して省略するが、豊かな素材や加工技術は吟味して取り入れる。つまり、最低価格ではなく豊かな低コスト、最も賢い低価格帯を実現していくこと。」

この本について、アマゾンドットコムに書評のコメントが載っています。
長くなるけど、読むと得するとおもいますもんで、転載しますね(抜粋です)。

「建築家〜〜、磯崎新氏に『自分は建築家だ』と、すべての『建築家』を自称する人は名乗れるだろうか。同じように、デザインの世界にも、社会を考え、歴史の上に立ち、作家性の本質を見極め、企業にとって『デザイン』がどうあるべきかを真剣に提言して具現化していくプロとしてのデザイナーという一握りの本物は存在する。そういう身を削って、日々のほとんどを『デザイ〜〜ン』に費やして格闘しているデザインのプロの横に立って『僕もデザイナーです』と、プロとしての著者の横で、そう言えるだろうか。」

思想家、哲学者、極めている人は、ことばを使える人ですよね。同世代に原さんのような人がいる自分を幸せにおもいます。おいおまえ(あなたじじゃないです、あたしです)、「編集者でーす」「物書きデース」って、言えるのかよ!

【透玄きょうの一句】声もなく領分ゆずるまだら雪

【きょうの写真】上)原研哉さん。

下)自宅裏の畑にて。きょうの一句の光景です。
 2004年2月20日(金)  ほんきな人たち
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あったかくなりましたね。
きょうは午前中、かんてんぱぱ塚越社長の経営理念書の編集に専念しました。久しぶりに朝、懸垂と縄跳びとダンベルで汗をかきました。

午後、長野市のホテル国際21へ。
(社)長野法人会主催の「次代経営者育成セミナー」を聴講しました。タイトルは「これから10年 需要創造型企業をめざして」。星野リゾートの星野佳路社長と塚越社長が基調講演、つづいて、お二人と小布施町の唐沢町長、中小企業公庫松本支店長の武信さんによるパネルディスカッションが開かれました。

星野社長とは同世代で、すでになんかいもご講演を聴いており、いずれ文屋文庫にご登場いただくお約束をいただいております。ただいま、どんな切り口の内容にするのかを、楽しみながら検討しています。

星野社長は、「勝ち続ける組織へ模索」と題して語りました。

「企業変革の方向とスピードの要素を、一部の経営陣の能力に依存する組織から、制度/文化/価値観に内在させる組織への変革」。

「リゾート運営の達人になる。」

「塚越社長とは初めのころは自分とは違うタイプだとおもってきましたが、会えば会うほど、共通点が見えてきました。年間予算や売上目標を掲げないこと、ニッチ(すきま)に注力する姿勢、永続性の志向、発展を目標としないこと。違いは、塚越社長は天性の能力に恵まれた天才肌、私は論理や教科書を重んじるタイプという点。」横で塚越社長がうなづかれていました。

塚越社長。

「寒天という一つの分野にこだわること、深く掘ることで、ほかの業種との接点が増えてつながってきました。」

「先進国の成熟社会で中小零細企業が生き残る道は一つ。開発型企業になることしかありません。研究開発というと、技術や商品開発をおもいうかべますが、業態の開発、システムや営業方法の開発など、変革の分野は無限です。」

「わが社は、考える部門、つまり開発部門に全社員の1割、30数名を当てています。1割の原則は、経営者としての自分を律するためのものです。その成果がつみ重なって、寒天におけるシェアが大半高い会社になりました。」

みんな、真剣だなー、とおもいつつ、では自分はどうするのかと考えているあたしでした。

終了後、パネルディスカッションを司会した法人会青年部副部長の狩野土(かのう・はかる)さんとあいさつ。狩野さんは、「えんめい茶」で知られる黒姫和漢薬研究所の社長さん。わがサイトを創ってくれた林映寿さんの義理のお兄様です。狩野さん、あすから九州へ出張とのこと。みんな、真剣だなー、とおもいました。

文屋文庫第三巻と『俳人喜多牧夫』の裏表紙に載せるバーコードの確認を終え、いよいよ印刷、そして製本へ。春ですねー♪

【透玄きょうの一句】風光る 鳶(とび)はソプラノ 鳴き交わし

【きょうの写真】上)講演する星野さん。

下)左から、狩野さん、星野さん、塚越さん、唐沢さん、武信さん



 2004年2月21日(土)  金沢へ 温泉、夜の花街、蟹鍋♪
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みなさん、こんにちは。
今朝から明日の夜まで、加賀へ旅してまいります♪
松岡正剛先生の編集学校の仲間との再会、そして森の”聞き書き甲子園”のプロジェクトを進めた久田さん、見原さんとの一週間ぶりの再会。意味や意義はともかくとしまして、旧交を温めながら、加賀金沢の町を歩き、温泉につかり、鍋料理やカニ料理と地酒に漬かってまいります(いいでしょーー♪)。

21日のメーンの一つは、呉竹文庫です。
http://www.town.mikawa.ishikawa.jp/kuretake/index_kuretake.asp
旧北前船主通称「熊源」の屋号を持つ熊田屋分家3代目源太郎氏が、自らの蔵書を私立図書館として一般に公開したもの。源太郎様のお孫さんの熊田朋子さんが、あたくしの編集学校の一八天動(いっぱち・てんどう)教室の生徒さんでして、彼女のご案内というスペシャルコースです。もちろん、今回のたびの幹事さんは熊田さんがひき受けてくれました。感謝!

タイムテーブルはつぎのとおりです。

21日 1時45分ごろ小松駅から美川へ。
    2時〜3時頃 呉竹文庫と周辺を見学。
    3時〜3時半頃 熊田自宅でちょっと休憩
    3時半〜4時過ぎ 金沢へ移動。白鳥路入
    5時ごろから東の茶屋街へ
    6時半過ぎ 太郎へ ここで夕食
         夕食後はぶらぶらと歩いてホテ
         ルへ帰り温泉などを。

22日 8時半頃から城址公園、兼六園をまわる
    11時半ごろホテルへ戻り、昼食
    1時頃金沢駅へ移動。時間まで駅周辺でお茶。

ではみなさん、行って参ります。

【透玄きょうの一句】春眠や 土手の風切る 夢語り

【きょうの写真】わが家の玄関の間に鎮座(お立ち)いただいている木造のおじいちゃんです。あたしの祖父・安政さんが生前、行商に来たおじsなんから買ったものです。満面の笑顔。「笑顔で生きなー」と、天国のじいちゃんが、いつもメッセージを贈ってくれているようです。安政じいちゃんのことは、また書きますね。
 2004年2月22日(日)  金沢から小布施へ。「これでいいのだ。」
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金沢で朝を迎え、兼六園などを散策。お昼はカニ料理をいただいて、午後4時過ぎに金沢駅から直江津経由で夜、小布施に帰ります。

デザイナー原研哉さんの『デザインのデザイン』より。

「無印良品を通して、僕は地球規模で生活文化や経済文化を考えてみたい。地球的な視点で『これでいい』と多くの人々が納得できる商品を生み出すお手伝いをしたい。」

「世界のいろいろ場場所で発見された『普遍性』、そして様々な文化の中で生まれる『これでいい』を収集し、最も合理的なプロセスと透徹したデザインを通して商品を生み出し、それを世界に流通させていくという発想が、今後のビッグ・ヴィジョンとなるかもしれない。」

「これでいいのだ」について、原さんはこう書きます。

「『で』にもレベルがある。(中略)『で』のレベルを上げるということは、この諦めや小さな不満足をすっきりと取りはらうことである。そういう『で』の次元を創造し、明晰で自信に満ちた『これでいい』を実現すること、それが無印良品のヴィジョンである。」

===========

「これでいいのだ。」については、森の”聞き書き甲子園”の本のための議論で、久田さんと、こんなやりとりがありました。自分なりに考えもがいていたことでしたので、原さんの明快な筆致を前に、あらためて脱帽、そして感激しました。原さんはやっぱり思想家ですね。足元にも及びません。でも…真正面から、彼と彼の思想と作品に向きあっていきたいとおもいまっす!それなら、あたしにもできますから。

「で」について

> 「これで」はパッシブな肯定。それは幸福の場所、神々の土地、
> 桃源郷などが心の中にある人の感じ方。

「パッシブ」を日本語にして考えています。
受身とか受動という直訳はふさわしいのか、とおもっております。

受身→消極的ということなのか?

ありのままを見つめること。
ありのままを受けいれること。
ありのままに幸福を感じること。

論理的・強制的な感じの「が」でも、
排他的・限定的な「は」でもなく、
「で」には、
感情的(Passive≒Passive)、柔軟性、
受容性、鷹揚さがあり、
それでいて、
「いま・ここ・これ」を全面的に肯定する感じがふくまれているとおもいます。

このように書いてきて、
「矜持(きょうじ)と諦観(ていかん)」ということばが連想されました。
「矜持」は、自分の能力を信じていだく誇り。自負。
「諦観」は、入念に見ること。つまびらかに見ること。あきらめること。

「諦」は「あきらめる」と訓じます。
とっても消極的な否定的な意味のことばと思いこんでいました。
ですが、
「諦」を調べると、
あきらかにすること。
あきらめること。
まこと。真理。 とありました。

「これでいいのだ」は、「矜持と諦観」をあわせふくめた、
豊かな意味をもつ、和ことばなのですね。

山形における久田さんとのやりとり、
それをふまえた久田さんと飯島さんとの懇談。
久田さんからのメール。

> 「いい気持ち」になることと「いい意味のあることに参加している」
> という実感。現時点で企業(の人)に理解させるのは難しいが、
> お金だけ出すのでは意味がない。

現代人は「ほぐし」「ほどき」「いやし」を求めていると、飯島さん。
偏差値や短期利益至上の社会、
アメリカ主導のグローバルスタンダードの圧力、
「戦後から戦前へ」向かう日本という国、
環境問題・・・

わたくしたちは無意識に「これではいけないんだ」という
思いこみの症候群のなかにいる。
「これでいいのだ」は、
わたくしたちがいちばん求めている、
”人に言われたい”、そして
”自分に言いたい”ことばなのではないでしょうか?

【きょうの写真】『森の人、人の森。』の表紙と帯。表紙の絵は、中村仁さんの描いたふくろうの絵「森の人」。この表紙、初公開です!手前の帯左上に「これでいいのだ。」とありますでしょ。
 2004年2月23日(月)  金沢おそるべし!楽しかった〜♪
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みなさん、こんにちは。
21・22日の2日間、金沢へ旅してきました。
松岡正剛校長の編集学校の”同級会”のようなものです。東京、福島、大阪、香川などからあわせて7名が集まりました。それに地元の4名のみなさんが連携よろしく、ツアーを先導してくださいました。

地元幹事をおひき受けいただいた熊田朋子さん、ありがとうございます(ぼけっとしていて、熊田さんの車に、黒い毛糸の手袋を忘れてしまい、すみません。この手袋を忘れるの、これで2度目です…自慢じゃない)。

今回の冬の加賀汁講。
21・22日の二日間、好天に恵まれ、すばらしい時間を過ごすことができました。

熊田さんの曾おじいさんが創設された、呉竹文庫(現在は美川町の財団法人)では、「わたしは紙魚(しみ)になりたい」という創設者のおことばと銅像に迎えられました。紙魚とは、本に棲みついて本の紙を食べる虫のことで、和紙を食べ、ページを小さな穴が貫くかたちできずつけるものだそうです。それほどに、本の世界にひたっていたいという切望ですね。

豪商(北前船「熊源」の元締め)という恵まれた境涯を、文化の継続性、人への投資にふり向けていった、一人の男の志が、いまもその生地に、生きていました。

金沢では、
喜内さん=高森さん=中谷さん=森さん、という地元の人たちの連携が、
美しいまでにうまくいっていて、日ごろの交歓のごようすを、その雰囲気から感じました。

あたくしは、14時台に金沢を出発する指定席をキャンセルしまして、森崇哉さん(初対面)と熊田さんといっしょに、森さんらが進めておられる「ブック・カフェ」構想などについて30分くらい教えていただき、「小布施でもやりたいなー」というおもいをつのらせました。

それから、タクシーで泉鏡花記念館に戻り、鏡花の世界にひとりでひたる贅沢を味わいました♪鏑木清方画伯の挿し絵は、ほんとうにいいですね。
売店にて『鏡花夢幻』という、鏡花作品を漫画化した波津彬子(はつ・あきこ)さんのコミックをゲット。その「編集術」を楽しみながら、帰途につきました。

幹事の熊田さんからのメッセージです。
今回の汁講。今、振り返ってみると”日本海航路の海運業に密かに支え
られた莫大な富や秘密の金山で築き上げられた財力によって開花した
加賀文化を知る”という隠れテーマもあったのですね。回船問屋跡、か
つての栄華を今に遺す茶屋街、菱櫓見学時の流さんの解説による加賀百万石繁栄の謎と暗躍する悪徳商人(ちがった?)、富や文化の結晶成巽閣の群青の間や兼六園、そうした文化土壌に花開いた明治から現代に続く泉鏡花らの耽美な世界…ちょっとこじつけめいてはいますが、なんとなく流れがかんじられるなあ〜とふりかえっています。
とはいえ、香箱蟹の内子と太郎の鍋料理を食べるのも私の中では重要なテーマだったので、二つとも果たせてよかった、よかったというのが食いしん坊熊田の感想です。

【透玄きょうの一句】春の雪 右肩上げて 線丸し

【きょうの写真】上)金沢の夕刻、浅野川の木橋のたもとにて。泉鏡花先生が向こうから歩いてきそうな空気が漂っておりました。

下)熊田さんの曾おじいさん・熊田源太郎氏の銅像です。自宅のとなりに私設図書館を設け、そこで本を閲覧したり、奨学金制度を設けて支援したり…。人としての理想的な姿を、見たおもいです。あたくしは、自宅前のいまの物置を更地にして、仕事部屋と書庫と人々が集まって交歓できる場(ブックカフェのような)、そして農業と園芸の用具の保管と農作物や薪の貯蔵庫、車庫をかねた建物を構想しております。日常的な場に人々が集まってくれる場、運営していきたいと夢見ております、ささやかながら。
 2004年2月24日(火)  山ノ内町中山町長さんと面談
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朝、山ノ内町役場へ。志賀高原のふもと、湯田中・渋温泉などを抱える観光と農業の町です。数年前に『ベーシックノート志賀高原』という本を取材・編集・出版しました。小布施の東北のとなりにあって、いつも仰ぎ見ている志賀高原のあるこの町には、どこか他人事ではないような親近感を勝手に感じています。それが、2年以上をかけて自主出版したこの本の原動力になっていました。
中山茂樹町長さんとは、それ以前からのおつきあいいただいておりましたが、この本の取材から、語りあう機会がより増えていました。2週間ほど前、カメラマン関眞澄さんの奥さん千尋さんを通じて町長からのメッセージが届き、本日も訪問となりました。

中山町長には、湯田中・渋温泉の観光ボランティアガイドの台本作りなど、今後のあるていど継続的なかかわりについて、お話をいただきました。好きな町からのお声かけ、たいへんうれしく、すこしでもお力になりたいとおもいます。これからの展開が楽しみです。

午前11時、新生病院へ。松村事務部長さんと面談。文屋文庫第3巻に、新生病院の改築プロジェクトへの募金を呼びかける紙片を作ってさしはさむことになりました。募金の委員長はなんと、かの日野原重明先生です(予定)。目標は1億円。ホスピスの増床、回復期リハビリ病棟の新設、療養環境の改善などに使われます。みなさん、ご協力をお願いします。なお第3巻は3月10日ころ、発刊となります。ご予約くださいね。

あすのこの写真帖、テーマは「4月18日(日)玄照寺さんの苗市再興!」についてです。

【きょうの写真】春の雪が庭を舞っていました。
 2004年2月25日(水)  4月18日(日)玄照寺さんの苗市再興!
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朝9時、小布施町の禅宗の古刹・曹洞宗玄照寺のご住職、葦澤義文さんをお寺にお訪ねしました。年数回、定期的に発行している「はがき禅」というはがきによるお寺発檀信徒向けの通信の校正のためです。目的はもう一つ、ありました。
毎年恒例の春のお祭り「苗市」をおもしろく再興しようという企画の打ちあわせのためです。今年の苗市は、4月18日(日)に開かれます。新しい試みとして、前日17日(土)の午後から新しい企画を始める計画が進んでいます。

いま現在の企画書をご紹介します。
今年の「苗市」、おもしろくしますよ。みなさんお出かけください。
アート部門のプロデューサーとして、われらがデザイナー、中村仁さんにご活躍をいただきます。

“境内アート「苗市」”in 玄照寺 チラシコピー案

≪メインタイトル≫
“境内アート「苗市」”in 玄照寺

≪イメージコピー≫
○ 苗市再興!
○ 美の祝祭空間
○ 用いる美、眺める美…アートが結ぶ禅寺と暮らし
○ 舞い、奏で、跳ねる!天まで届け、墓まで響け!!
   禅寺ポップ、古刹ロック

≪趣意書案≫
信州おぶせ、曹洞宗 玄照寺。
およそ半世紀前、若者たちが春のお祭り「苗市」を始めました。まわりの山々にはまだ雪が残る4月半ば。特産のリンゴ畑での農作業がいよいよ本格化する季節。野菜の種や苗、花や緑の苗の露店が参道いっぱいに並びます。参拝と買い物の人々でたいへんにぎわう、春の市として親しまれてきました。
家庭菜園で家族のための野菜を育て、庭や家を花と緑で飾る−−。「苗市」は、農業の町、そして花の町、オープンガーデンの町としての小布施町の生活文化の土壌を、住民たちの熱意によって育んできた市といっていいでしょう。
ガーデニングブームで園芸店が増え、「玄照寺にでかけて種や苗を買いもとめる」という苗市本来の役割は小さくなり、近年は人出の減少傾向がつづいています。ブームの先がけを担った「苗市」が、そのブームの結果として勢いをなくしてしまうという展開…。「苗市」をつづけるのか、どのように魅力をもたせるのか。課題になっておりました。
私たちは、「苗市」をパワーアップして再出発する道を選びました。
「苗市」再興のために、≪“境内アート「苗市」”in 玄照寺≫を旗あげすることにいたしました。私たちは、花と緑によって生活のなかの美、アートを提案してきた「苗市」の意義に注目しました。美、アートをより大きなイメージでとらえ、文化芸術活動をする人たちに、発表、展示、販売、広報の場として、「苗市」を開放いたします。
新しい視点による「苗市」の運営によって、「苗市」と玄照寺の振興を図り、あわせて、生活文化の向上や文化芸術活動をされている方々への支援につながれば、幸いです。
主催者と出展・出演者が交歓しながら楽しみ、来訪されたお客様にもじっくりとお楽し
みいただいて「来年も来たい」と感じていただけるように、思いやりのこころで仲良く、運営をつづけていきたいとおもいます。
みなさまのご来場を、こころよりお待ち申しあげます。
                                 平成16年春 玄照寺奉賛会

【きょうの写真】まだまだ生の火の温みが恋しいですね。夕方、りんごの枝を燃やす暖炉の前で、長女星河は学校から帰ってこたつでお昼寝。まだ寝ぼけているようです。
 2004年2月26日(木)  ナノテクの遠藤守信先生の原稿
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朝から、文屋文庫第4巻の原稿に手を入れていました。
第4巻にご登場いただくのは、信州大学工学部教授の遠藤守信先生です。ご存知の方も多いとおもいますが、ナノテク(十億分の1メートルの科学技術)の権威で、すでに2回、ノーベル賞候補になっている先生です。

本のタイトルは「創造的精神=クリエイティブ・スピリッツ」。
すでにたくさんの新聞や雑誌、単行本などに紹介されている先生ですが、先生の人間像や研究姿勢に迫った本はまだありません。この本は、先生の母校須坂高校の80周年記念で昨年秋に先生が、後輩たちに語りかけた講演の記録を背骨にしています。その背骨に、先生やナノテクについてのレポートや資料などの情報を肉づけしています。

本日午後、小布施の仕事場から車で長野市の先生の研究室を訪ね、A4で25枚、約3万字の素原稿を持参しました(先生にはお会いできず、秘書の青木さんに手渡しました。青木さん、いつもありがとうございます!)。先生はこの原稿を、この週末、読んでくださり、校正をいただくことになっております。

この原稿は第一稿です。先生への質問事項が盛りこまれてあり、来週あたりに先生にお会いしてインタビューを行い、原稿を追加します。そのとき、カメラマンの関眞澄さんに、写真撮影をお願いする予定です。

タイトルのとおり、創造的精神と挑戦する姿勢が熱く語られています。
先生が創作し、日々ご自分に言いつづけている、後輩たちにも語っていることばを記しますね。
Never,never,never,and never,never give up.
「天才ではないからこそ、Neverを4つ言い、一回休んで考え、さらにNeverをくわえ、計5回のNever Give upによって、目標を達成していくことのたいせつさを表現しています」と先生。理工系の方でなくても、容易に通読できる内容に仕上げます。どうぞ、ご予約ください。

4月中に発刊の予定です。

【透玄きょうの一句】春の闇 闇の光を 古鏡

【きょうの写真】カーボンナノチューブの模型を手に語る遠藤先生(長野市の信州大工学部で、毎日新聞の近藤卓資さん写す。毎日新聞のサイトより転載しました)http://www.mainichi.co.jp/news/article/200307/19m/121.html
 2004年2月27日(金)  えーご、再開宣言♪
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朝から仕事場で編集の仕事をしてから、家でお昼を食べて、休んで、それから新生病院の喫茶室メイプルへ。デヴィッド・ヒルトンさんに会うためです。
デヴィッドさんはいま30代半ば。アメリカ・アーカンソー州の田舎町に生まれ育ちました。ご両親と妹さんがいます。高校生のころ、日本人の男の子のホームステイをうけ入れたのをきっかけに日本への関心を抱きました。地元の大学で文化人類学やまちづくりを学んだあと、英語教師として日本へ。小布施町の東北にある信濃町(黒姫高原とか野尻湖で有名)の中学校に赴任しました。
この中学校で出会ったのが、奥さんのサトコさんです。サトコさんは長野県武石村の生まれで、養護教諭や国語の先生をされています(いまは、須坂市墨坂中学校)。
2人は結婚に前後して住まいを小布施町に移し、デヴィッドさんは十方庵(じっぽうあん)という民間の文化観光施設で働いたのち、小布施町教育委員会に採用されました。現在、小布施町立栗ガ丘小学校と町立の幼稚園、保育園を、日替わりでまわり、すべてのクラスで英語を使った授業をしています。子どもたちにとけ込んで、大きな明るい声でユーモアいっぱいに動きまわる彼の授業は、とっても好評です。「デンゾウ」という犬の指人形を使った「デンゾウ・ショウ」を考案して、先生方に「デンゾウ」が英語と日本語でインタビューをする数分間のビデオショウも、すごい人気なのだそうです。

あたくしは彼と、子どもの通っているラボ国際交流センターの橋渡しで出会いました。仕事や暮らしでは100%日本語で過ごしているあたしにとって、彼との会話は唯一の英語を使う機会です。数か月ぶりにきょう、ゆっくりと語りあう時間がもてました。で、ささやかに決めました。

「そうだ、えーご、再開しよう…」。

長続きをさせたいので、まず、インターネットで、英字新聞の数行を和訳解説して配信してくれるメールサービスと、英語のジョークを毎日配信してくれるサービスを申し込みました(無料)。すこしずつ、英語を楽しんでいこうとおもいます。

毎日1分!英字新聞→http://www.ka-net.com/magazine.html
アメリカジョークに習え!→http://www.americanjoke.com/

え?目的はなにかって? …とくにありません。でも、第七感みたいなものが、「そろそろ始めよかー」ってささやいてくれているような気がしますんです。

彼と別れてから、玄照寺さんへ。600軒の檀信徒さんに配る季節の通信「はがき禅第十号」を納品。あわせて、4月17・18日の「境内アート苗市in玄照寺」の打合わせを行いました。みなさん、お越しくださいね!

【透玄きょうの一句】苗市の寺にしたたる雪解水

【きょうの写真】デヴィッドさんと、メイプルにて。ケントとマリアの一男一女のお父さん。まもなく3人目が誕生します。予定日は3月19日。1日早まると、あたくしとおなじ誕生日になるのです♪
 2004年2月28日(土)  二男の荒野と有機農業の勉強会に
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朝から仕事をしたあと、お昼前に車で二男の荒野と黒姫高原のホテルアスティアくろひめ(JAの経営)へ。目に前にスキー場が広がっていますが、それを横目に見ながら、ホテルで開かれた「長野県有機農業研究会」の第24回大会に参加しました。

この研究会に参加するのははじめてです。以前から、年に12回も行うリンゴの消毒や、土作りの知識がまったくないまま畑をやっている自分の姿に、「兼業だからって、こんないいかげんな農業をしていていいの?」と疑念を抱いておりました。ちょうど荒野がこのたび、須坂園芸高校に入学が許されて春から通いはじめるのを機に、自分も5反分(50アール)の田畑(でんぱた)への関心や学習やら、そこで過ごす時間を増やそうと考えており、ちょうどいいタイミングで開かれたこの会議に参加したというわけです。

タイトルは「21世紀の畑を作ろう!〜みんなが参画するコミュニティの農業〜」。小布施町のある長野一区出身の民主党の衆議院議員・篠原学さん(元農林水産制作研究所所長)と、武居博明さん(NPO法人日本有機協会代表、塩尻市会議員)、久保田清隆さん(中条村の有機栽培農家、有限会社まごころ・ふれあい農園代表)、小幡哲文さん(オーガニックベーカリー&カフェMOSS GREEN代表、マクロビオテック師範)の4名が、竹前成知さんの司会で、それぞれの体験や理念や課題を語りました。

小幡さん。
長野市川中島に開かれたお店、モスグリーン。近いうちにお伺いします。「牛乳は子牛のためのカルシウム。母乳とは成分が異なる。牛乳の成分、カルシウムなどを人は吸収できない。」
「長野市のメルパルク長野にてオーガニック料理やお菓子の教室を開いています。」

久保田さん。
「足元を見て、安全でおいしい野菜を食べていただきたい。とくに近くの長野市の人たちに。」
「農薬は誤り、あれは農毒と呼ぶべき。」
「枯れる、虫がつく、病気になるは、自然からのメッセージ。原因がある。」
「農毒で対処する医者から、病気にならないように元気な土や野菜を育てるお父さんお母さんになりたかった。だから有機栽培を始めました。西洋医学と東洋医学の違いに似ていますね。虫がつかない健康な野菜を作りたい。」
「年間に5人くらい、将来有機農業を本気でやりたい人を研修としてうけ入れたい。」
「農業は私にとって遊びです。本気の遊びです。」

武居さん。
「土と水とお日様の光。環境を整えてやって、あとは自然に育つような農業を。」
「有機農業を行うということは、作るだけではなく、消費者とのコミュニケーションをはかって販路を開拓しつづけるということ。」
「地方の農家が協力して半年間、東京に出荷しなければ、東京の人たちはみんな、田舎に移住してきますよ(笑)。」
「田舎人は、正当な対価を東京から受けるべきだ。都会に奉仕する必要はない。日本人は正当な対価を途上国の人たちに返すべきだ、おなじ人間のおなじ一日の労働なのに、為替レートとか国の産業の力の違いなどから、100:1なんていう報酬の違いが出ている。こんなこと、許されるはずがない。」
「地元の塩尻の人たちに安心安全でおいしい有機野菜を食べていただきたくて作っています。都会のデパート地下の食品売り場の有機コーナーで買い求めているお金持ちに食べさせたくはない。」

篠原さん。
「江戸時代の地産地消のスローライフを日本の理想像として掲げた民主党の菅直人代表。参院選までに民主党の農業再生プランを示します。」
「地産地消・旬産旬消は食生活の問題にとどまらない。産業構造や生活文化、この国の将来のあり方を問うテーマです。」
「英国ではケージ飼いの養鶏を数年のうちに禁止します。1羽あたりの飼育場の面積を決めています。(人道的→)鳥(とり)道的、動物の権利に反する、つまり反鳥道的な飼育にNOと言っています。人間至上の考えの西洋で、動植物をたいせつにする傾向があり、山川草木を人と同様に考えてきた極東の日本で、きわめて動物に酷な飼育がつづいています。」
「(野原で鶏を飼っている農家のおば様の質問に)太陽の光を浴びて草を食べて動きまわっている鶏と、ウインドウレスの(窓がない)鶏舎で水ぶくれにされている鶏では、体力が格段に違います。鳥インフルエンザへの警戒は必要ですが、人間とおなじで、体力があればウィルスをはののけられます。安心して、養鶏をつづけてください。」

このおば様とお隣にいらしたおば様は感激をされて、「30年間、食の安心を願って有機栽培をつづけてきましたが、私たちのことをわかって、話をして、リードしてくださる国会議員に、はじめて出会いました。それも地元の信州から。ぜひがんばってください」とエール。
篠原さんは「10年後、いや5年のうちには、政権をとり、菅総理のもとで、農林水産大臣になって、この国を変えていきます」とあいさつなさっていました。

篠原孝さんのサイトです。
http://www.dia.janis.or.jp/~t-sino/

ところで二男の荒野くん。午後1時半から2階の休憩をはさんで5時半までの約4時間。4名のみなさんのトークや会場のやりとりを、目を見開いて聞きつづけていました。「難しいことばもあったけれど、だいたいはわかった」とのこと。「園芸高校では農業や動物のことを学びたい。将来は保育士の資格をとって、里山でヤギなんかの動物を飼いながら野菜を育てる、幼稚園の先生になりたい」とのこと。あれ、犬の訓練士の夢は? まっいいか、おまえの道を行くがいい。

【きょうの写真】『森の人、人の森。〜森の聞き書き甲子園が高校生にもたらしたもの』が完成、届きました。ウェッジ出版より、お値段は1600円です。みなさん、書店にてお求めくださいね(3月中旬から全国発売されます)。

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