Monochrome-Monologue

2004年3月
 2004年2月29日(日)  自転車20キロバクバク走!
朝からおっとりとしたいいお天気でした。
きょうは2月最後の日ですね。2月はふつう、29、30、31日がありまへん。毎朝毎夕、ご先祖様(お仏壇と家系図の掛け軸)にお参りをするのですが、わが家のばあい、あたしで実質7代目でして、12か月のうちこの3日間に3名様の命日があります。31日は、あたくしのおばあいちゃん、8月の31日です。2月は3名様に命日が来ないことになります。「願わくば、1日から28日に死なむ」と、おもっております。ささいなことですけど。

きょうは、家族でスキーに出かける予定でしたが、金曜日から長女の星河が、ヨウレン菌とかいう風邪の一種にかかって寝込んでいるため、来週日曜日に延期。朝から仕事場におりました。

でも、からだを動かしたくて昼過ぎからむずむずしてきましたもので、「おっしゃ、自転車、乗ったろ」とおもいたち、北の窓の外を見るとけっこう北風が吹いているようでしたが、意を決して愛車にとび乗りました。

リンゴ畑を抜ける農免道路を北へ。千曲川堤防に近い中野市の信州中野ICを横目に、豊田村へ(唱歌「ふるさと」の村です)。それから南へ方向を変えて、小布施橋を渡り、帰宅しました。行きは北風の向かい風、帰りは北風の追い風。「やっぱ、追い風がいいな」と、あったりまえのことをおもいながら、家をめざしました。
走った距離は約20キロ、途中1キロほど野原を走ったり歩いたり。爆走というほどかっこよくはなく、心臓バクバクの90分間でした。

【透玄きょう一句】銀輪の 銀の鏡に 土手青む
 2004年3月1日(月)  かんてんぱぱ、塚越社長のもとへ
あさ、ちょっと仕事をしてから着がえて、昼前に車で出発。めざすは伊那市のかんてんぱぱ・伊那食品工業の本社。塚越寛社長の本の打合わせです。この本の取材、執筆に取りくんだのは一昨年の初夏でした。すでに2年半以上が過ぎております。断続的な執筆と編集ではありますが、さすがにじっくりと、腰をすえて取りくませていただきました。
原稿の校正はこれで5回目。本日約2時間、2人で会議室にこもってずべての原稿をチェックし、やはりかなりの量の直しが入りました。

帰宅して、これから数日をかけて修正を施します。そのあとはいよいよレイアウトへ。3月中にレイアウトを終了し、4月には印刷の段階へ進めたいとおもいます。
塚越社長にとっては、ご自身の経営理念を後輩たちに伝えるための、いわば経営のバイブルを制作するというおもい意図をおもちです。それにお応えするのは至難の業ですが、なんとか、あきれられながらも、ここまで来ることができました。完成が楽しみです。

ただ、この本は基本的に、社内の後輩やお取引先に配るのが目的であり、完成しても書店に並ぶことはありません。お求めいただけるようになるためには、「初版の読者からの反応を見ながら、再度手を加えてから」とのこと。全力で取りくんでいきたいとおもいます。

【透玄きょうの一句】下萌えや 野の井戸 天と地を貫けり
 2004年3月2日(火)  湯田中、一茶の道を歩きました
kako/2004_3/10422234555.jpg
kako/2004_3/10422234555-2.jpg
朝9時、山ノ内町役場へ。観光担当のお2人の職員とカメラマンの関眞澄さん・千尋さんご夫妻、ボランティアガイドの小林幸子さんといっしょです。役場から歩いて長野電鉄湯田中駅へ。ここには最近、足湯がオープンしました。そのとなりには、昭和2年建造の旧駅舎が、改装されてギャラリーになっていました。切り妻の簡素な建物はこれまで、倉庫として使われていたそうです。80年近い歳月を経た木造建築に、自然と頭が下がりました。
それから里山の一茶の散歩道へ。俳人小林一茶さんは近くの温泉宿に逗留して、門人たちに俳句を教えました。南に湯町を抱える抱き日の地形。里山は湯町に沿って東西に伸びています。
片道2キロほど。終点は世界平和観世音でした。

これからさらに取材をかさね、3月中に、この散歩道のガイドのための台本を作成いたします。

午後は、この町の古刹、曹洞宗興隆寺さんを訪れ、ご就職ご夫妻にセキカメラマンといっしょにお茶をいただきながらお話を伺いました。

快晴と猛吹雪の同居した1日。冬と春のあいだにいることを実感しました。

夜、テレビで玉村豊男さんのヴィラデストにおけるワイナリー創設に向けた日々が1時間番組に。おめでとうございます、玉村さん。春に、みんなでワインをいただきに参ります、ね♪

【きょうの写真】上)湯宮神社の山にある「動き岩」(譲り岩)に建っている「大山津見命」(大山の神様)の碑。導かれているなー、とおもわず手を合わせました。感謝。

下)地震から守ってくださるという民間信仰のある見族の石仏さんの前で。

【透玄きょうの一句】草萌えや 朝の陽抱き 烏舞ふ
 2004年3月3日(水)  農業あっての小布施です
kako/2004_3/10423234245.jpg
このほど完成した『森の人、人の森。』(ウェッジ出版)を、取材でお世話になった高校生と名人のみなさんに、きょうとあすに分けて発送しました。東京では、東京新聞がこの森の”聞き書き甲子園”のことを、主催者のお一人、渋澤寿一さんのインタビューとともに、大きく報じています。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20040223/mng_____thatu___000.shtml
3月28日には東京にて、第2回目のこの事業の成果を発表する公開フォーラムが開かれ、それに参加してきます(東大農学部内の一条ホールにて13:30〜16:40)。森の”聞き書き甲子園”の活動には、ひきつづき参加していこうとおもいます。

取材をしていていつも頭にあったのが、「では小布施において、自分はどう生きるのか」ということでした。5反分の田畑を持つ者として、まずはこの農地を、いいかたちで営んでいきたいとおもいます。それには、時間のやりくりをしっかりとおこなうだけの、”農への構え”が必要だと考えています。
大きな農家ではありませんが、自分の農地での耕作をつづけようという人が、一人でも多くいることで、田園地帯としての小布施のよさが保たれていきます。栗のお菓子は輸入品(町の外からの)でも作れます。しかし、小布施の栗菓子の値打ちはやはり、栗やリンゴや野菜、水田に囲まれた小布施で作られていることです。できるだけ多くの小布施栗がお菓子に使われてほしいですし、その比重が高いほど、小布施らしさへの誇りや評価は長くつづくのではないでしょうか。

そう考えていたら、知人の溝口久さん(静岡県)から、九州湯布院の話題が届きました。新聞記事です。観光と農業のバランス、とっても考えさせられますよ。「美日常」についても。転載させていただきます。

■朝日新聞・大分版・2004/3/2
------------------------------------------------------------
湯布院走り年「辻馬車」
------------------------------------------------------------

子どもたちを乗せて走る辻馬車=1日、湯布院町で
温泉観光地として知られる大分県湯布院町で1日、
「辻馬車開き」があった。
ひづめの音を響かせる観光馬車が走り始めて30年目。
「牛喰(く)い絶叫大会」や音楽祭など町の代表的な催しも今年、
30回目を迎える。
「癒やしの温泉郷」を目指す取り組みは
「まちづくりのモデル」として視察が相次ぐが、
観光客目当ての出店ラッシュの一方、
農林業の不振で農村風景は少しずつ失われ、
変わりゆく「ゆふいん」を懸念する声もある。

JR由布院駅前であった辻馬車開きでは、
由布院温泉観光協会の志手淑子会長が
「30年も続いたのは観光客の皆さんのおかげ」とあいさつ。
町内の幼稚園・保育園児ら170人が分乗、試走した。
2日から営業を始め、12月末まで続く。

辻馬車が初めて走ったのは75年7月。
大分中部地震の被害を受けた後、町の健在ぶりを示そうとスタートした。

旅館経営の中谷健太郎さん(70)や溝口薫平さん(70)らが
71年に町の将来像を探ろうと、欧州を視察。
ウィーンの観光用の馬車がヒントになった。
「田んぼの中を走るにはバスより馬車がいい」と、
長崎県・対馬から小型の馬を購入。
温泉観光協会が始めた。
当初は9人乗りだったのが、現在は10人乗りで3台。
馬も北海道の競馬で使われた力強い種類に。

特産の牛肉を食べて思いを叫ぶ秋の「牛喰い絶叫大会」は、
放牧地を守るために都市部の人々に牛のオーナーになってもらう
「牛一頭牧場運動」が発端だった。

そんな企画や「まちおこし」の効果で、
観光客は増えて年間380万人になった。
その一方で、農家は激減した。
01年の観光消費額162億4千万円に対し、
農業粗生産額は14億4千万円。

辻馬車の3人の御者のうち浦田健一郎さん(61)は、
26年間で20万人以上を乗せたという。
今年も、4キロのコースを1日5回走る。
この間、周辺の風景は大きく変わった。
田畑が減り、新しい店が次々に出来た。

中谷さんは「環境こそ産業の土台。
風景が良くなければ観光客は来ない。
農業と観光が共存できる温泉保養地づくりを目指してきたが、
今、大きな転換期を迎えている」と話している。

【きょうの写真】湯布院町助役の志手一夫さんから溝口さんに提供された辻馬車の写真です。溝口さん、いつもありがとうございます。

【透玄きょうの一句】御心の かたちのなりに りんごの芽
 2004年3月4日(木)  いいね、須坂東高!
朝9時に家を出て、車でとなりの須坂市にある長野県須坂東高へ。2年生の長男真風が通う高校でして、卒業式にPTA役員として参加しました。須坂東高はいままで、成績や部活、生徒指導、進路指導など、いろいろな面で課題が多く、元気もいまひとつ、という実情がありました。
かつて女子高であったこと、”地域一番校”とされる須坂高校が進学校であるのに対して、須坂東は大学進学から就職までじつに多様な目的を持った生徒が集まっていることなど、この学校の歴史や地域における位置づけが、こうした実情を育んできたようです。

「東高をなんとか盛りあげたい」、「偏差値や大学進学の結果といった、一つのモノサシではなく、それも含めた多様なモノサシ、価値観を、自由におもいきり伸ばせる場に」、「学歴偏重から実力、個性、自主性を重んじる社会の傾向は、東高にとっては追い風」といった声が、先生からも保護者からも聞こえるようになっています。
長野県は今春から高校の通学区を小ブロックから中ブロック制に拡大しました。あわせて自己推薦による前期選抜制を導入しました。そうしたなか須坂東高の倍率は1.05と、久しぶりに1倍を上まわりました。こうした変化は、変革を起こそうとする意識が関係者にある限りにおいて、進歩のチャンスです。

4月から、不肖あたくしはPTA会長になるんです。で、相棒の安原玉美副会長さんや先輩の役員さん、先生方と話しておるのですが、生徒各自の希望を最大限に生かせるコース制の導入や、補習授業の実施、地域の経験豊富な方々との語りあいの場、外国の高校との交流の機会など、理想に向って一つでも実現させていきたいとおもっております。たやすくはないでしょうねどね。おもいっきり楽しんじゃうのだ。

みなさん、なにかご助言をいただけると幸いです。
(なんだか、すっごくマジな写真帖になってしまいました♪)

メールで、「素晴らしい街」というタイトルのお便りをくださった池川早苗さん、そして文屋文庫第一巻の感想と小布施へのおもいをはがきにお書きくださった山形県の石川重二さん、ありがとうございました。

【透玄きょうの一句】のっしのし しあわせそうな 孕(はら)み猫
 2004年3月5日(金)  ゴルフ宮里藍さんの”静かな筋肉”
kako/2004_3/1042714313.jpg
高校3年生のプロゴルファー、宮里藍(みやざと・あい)さんの活躍が話題になっていますね。あたしはゴルフをやらないので関心がなかったのですが、今朝の朝日新聞の記事が目にとまりました。
タイトルは「『静筋』を強化」。サブタイトルに「宮里優さん、娘藍の課題を語る」「読書通じ冷静さ養う」です。

「静筋」は「じょうきん」と読みます。父優さんが考えた造語で、「こころの筋肉」のことだそうです。「つまり静かにものごとを判断する力。これがないと、いきつく場所はそう高くはない」と断言されています。

では、それを鍛えるには?
優さんは「本を読むことです」と言います。静かな時間はほかに、学校の勉強やピアノなど。藍さんは中学時代、年間300冊(!)以上を読破していたそうです。最近も移動時間は努めて「静かな時間」にとのこと。

宮里さんについては、
http://www.jal.co.jp/press/2003/111001/111001.html

サッカーの中田英寿選手も、バスで移動中は岩波文庫の古典を読んでいましたね。

ただ、からだの筋肉を鍛えても、その使い道を誤れば犯罪を犯します。こころの筋肉=静筋も、おなじですよね。どんな目的を抱いて歩んでいるのか。人としての、選手としての根本の部分を、この新聞記事からは読みとれませんでした。動く筋肉と静かな筋肉。この2つを動くかす大元の部分の鍛え方を、きっと優さんは藍さんに伝授なさっているはず。それを知りたいとおもいます。

文屋文庫第4巻の信大工学部教授・遠藤守信先生よりメールをいただきました。3月23・24・25日のいずれかに、インタビューと写真撮影をおひきうけいただけることになりそうです。ゴールデンウィーク前には出版したいとおもいます♪

【透玄きょうの一句】ものの芽や 凡事のごとく 勢ぞろい

【きょうの写真】藍さん。プロとしてのスポンサー、日本航空が彼女を紹介している上のサイトより転載しました。
 2004年3月6日(土)  経理経理けーり!!
文屋文庫第3巻、第4巻、そして水野茂さんの自伝編集、塚越寛社長の経営理念の本の仕上げ・・・たくさんのお仕事をうずたかく目の前に積みながら、きょうから2〜3日は、確定申告のための経理帳簿の整理に集中です、とほほ。
朝から晩まで、数字とにらめっこしていました。なぜこんなにたいへんかといいますと、それは簡単で、昨年1年間、一度も帳簿をつけずに過ごしていたからです(おはずかしい)。忙しさを理由にしていたのですが、だめですね。やはり月末には毎回、締めてふり返って計画を立てないと。
どんな数字が出るのか、わからないのですが、期待したいものです。

きょうは午後3時から、映画「折り梅」の上映会が小布施町で開かれました。好評のため1回上映のところ、午後5時半から2度目の上映をしました。妻も母も観にいきましたが、あたくしは上の理由によりお預け。ただ、市村良三さんや小林一三さんや関悦子さんを始め、映画祭の仲間が一生懸命にとり組んでいらっしゃるので、午後5時まえから1時間ほど、駐車場係のお手伝いだけ、させていただきました。

経理けーりの1日でしたが、唯一、林映寿さんからの電話とメールには救われました。小布施のためにも、日本のITとまちづくりのためにも、とっても役に立ちそうな企画を、2人で練っています。もうすこし具体化したなら、また書きますね。お楽しみに。

あす7日(日)は妻と二男と長女といっしょに、黒姫高原へスキーと温泉に行ってきます。長男真風は長野高校グラウンドにて、サッカーの試合だそうです。それではまた、みなさんも、外に出て運動しましょうね♪

【透玄きょうの一句】うずくまり 陽を一身に 孕み猫
 2004年3月7日(日)  2年ぶりのスキーでした♪
kako/2004_3/10428224519.jpg
きょうは、家族で2年ぶりにスキーに出かけました。朝8時に車で家を出て、長男真風のサッカーの練習試合会場の長野高校まで送り、それから妻と二男と長女の4名にて、黒姫高原スキー場へ。
このスキー場は、小布施町の北西へ直線で20キロほどにあり、北信五岳の一つ黒姫山の東斜面に広がっています。
高速を使えば家からスキー場まで30分、国道を使っても40分で着いてしまいます。「あたしたちって、いいところに暮らしているんだねー」と妻と語りあいました。

このスキー場で滑るのは、はじめてです。サイトには、つぎのように紹介されています。
==
「信濃富士」とも称される黒姫山(標高2,053m)の東山麓に位置するゲレンデは北欧を思わせるロケーション。雪は上質のシルキースノーです。
お子様からベテランまで楽しめる変化に富んだコースが11本。野尻湖に向かっての眺望は抜群で、気持ち良い滑走が楽しめます。
 下部は夏の期間に牧場やコスモス園として使用されており、エプロンの広い見通しの良いゲレンデは、初心者、ファミリーには危険も少なく最適です。
==
この自己紹介文、けっして大げさではなく、とってもおおらかな雰囲気の
ゲレンデでした。”自己流中級”を名乗るあたくしとしましては、初級から中級のコースがぴったり。下手ながらに、おもいっきり白銀の世界を楽しむことができました。
ノリノリで滑っていましたら、うっかり「上級」コースの迷い込んでしまい、「えーいいっちまえ」と滑りだしてすぐに後悔。コブ(でこぼこ)だらけなのです。高さにして50センチから1メートルもあるような大小のコブの連続です。戸惑って止まっているところに、上からほとんど直滑降状態でコブを飛ぶように乗りこえている若者が、目の前を降っていきました。無鉄砲にも「つづけ!」とばかり、後を追って2〜3秒。スキーをコブの上の深い雪にズボッ!なにが起きたかわからないまま3メートルくらい下に飛ばされて、背中から着地。足にはスキー板が付いていませんでした。どこもケガしなかったのが不思議です。

朝10時半からお昼をはさんで2時半まで、あわせて3時間半であたくしはお休み。二男荒野はリフトが止まる夕方4時40分ぎりぎりまで滑りとおしでした、若い!妻と長女は後半、子供向けの雪の公園で戯れておりました。あたしは、ヒュッテで日向ぼっこしながら、昼寝をしました。

一日中、雪が舞い、時には猛吹雪になりましたが、帰りのエンジンをかけた途端に雲が風に飛ばされてなくなり、10分後には快晴に・・・なんなんだよー。

おもったこと、一つ。
スキーレンタルのおじさん、ヒュッテの給仕のおば様、お姉さまたち、すごく感じがよかった。仕事を楽しんでいる感じ。それに、食事のテーブルも、お客さんが立つとすぐに片付けて、テーブルの下のゴミまできれいにしたり、トイレもきれいに掃除されていたり・・・信濃町のみなさん、いい観光地づくりされていますね。みなさん、黒姫高原、お勧めですよ。

スキー場を後にして、車で中野市のぽんぽこの湯へ。サウナ20分+水風呂ですっきり♪ それから中華の横浜亭でラーメンと餃子の夕食。家に帰り、なんにもしないで、眠りにつきました。あーハピー、ハッピー♪

【透玄きょうの一句】まだら雪 なすべきことの うず高く
春一番 しおれし球に 息を入れ

【きょうの写真】黒姫のスキー場です(サイトより転載)
 2004年3月8日(月)  4月17・18日は小布施の玄照寺・苗市へどうぞ
kako/2004_3/10428225748.jpg
朝9時、小布施町大島の古刹・玄照寺へ葦澤義文住職を訪ねました。
4月17日(土)・18日(日)に開く文化イベント「境内アート苗市」の打合わせです。昨日の奉賛会という玄照寺の会議で、開催の了解をいただきました。予算はじゅうぶんではありませんが、苗市再興、そのためのアートを切り口にした新しい展開に、期待の声が寄せられたそうです。相棒の中村仁さんと2人、電話で成功を誓いあいました。
みなさん、ぜひ、お越しくださいね。
近いうちに、斬新なJINデザインのポスターとチラシが完成いたします。

≪メインタイトル≫
“境内アート「苗市」”in 玄照寺

≪イメージコピー≫
○ 苗市再興!(2年目くらいまで、この目的を明示して前面に出します)
○ 美の祝祭空間
○ 用いる美、眺める美…アートが結ぶ禅寺と暮らし

≪趣意書≫
信州おぶせ、曹洞宗 玄照寺。
およそ半世紀前、若者たちが春のお祭り「苗市」を始めました。まわりの山々にはまだ雪が残る4月半ば。特産のリンゴ畑での農作業がいよいよ本格化する季節。野菜の種や苗、花や緑の苗の露店が参道いっぱいに並びます。参拝と買い物の人々でにぎわう、春の市として親しまれてきました。
家庭菜園で家族のための野菜を育て、庭を花と緑で飾る−−。「苗市」は、農業の町、そして花の町、オープンガーデンの町として知られる小布施町の、うるおいある生活文化の土壌を、住民たちの熱意によって育んできた市といっていいでしょう。
ガーデニングブームで園芸店が増え、「玄照寺にでかけて種や苗を買いもとめる」という苗市本来の役割は小さくなり、近年は人出の減少傾向がつづいています。ブームの先がけを担った「苗市」が、そのブームの結果として勢いをなくしてしまうという展開。「苗市」をつづけるのか、どのように魅力をもたせるのか。課題になっておりました。
私たちは、「苗市」がもっている眠れる力をひき出して、いまを生きる人たちが求める「苗市」に創りなおす、再出発の道を選びました。
「苗市」再興のために、≪“境内アート「苗市」”in 玄照寺≫を旗あげすることにいたしました。私たちは、花と緑によって生活のなかの美、アートを提案してきた「苗市」の意義に注目しました。美、アートをより大きなイメージでとらえ、文化芸術活動をする人たちに、発表、展示、販売、広報の場として、「苗市」を開放いたします。
新しい視点による「苗市」の運営によって、「苗市」と玄照寺の振興を図り、あわせて、より豊かな暮らしの創造やアーティストのみなさんのあとおしにつながれば、幸いです。
主催者と出展・出演者が交歓しながら楽しみ、来訪されたお客様にもじっくりと興じて
いただいて、「来年も来たい」と感じていただけるように、思いやりのこころで仲良く、運営をつづけていきたいとおもいます。
新しい「苗市」を、いっしょに育ててください。みなさまのご来場を、こころよりお待ち申しあげます。
                                 平成16年春
           玄照寺奉賛会
“境内アート「苗市」”in 玄照寺運営委員会

≪内容≫
○ 日時 平成16年4月17日(土)午後と18日(日)朝から午後
○ 場所 曹洞宗 玄照寺(〒381-0203 長野県小布施町大島90−1)
TEL:026−247−2100

==========
午前から午後は経理の帳簿整理。
午後4時から7時まで、おんだ整骨院さんにて、ハリとマッサージで至福のひと時。

【透玄きょうの一句】手水鉢(ちょうずばち) この春の水 満たしけり

【きょうの写真】わが家の庭にむかーしからある自然石をくりぬいた手水鉢。冬のあいだ、栗の枯葉がたまっていましたが、きょう昼過ぎ、車を洗ったときに、きれいにして、新しい水を満たしました。そこで一句↑。

 2004年3月9日(火)  死生観 中西進先生の人間塾
kako/2004_3/1042100279.jpg
朝10時半、地元の週刊新聞・須坂新聞社の記者、大硲(おおば)真一さんが仕事場に取材に来てくれました。話題は、まもなく発刊になる文屋文庫第3巻の紹介記事。それとあす出来上がる本『俳人喜多牧夫』、さらにはこのたび完成した『森の人、人の森。』について、1時間半ほど、緑茶をすすりながら語りあいました。
須坂新聞はあたしが25歳から30歳でオーストラリアへ遊学するまでの5年間、記者をしていた会社です。まったく書き方を知らなかった、まして取材のしかたも知らなかったのですが、北沢邦夫現会長をはじめ先輩のみなさんが、一から教え導いてくださいました。いま文屋を営めているのは、この新聞社で記者として鍛えていただいたおかげです。大恩人の会社です。
大硲さんは、あたしが辞めるすこし前に入社した人で、いまは小布施町を中心に担当されています。第3巻は、来週20日の号に掲載していただけることになりそうです。有り難いことです。

いま、中西進先生の『古代死生観の謎に迫る』という文章を読んでいます。アンダーラインを引いた個所をいくつか、抜き書きしますね。

「(スサノオの命の)神話は、生命にとって死こそが本来の世界であり、生とは仮の世界だったことを教えてくれる。」

「生がつねに死におびやかされているのであれば、まさにこの世は、うたかたの仮の世にすぎない。死の世界こそ根源の世界である。」

「日本人の考えた他界は仙郷や仏教のあの世と根本的にちがうといえるだろう。生まれかわる新しい世界である。」

「『こころ』とは『ころ・ころ』のつまった発音だから、日本人にとって『こころ』とは角をすべて削ぎ落とし、もっとも美しく凝縮した球形のものを体の中に想像したことになる。」→和合のこころがけに通じますね♪

「『きわまる』ということばは、『おわる』とちがって、無限に終点に近づくが終焉(しゅうえん)がない動作をいう。(中略)仕事には終わりがあるが、道には終わりはない。いかに道を極めようとも、なお不足である。」→”無限に先の終点”、すごいことばですね。

この中西先生から学ぶ中西人間塾の第一期生として、今週土曜日午前、東京にて2回目の塾に参加してきます。
仏教も神道もさらにはキリスト教の慣習も取り入れて暮らしている日本人。私たちにとってでは、「死」とは、「生」とは?楽しみです。

【透玄きょうの一句】うたかたや 根の国に染む まだら雪

【きょうの写真】1月の塾であたしたちに、にこやかに語りかけてくださった中西先生。
 2004年3月10日(水)  牧夫先生、本が出来ました
kako/2004_3/1042131513.jpg
朝から仕事場にて、経理と編集の仕事。編集は、長野国際親善クラブの会報の作成を中心に行いました。
午後3時過ぎ、上田市のアオヤギ印刷・中山伸尚さんが、新刊本を届けてくれました。『俳人喜多牧夫』です。昨年秋からとり組んできた本が、ようやくできあがりました。刊行委員長の市村次夫さん、編集をおもに進めてくださった稲田美恵子さん、高橋宏和さんをはじめ関係者のみなさん、ご支援ありがとうございました。この本は、刊行委員会の発行で、発売は文屋が行います。定価は税込2,000円です。みなさん、お求めくださいね。

喜多牧夫さんは小布施に生き、小布施に散った俳人です。私は26歳ころ、須坂新聞の記者として出会いました。それから亡くなるまでの約10年間、お世話になりました。出会った当初から「俳句をやれやー」とお勧めいただいてましたが、ほとんど実作をしないままでした。唯一、「いいじゃねーか」とほめていただいた作品を覚えています。
「野の川に音なき雪のまだら落ち」です。「野の川にまだら落ちする雪静か」という私の句を、「静かは説明になってしまってる。情景をそのまま描けば、静けさも、田んぼに漂っている風の様子も描けるんだ。静かはいらない」と言われ、冒頭のように直していただきました。

牧夫さんは私が生まれた昭和34年から10年間、豆腐屋を営みました。私の祖母と牧夫さんの奥さんが同郷(高山村高井)であったためか、親しくわが家にも来られたそうです。だからもしかすると、私が生まれてはじめて口にした豆腐は、牧夫さんのかたーい木綿豆腐だったのかもしれません。

本の表紙は、牧夫さんが愛用した真ちゅう製の豆腐笛(2代目)です。真ちゅうのくすんだ金色を出すために、4色カラーで印刷しました。内容は、牧夫さんの句集2冊と、牧夫さんの恩師角川源義先生が牧夫俳句を評した文章、それに牧夫さんのご協力で私が執筆した『おぶせ、夢に酔ひ風と舞ふ』の文章です。

写真の帯の文字、読めますか?「死むまで 命ありったけ 生きるんさー」。牧夫さんのことばです。

お申込は文屋へメールにてどうぞ。まもなく平安堂や小布施の六斎舎、アラ小布施などでも取り扱いが始まります。

【透玄きょうの一句】水仙や光の粒のほろほろり

【きょうの写真】完成した牧夫先生の本。俳句になじみのない方にも、できるだけ興味をもっていただけるように編集しました。
 2004年3月11日(木)  牧夫さんってこんな人
昨日につづいて、『俳人喜多牧夫』の主人公、牧夫さん(ふだんは先生と呼んでいましたが、「牧夫さん」と呼ばれたほうが喜んでくださるようにおもうので、こう書きます)について書きます(きょうも経理経理けーりとNIFCの会報編集。とくに書くことも無き一日でしたので)。

あたくしが牧夫さんについて書いた文章で、いちばん気に入っているものを転載させていただきます。『おぶせ、夢に酔ひ風と舞ふ』の冒頭に記したもので、『俳人喜多牧夫』にも収録されています。

タイトルは、「ここで生きている」です。ではどうぞ。

==
ここで生きている

信州に生まれた。
十七歳のとき、名古屋で俳句を覚えた。
結核になって、志なかばで帰郷した。絶望して死のうと思った。飲んだ毒薬のショックで結核が治った。
 東京大空襲で妻と子供と焼け出された。
 かつぎ屋になって米を東京へ運ぶ途中、長野駅で警察に見つかった。拳銃を突きつけられた。米を没収されるのがシャクだから、わざと地面にこぼして、スズメにくれた。
 小布施で豆腐屋を始めた。冬。豆腐の水は冷たかった。自転車に豆腐をいっぱい積んで、豆腐笛を吹くと、なじみの犬がこたえ、子供たちが硬貨をナベに入れて、買いにきた。硬い豆腐が好評だった。一〇年、続けた。
五男二女を授かった。娘がある夕方、試験勉強が忙しいからと、家の手伝いをさぼった。すぐに机の上に教科書を全部、豆腐の竈●かまど●へほうり込んで焼いてやった。(翌日、娘がいないうちに、一日かけて先輩の家を歩いて、そろえておいたけれど。)
妻が五十代の若さで、先立っていった。
外国や全国を旅して歩いた。
心臓病で倒れて、すべての公職を辞した。俳句を多くの若い人たちに教えた。刑務所の受刑者にも−。孫は二〇人くらい、ひ孫もいる。長男夫婦と暮らしている。孫娘が、宝石みたいにかわいい。
「お役所からいっぱい表彰状もらったけれど、やっけ(厄介)だから、みんなべちゃっちゃった(捨ててしまった)」。
 喜多牧夫さんは、こんな人です。喜多さんの代表作一二〇句に、平易な解説と写真を添えました。
 俳句は、自分の心を一七音のリズムにたくして詠いあげる詩です。あふれるほどの気持ちを、短い詩に凝縮します。だれにでもできる俳句の創作―。俳句をまったく知らない人にも、楽しんでいただけるように心がけて編集しました。 
ニューヨーク育ちの俳人ジャック・スタムさんと、信州の風土俳人喜多さんの放談とともに、俳句の面白さを味わってください。
 この本の出版にあたっては、あすか書房の堤愼一社長、上野穂高さん、田中博文さんに温かいご理解とご指導をいただきました。また、小布施町と財団法人北斎館、中込恒人さんには、写真を提供していただきました。お礼を申し上げます。
                   一九九一年五月
                   編者 木下 豊

==
1991年といえばいまから14年前、あたくし32歳のときの文章です。
前の年、オーストラリアとフィリピンへの遊学から帰って編集事務所を始めてすぐに、牧夫先生に「おれの俳句、おめにやるわ」と言われ、この本が気であがりました。ものすごく光栄なできごとだったのです。

みなさん、くどいようですが、『俳人喜多牧夫』、いいですよー。
 2004年3月12日(金)  木島平村役場へ
kako/2004_3/10421313241.jpg
kako/2004_3/10421313241-2.jpg
朝9時前に家を出て、木島平村へ。役場のむらづくり推進室長・芳川修二さんに呼ばれ、会いに出かけました。長野市のコロニー印刷・津金正一さんが橋渡しをしてくださり、いっしょにお話を伺いました。
木島平村は昨日、住民アンケートに基づいて村議会が全会一致で「合併しないで自立でいく」という路線を確認したばかり。「これからの自立に向けたビジョン作りの段階で、活字にして村人に伝えるための文章を」とのご依頼。大役ですが光栄です。3月半ばからとり組むことになりました。ありがたいことです。

帰り道、北陸新幹線のコンクリートの橋脚が林立している工事現場を車で通過しました。そのかたわらに、高社山の西山ろくと千曲川の間を南北に、昨年廃線になった長野電鉄木島線の路線跡がつづいていました。レールはとり除かれ、枕木もなく、土と小石があらわになっていました。この鉄道に乗った思い出は1、2回ほどなので、個人的な感慨はないのですが、「ご苦労様でした」と頭が下がりました。これから誕生しようとしている新幹線の橋脚とは対照的な姿。しんみりとしてしまいました。

【透玄きょうの一句】猫の恋 廃線鉄路 積まれをり

【きょうの写真】上)北陸新幹線の橋脚。中野市と飯山市の境付近。長野新幹線を延長して、飯山を経て上越、富山、金沢、さらに京都・大阪へ通じます。橋脚の向こう、山すそを、昨年まで木島線が走っていました。

下)木島平村の道端に見かけたお地蔵さん。わらの雪よけをかぶせてもらっていました。
 2004年3月13日(土)  東京へ日帰りしてまいります
朝、長野駅発いちばんの新幹線にて上京、深夜に帰宅します。

目的その1。朝9時、神田のスターバックスにてプロデューサーの久田浩司さんと、森の”聞き書き甲子園”のこんごについて打ちあわせ。

目的その2。10時より昼間で、ウェッジ出版さんにて中西進先生の人間塾に参加。日本人の死生観について。

目的その3。午後1時、新宿某所に集合。松岡正剛先生の個人的な集まり、未詳倶楽部。美輪明宏様にお会いします♪
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0530.html

では、行ってまいります。
(14日朝は飯田村の川掃除だー。夜は公会堂で育成会の役員引継ぎの一杯会なのだーー)

【透玄きょうの一句】あー春だ 春春春だ わがあたま♪

【きょうの写真】上)『森の人、人の森。』をご覧になる中西先生。「森への視線、これからだいじになってきますよ。林ではなくて、森なんですね」。

下)中西先生と議論を交わす塾生のみなさん。
 2004年3月14日(日)  「こころばえ」という日本語
昨日午前中は、神田の出版社ウェッジさんにて中西進先生の人間塾に参加しました。これが2回目です。
テーマは死生観から神様についてまで、多様に及びました。

中西先生のお話を伺っていて、「祈り(頼み)の前にお詫びあり」、(あるいは、祈り=お詫び+頼み)という自然な気持ちが生まれました。
塾生の蒲さんがあとで、「折る」と「祈る」の関連について教えてくださいました。

折る→誓いを立てるときの所作→祈り、という関連があるようです。

私は神様の実在を信じておりますが、神とて、こころは人間とおなじ面があるとおもいます。悪いことをしている人にものを頼まれたとき、「悪事を詫びもしないで、頼むんじゃないよ」「頼む前にまず、その心がけを改めなさいな」とおもうのは、神様もおなじではないでしょうか。

中西先生と人間塾のみなさんとの語りあいによって、いままで考えてきたものごとが、整理されながら広がり、深まっていくような充足感を抱いております。ありがたいことです。

===
午後は松岡正剛先生の未詳倶楽部に参加しました(なんて濃ーい日なんでしょう♪)。
「未詳」と言うくらいなので、あんまりくわしく書くのはよしますが、かの名優・美輪明宏さんの新宿の練習場を見学する機会をいただきました。「椿姫」の稽古の始まりの段階。
「3倍速で感情移入をしないで、舞台におけるしぐさや位置関係とせりふの関係をからだに染みこませる」ことが目的のお稽古でした。

「美輪明宏版」と銘打たれたそのせりふのなかに「こころばえ」ということばに出会いました。美輪さんが主役の男優に「それは良いこころばえでありますこと」という感じで語りかける場面です。
このことば、あたしははじめてです。みなさんはお聞きになったこと、ありますか?
手元の広辞苑をひらくと、「こころばえ」=「心延え」とあります。意味は、1.心ばせ、気だて、性格 2.おもいやり、心づかい 3.心のひらめき、才気 4.おもむき、風情 5.意味、趣意、事の次第。
ね、いい感じの和ことばでしょう♪ あたしのPCは「こころばえ」と入力すると、「心映え」と表示してくれます。これもなかなか滋味深いなー。

そんなわけで、「こころばえ」、みなさんもお使いになっては?あたくし、これからときおり使いたいとおもいます。いい和ことばは、使うことで磨いていきたいものですよね。

===
14日(日)は、朝6時半から飯田村総出の春の川掃除。昼前に福祉施設・千年樹の里にて、畔上智子さんの車いすダンスを見学。文屋文庫第3巻を手渡しました。夜は、飯田村の憩いの間にて、育成会の役員引継ぎ会で一杯。寝ました。

【透玄きょうの一句】春の宵 光の粒の ほろほろり
うたかたや 根の国に染む 春の雨
 2004年3月15日(月)  ガンを治す生活、ガンにならない生活
kako/2004_3/10421805925.jpg
昨日午後、町公民館にて、新生病院の健康セミナーが開かれ、参加しました。講師はNPO法人ガンの患者学研究所代表の川竹文夫さんです。
「がん、脳卒中、心疾患が死因の3分の2を占める三大成人病」「成人病は生活習慣病」「日本人の3割はガンで亡くなる」といわれるだけに、講堂に用意された約200席が満席になる盛況でした。

川竹さんは、三角形の氷山の海面に出た先端をガン細胞にたとえて、海水のしたのガンの要因を、上から、ライフスタイルと食生活、そしてこころのもち方の順に、下に行くほど面積(要因としての比重)を大きく描きました。
「ガンは治る。進行したガンも、治る。治す力はすでにあなた自身のなかになるのです」「現代医療を上手に使いながら、食事を改め、ストレスを和らげるなど、患者の自助努力によって治していくことをめざす」運動をつづけられています。強調されたのは、「患者自身が、きょうからの自分の暮らしやこころのもち方に責任をもつこと」でした。

終了後、控え室にて新生病院の佐藤裕信院長先生、事務部長の松村隆さんを通じて、川竹さんと名刺交換させていただきました。そして17日には、丁寧な手書きのおはがきを頂戴しました。今回の公園録に追加取材を加えて再構成し、いずれ文屋文庫として発刊する予定です。川竹さん、これからもよろしくお願いいたします。
川竹さんのサイトは、http://www.emile.co.jp/kanjagaku/ です。

===
15日朝、新幹線にて上京・ビッグサイトで開かれたナノテクのシンポジウムに参加しました。会場にて、文屋文庫第4巻にご登場いただく遠藤守信先生と再会。「ガキ大将の先端科学」「ナノテクと田舎の鈍才」なんていう大胆ステキな書名の案をいただきました。「私のはじめての本。何回か追加取材をしていただいて、春のうちに発行しましょう。みなさんに読んでいただけるように、いい本にしましょう。協力しますよ」と力強いおことば。文屋文庫を創刊して、ほんとうによかったと、実感したひと時でした。

そのあと、浜松町まで船で東京湾を横断。六本木へ向い、六本木ヒルズの森美術館へ。草間弥爾さんの個展と地上53階からのお江戸の眺めを堪能しました。草間さん、銀河の果てにたたずんでいるような鏡と豆電球のお部屋が圧倒的でした。

【透玄きょうの一句】春暁や 片頬あかき 月の舟

【きょうの写真】ノーベル化学賞受賞者の野依良治先生は「科学者と日本社会」と題してご講演。「産学官連携というが、真理追求の科学者と営利追求の産業人が完全に一体になってはならない。科学者は産業人の奴隷になってはならない」「日本の若者よ、科学の道へ」と強調されていました。お若い!とおもいました。
「世代の継承 私たちは何処から来て、何処へ行こうとしているのか。若者には真っ当な自然観、社会観、人生観を、そして日本人としての誇りと高い志を」と書かれています。

 2004年3月16日(火)  すごい水があるんですね
朝から仕事場にて編集のお仕事。
午後1時半、六斎舎にて森賢次郎さんと再会しました。森さんがとり扱っておられる「ハーモニーウォーター」という水を生み出す、蘇生浄水器のことを教えていただきました。
からだを蘇生させる水なのだそうです。
4大特性は、
1)悪性細菌を除去し、「安全」を保ちます。
2)重金属や環境ホルモンを除き、排水時にも下水を浄化します。
3)悪臭を除き、旨い水を実現します。
4)産業用途にも幅広い利用が着目されています。   とのことです。

驚いたのは、中野市の巨峰の専業農家の方が、この水をスプレやーで散布しておられて、上質のブドウを多量に収穫されていること。しかも、消毒の回数を大幅に減らしていること。あるリンゴの専業農家の方は、年間ふつう12回のしょうどくを3回程度に減らし、この水を散布されているそうです。もちろん、飲める水の散布ですから、マスクもゴーグルも要りません。「シャワー感覚でスプレヤーを運転されていますよ」とのこと。・・・えーーー???ほんま!

森さんに大きなペットボトルに入れた「ハーモニーウォーター」をいただきました。おいしい水です。
14日の講演会では、玄米菜食の食生活を提案されたばかり。これからどうするかは未定ですが、健康にいいことはやってみたいような気がします。みなさんの健康法は?

【透玄きょうの一句】春の雨 土の骨身を ほぐりけり
 2004年3月17日(水)  あしたであたしは45歳でございます
kako/2004_3/10421812843.jpg
午前中は仕事場におりました。9時からしばらく、玄照寺さんにて4月17・18日の「境内アートin玄照寺」の打ちあわせ。中村仁さんのご尽力とアーティストのみなさんのおかげさまで、15組以上、20名以上のみなさんに展示販売をしていただけそうです。「きっといい苗市にしましょうね」と2人で語りあいました。

午後1時半より約2時間、遠藤守信先生の文屋文庫第4巻の取材で、千曲市の屋代高校の講演会へ。スーパーサイエンススクールという理数系の俊才が集まる高校でのご講演です。
遠藤先生は「科学の道へみなさんに進んでいただきたい。すばらしい未来を拓いていってください」と、ご自分の体験を交えて語られました。最後に、いつものメッセージ。決して、決してあきらめない、という意味のことば、「ネバーネバーネバー、ネバー、アンド、ネバー・ギブアップ」を語って聞かせておられました。

そのあと、遅い昼食を長野市川中島の「オーガニック ベーカリー&カフェ モス・グリーン」へ。取材に同行してくれた中島敏子さんと、昼食およびケーキセットをいただきました。お店の方々の、有機無農薬野菜を使った料理や玄米ご飯の解説、丁寧でわかりやすかったです。玄米ご飯は初体験。よーーくかみ締めて、おいしかったですよ。
このお店は、川中島のロン都内にあります。電話は026-284-5909.火曜日が定休です。

【透玄きょうの一句】争いのなき世の色の黄砂かな
子殺しの画面に春蚊しがみつき

【きょうの写真】高校生の前で熱く語る遠藤先生
 2004年3月18日(木)  45歳、これからでっす♪
kako/2004_3/104220125213.jpg
みなさん、あらためまして、こんにちは。
本日、45歳になりましたよん。昭和34年3月18日生まれです。

今朝は9時に高山村にて文屋文庫第3巻にご登場いただいた畔上智子さんとお会いして、ご用命の本を手渡します。それから五色温泉の水野茂さんをお訪ねして、自伝の取材。午後は善光寺さんにて、小津安二郎先生の無声映画の活弁士による公演を聴きます。
夜は、自宅にて妻手作りのケーキで、家族に祝ってもらいますです♪

ではみなさん、お幸せに♪♪45歳、仲良く参りたいとおもいます。

=====
朝、雪のなかを山田温泉を通りぬけ、五色温泉の一軒宿・五色の湯旅館の水野茂さんを訪ねました。今年1月から取材を始め、初夏6月には発刊の予定で、聞き書き取材と執筆を進めています。84歳。東京に生まれ、慶応義塾で経済を学んだのちに第二次大戦で中国大陸へ。シベリア抑留の3年間を経て帰国し、万座温泉の豊国館(亡父が残した宿で、お母さんと兄弟が営んでいた)へ。結婚ののち、縁あって昭和28年から、五色温泉の主(あるじ)として50年間、生きてきた方です。
頭脳鮮明、責任者を長男の薫さん夫妻に譲ったいまも、接客をつづけておられます。水野さんのことは、これから折に触れて書いていきますが、大学でも軍隊でも収容所でも病院でも、また観光協会でも、どこへ行っても信頼されてリーダーとして期待され、その期待に応えてきた人生は、仕事以前に生き方の学びの場です。
「私には神様がたくさんいる。いちばんの神様は、なき妻です」といおことばが印象的な、きょうの取材でした。

小津先生の映画、そしてお誕生会のことは、19日のコーナーに。これから(19日夕方です)、須坂東高校のPTAのOB会に出かけてきます。ではまた。

【きょうの写真】水野茂さんと、五色の湯旅館のお部屋にて。窓の外は春の大雪。下には松川の流れと野天風呂があります。
 2004年3月19日(金)  玄照寺に集合!4月17・18日
kako/2004_3/10422423588.jpg
kako/2004_3/10422423588-2.jpg
朝9時半、玄照寺さんに行きました。4月17・18日に予定している「境内アートin苗市」の企画会議です。
軽井沢方面からアーティストにしてアートプロデューサーの中村仁さんが、造形作家の野本博さんといっしょに、車で見えていました。ご住職の葦澤義文さんと4名でお茶をいただきながら検討会議。そこへ、長野市のナノグラフィカを主宰する高井綾子さんが加わってくれました。
打ち合わせのあと、境内に出て、展示販売やミニFM局の開設場所などをあれやこれやと検討。「このプロセスが、面白いんだよなー」と語りあいました。
2日間、すごく楽しい時間になりそうです。みなさん、お出かけくださいね。

参加がきまったアーティストのみなさんです(敬称略)

1)町田哲也 現代アート(写真・映像・音響・光のインスタレーション)
2)野本博 立体造形、彫金
3)岡美幸 染織
4)クリストファ・コソフスキー 写真
5)アグネシュ・フス 陶芸
6)若林文夫 銅版画
7)たかはしびわ 絵画
8)りせ(小高千絵)
9)ごとうなみ 写真(ナノグラフィカ/高井綾子、増沢珠美)
10)ミルクホール 着物ドレスを身につけた指摘、演劇的空間演出(ナノ)
11)なかやま☆はるか 絵画(ナノ)
12)アオキタカエ 映像作品(ナノ)
13)リゾート侍:2名 ミニエフエム「FMイチゴ」放送(ナノ)
14)信大「カタチノマワリ」:数名 立体作品(ナノ)
15)前田一郎 ガラス
16)なかむらじん 陶芸

【透玄きょうの一句】あご引いて うわ目づかひの わらびかな

【きょうの写真】上)18日夜、わが家でのあたくしの45歳、お誕生会。朝子の手づくりのチーズケーキに紅茶、それにハッピバースデーツーユー♪
みんな恥ずかしがって、顔を向けてくれないのであった(サイトにアップされちゃうのが分かってるんです)

下)玄照寺さんにて、左から高井さん、葦澤おっしゃん(和尚さん)、野本さん、中村さん

戻る