Monochrome-Monologue

2005年12月
 2005年12月1日(木)  ひとり、しずかに
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昨日30日は、朝10時半から2時間ほど、ヴァンヴェールさんにて、林映寿さんに面談をいただき、文屋のメールマガジンの発行について、ご指導をいただきました。映寿さんは真言宗浄光寺の副住職さんにしてウェブのプロデューサー。数々の名サイトの創造と運営を指導しておられます。わが文屋のサイトも、映寿さんチームによるものです。

メールマガジンMMは、文屋から登録していただいた方のメールアドレスに当てて発行するマガジン(電子雑誌…と訳すのかい?)です。今までは、文屋サイトをわざわざ訪れないと見ていただけませんでしたが、MMですと、登録しておけば文屋から自動的に、無料で届くことになります。

発行元としては、一つの文章を一度にたくさんの人たちに同時に一気にお届けできるという便利なもの。課題は、楽しかったり役に立ったりする内容を維持することです。届けば読んでいただけますが、つまらなければ、読んでもらえないし、登録をやめられてしまいます。それは当然ですよね。

12月中に創刊号を発行できるように、映寿さんに準備をしていただきます。どんな内容にしようか、いまから楽しみです。

みなさん、登録、ご購読を希望してくださる方は、文屋のメールにその旨をお伝えください。大歓迎にて登録させていただきます!

出版物の編集のプロセスをはじめ文屋の活動、木下の小布施での暮らし、お勧めの本や映画、旅や野良仕事の日記などを書きたいと思います。

今年もあと30日。3つの本の編集に並行して、年賀状書きも楽しもうと思います。みなさん、佳き年末を!

【きょうの写真】玄照寺の葦澤義文住職の書です。「智慧は静かな清い心から生まれる」。
城山三郎さんの対談集『「気骨」について』(新潮社)を読んでいます。「大局をつかむには、一人で考える、何かの本を読んで、じっくり自分に充電する。」「やはり、じっくり一人で考える、本を読む、といった「無所属の時間」をどう生かすかが大事ですね。政治家に限らず、誰でもそうですが、そこで人間が違ってくると思うんです。」
 2005年12月2日(金)  めぐりあい
朝から仕事場にて執筆をしてすごし、昼前に車で小布施駅へ。川崎からお越しの岡義剛さんと待ち合わせ、車でレストラン樹響さんへ。村松さんご夫妻のお料理をいただきながら、岡さんと語らいました。

岡さんは、大手化学メーカーを数年前に退職された方で、現在は趣味のバイオリン、スキーなどを楽しんでおられます。趣味の前に、いまだに事業も続けておられます。退職前に、東京の上野に奥様と一緒に洋服のお店を出し、営んでおられます。京都など独自の仕入れルートを大切に育てる一方、奥様のご経験を生かして、和服の生地を使った洋服を生み出し、世に問うておられます。ビジネスから個人事業、趣味、ご家族のことなど、滋味深い話題が豊かな人生。お手本にしたいなと思いました。

岡さんは3日に志賀高原の高天原で開かれる、志賀高原統一スキー場開きの初滑りに、所属する「ハンドレッドスキークラブ」の役員として招かれ、滑走されます。奥様も50歳からスキーを習い始めたのだそうです。スキー、再開しようかな・・・。

岡さんに出会ったのは、いまは兵庫にお住まいで、以前、小布施町のダイセルノバフォームの社長をされていた副島茂さんにご紹介されたためです。副島さんは5日、伊那食品工業の塚越寛会長をはじめて訪ねられます。お仲間3人様とご一緒の旅に、あたくしも塩尻から合流させていただき、温泉に泊まって翌日まで過ごします。

「本」という作品を通じて、人がつながる。文屋とは何なのか? 何をすることでお役に立って生かしていただける存在なのか? そんなことを考えるこのごろです。

夜、食休みのあと、室内にて汗。快眠。
 2005年12月3日(土)  6日夕、『映画日本国憲法』へどうぞ。
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朝、道にも庭にも、うっすらと雪が積もっておりました。まわりの山々も白くなりました。

きょうは午後3時まで仕事場にてすごし、それから小布施ハイウエイミュージアムへ。跡部由美子さんの作品展と出版記念の祝賀会に参加します。

きょうの須坂新聞に、6日夕に小布施町で上映される『映画日本国憲法』の呼びかけが掲載されました。あたくしの文章も合わせて載せていただきました。ここに転載させていただきます。

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(タイトル)
小布施九条の会 12月6日 『映画 日本国憲法』を上映

(リード文)
 小布施九条の会(会長 渡辺照慈・岩松院東堂)は十二月六日(火)午後六時半よりJA須高小布施支所会議室で、『映画 日本国憲法』の上映会を開く。入場は無料。
 同会は、「戦争の放棄と平和主義の理念を定めた憲法九条を守る」という一点で一致する人々が、思想・信条・宗教の違いを超えて集まっている。映画の上映は、先ごろの『想い出のアン』に続いて2回目。上映会に先立ってこの作品を見た同会の会員から、感想文が寄せられた。

(タイトル)
(小)『映画 日本国憲法』を観て
(大)憲法9条は人類進化の結晶
(中)「武力なき平和」への勇気をくれる映画

小布施町飯田 木下 豊

(本文)
 『映画日本国憲法』を観ました。
 戦後六〇年目を前にした自衛隊のイラク派遣をきっかけに、憲法についての踏み込んだ議論が始まりました。国内のあまりに性急な改憲への動きを、世界に視野を広げて見つめ直すことを主眼に、この映画は作られました。
「憲法とは誰が誰をしばるためのものなのか」、「平和憲法の世界における意義は」……。この映画は、日本国憲法について、中国、韓国、日本、アメリカ、シリアなど、十二人の世界的な知の巨人たちが語った貴重なインタビュー集です。
 まず、憲法は誰が誰をしばるものなのか。日本国憲法は主権在民が原理であり、「われわれ日本国民は」が主語。ですから憲法は、国民から政府への命令であり、国家の権力を抑えることが憲法の目的だということ。こんなことさえ、この映画を観るまで、明確には意識しないでいた自分に気がつきました。
 前文、そして第九条に書かれている平和主義の理念は、戦争をする権利、国家の武力による人殺しをする権利を、政府にもたせないという「しばり」なのです。
 先のアジア太平洋戦争では、約三一〇万の日本人が命を落としました。同じ戦争で中国は一千万人、インドネシアは四〇〇万人など、合わせて二千万人が亡くなりました。日露戦争、第一次世界大戦など二〇世紀はその前半までに、たくさんの戦争が繰り返されました。日本国憲法の平和主義は、戦争に明け暮れてきた人類が、大戦終結の直後に定めた、人類の歴史の結晶のような到達点だったのです。
 アジア各国への侵略によって多大な迷惑をかけた日本が、反省と謝罪の気持ちを込めたのが、第九条だとも言えます。
 政治学者のダグラス・ラミス氏(元津田塾大学教授)は語ります。「戦争をやるのがね、アメリカに住んでいると当たり前になっているわけです。常識なんです。日本にいると戦争しないことが常識なんです。(中略)憲法九条ができてから、いまのところ自衛隊は、国家交戦権のもとでひとりの人間も殺したことはないわけなんです」。憲法九条を破棄することは、六〇年間続けた反省と謝罪を破棄することにもなると、別の人が静かに語ります。
 世界で初めて、原爆を日本に落とした国。朝鮮半島で、ベトナムで、湾岸、アフガニスタン、そしてイラクで、戦争を続けてきたアメリカ。世界中の一三二の国に七二五の軍事基地(戦争への道具)をもつ国。その底知れない恐ろしさを感じるのと同時に、安保条約のもと、アメリカの基地(沖縄だけで三八)を抱えている日本の危うさを実感させられたことも、この映画の感想の一つです。
 先の総選挙は、郵政民営化が主な焦点になりました。大事な問題ではありますが、国を一本の木に見立てるならば、郵政も年金も福祉も枝のひとつです。では幹は、根はなにか。憲法改定の問題ではないでしょうか。私たち一人一人が、小手先のマジックにだまされない人間になること。武力による“平和”ではなく、武力なき新のへ。憲法前文のあるように「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」という高い志をもち続けることが大切だと確認いたしました。
 みなさん、ぜひ『映画日本国憲法』の上映会にお運びください。

【きょうの写真】『映画日本国憲法』の読本(FOIL刊)の表紙です。装画は奈良美智さんの作品です。
 2005年12月15日(木)  生きてます
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みなさん、こんにちは。2週間もサイトへの書き込みをごぶさたしてしまいました。ときおり訪れてくださった方々、ご心配をおかけしました。昨晩など「生きてるんかい、オイ!」というメールまで頂戴してしまいました。すみません(反省)。

突然ですが5日、伊那食品工業の本社かんてんぱぱガーデンを訪れ、『いい会社をつくりましょう』の著者・塚越寛会長と再会。食事も含め2時間半ほど、お話を伺うことができました(幸せもん!)。あたくし一人で参ったのではなく、以前からお世話になっている副島茂様(兵庫県)をはじめ4人のビジネスマン、経営者の方々にあたくしの車に乗っていただき、運転手兼ご案内人としての再訪となりました。

塚越会長はとってもお元気に、経営と人生について、語ってくださいました。2つ、ご紹介しますね。

「今の日本、日本人にもっとも必要な改革は、原点に返ること。原点に戻るという改革が必要なんです。原点とは何か。政治家、行政マン、経営者、先生・・・夫、妻、子供。それぞれの立場にとっての、本来あるべき姿のことです。みんなそれを見失っている。難しいことでも、新しいことでもないんです」

「二宮尊徳先生は、遠くをはかる者は富む、と教えておられます。これを企業の研究開発に当てはめると・・・。きょう明日の成果ではなく、5年先に芽が出る研究開発を、地道に続けることです。そうすれば6年目からは、シェア100%の世界に生きることができるんです」

お聴きしながら、「では自分は?文屋は?」と自問しておりました。

【きょうの写真】上)塚越会長(前列中央)と、お供させていただいた方々。手前は、副島さんが塚越会長に贈られた書「寒天之妙無窮」。

下)これまた突然ですが、先日、母の71歳のお誕生日の夜、「あんかけ焼きそば」を作って、家族に食べてもらいました。けっこう好評。教えてくださったのは、『マードレの田園レシピ』の著者・竹節志げ子先生です。2時間もかかりました。手際をよくすれば、1時間でできそうです。
 2005年12月16日(金)  北村三郎先生・筆 「小布施人の志」
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午前中は仕事場ですごしたあと、アラ小布施にて支配人の関悦子さんと歓談、それから須坂市の平安堂須坂店オーナーの白木武子さんと本の販売の打ち合わせ。

昼すぎ、仕事場(自宅)の居間にて、宮澤憲一郎さんをお迎えして、ゆっくりお話を伺いました。宮澤さんは小布施町林にお住まいの専業農家。ご長男があたくしの長男真風(現在、大学1年生)と同じ須坂東高校に通われ、3年間野球部で活躍しました。このたび、神奈川県の大学に希望通り推薦で合格しました(おめでとうございます!)。

宮澤さんは、あたくしの1年先輩。そして母校明治大学の同窓生でいらっしゃいます。

昨年、一昨年と、須坂東高校のPTA役員をさせていただいたときは、事業のおりにふれて声をかけていただき、励ましていただきました。宮澤さん、これからも、よろしくお願いいたします。

さて、以前もご紹介しました東京の経営指導者、人と情報の研究所所長の北村三郎先生が、ご自身のサイトに、「小布施人の志」と題する文章を掲載してくださいました。小布施の歴史とまちづくりのキモが、簡明に記されています。あたくしについてのくだりは、ちょっと恥ずかしいのですが、お読みいただければ幸いです。

http://www2.shizuokanet.ne.jp/sabu/new/051215.html

夜、長女の星河が夕食後、きゅうに気分が悪くなり、まもなく吐きました。何回も吐いて、胃液まで吐いて、真っ青な顔をして眠り、17日の朝を迎えました。家庭医の栗の木診療所・内坂先生に点滴を打っていただきました。風邪なのだそうです。みなさん、お気をつけて。

【きょうの写真】10日土曜日、東京都立清澄庭園の「涼亭」にて。大庭園の池に浮かぶように建つこの建物にて、久松町倶楽部が開かれ、三遊亭京楽師匠の落語「文七元結(もっとい)」が演じられました。開演前、畳の間から見ると、軒下に池の水面を反射した陽光が揺らいでいました。そのゆがぎは、まるで炎のようでした。
 2005年12月17日(土)  メルマガ、ご登録くださいね。
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朝から編集に専念して仕事場にてすごしました。日中の予報は雪マークでしたが快晴で、庭の松の上に輝く冬の太陽を一杯に浴びて、本を読み、お昼寝なんぞも楽しみました。

いつも文屋サイトの面倒を見てくださっている林映寿さんと彼のお仲間のおかげで、文屋のメールマガジンの準備が整いました。文屋のTOPページ左下に、登録コーナーが間もなく(19日には)登場します。みなさん、ご登録をお願いします。

お正月の前後に、創刊号を書く予定です。定期便ではなく不定期。とはいえ、月に1、2回は発行したいものです。

【透玄きょうの一句】冬の松 朝日に腰を 立てている

【きょうの写真】8月10日、真夏の朝、前の日に玄照寺さんで落語を演じてくださった三遊亭京楽師匠と、東京や香川の仲間たちがわが家を訪ねてくれました。そのとき、東京の番匠由美さんが撮ってくれた、文屋農園産のくだものたちです。きのう、別の用件のおついでに、送ってくれました。ばんしょうさん、ありがとうございます!
 2005年12月18日(日)  雪見編み
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朝から仕事場にて、雪の庭を眺めながら編集をしておりました。名づけて、雪見編み(酒ではなしに)。風流な気分で書いたり読んだり編んだりしていると、文章もそんな雰囲気になるもの。モノによっては、それは困ることでもあるのですが、同じ木下が同じお部屋にて書く文集ですので、あまり突拍子もないモードになるわけもなく、むりせずに編んでおります。ある企業の資料読みと執筆、政策学校一新塾の本『一新力』の編集の2本立ての一日でした。その合間に、年賀状書きを少々。あと、雪かき。【きょうの写真】仕事場の窓から眺めた雪のお庭でございます。
 2005年12月19日(月)  藤村優香理さんと初対面
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きょうもやっぱり雪、なので、雪見編み。終日。ずっと書いて、編んでおりました。一文字一文字、一行ずつの積み重ね。それが本になる。まだ2冊の本とも、頂上が見えない登山道の途上です。編む。セーターを編む。ひと針、ひと針。やっぱり、編むという漢字、編集の感じをつかんでますね。

夕刻、小諸市からお越しの藤村優香理さんと小布施駅にて待ち合わせ。ラウンジレストラン樹響さんへ。はじめて、2階の和室へ案内していただき、藤村さんと語らいました。

藤村さんはずっと東京で暮らしてビジネスの世界で活躍していましたが、田中県政のもと、現在は長野県のスタッフとして小諸市役所を拠点に動いておられます。一新塾の荻野睦子さんに紹介していただき、メールと電話での交歓を経て、本日の初対面と相成りました。藤村さん、足首の怪我を押して電車でお運びくださり、ふだんに増して雪でつるつるの道を、ほんとうに、ありがとうございました。ご無事で帰られ、なによりです。

藤村さんとは4時間近く、お互いのものごとについて、ゆっくりお話ができました。そうですね、人様とこんなにゆっくりと話ができたのは、久しぶりかも。いくつものお話のなかで、一つ、ここに書いてみなさんにお話したいことがあります。

「今の時代は文化の潮目のような感覚があります。幸せの価値観が変わって来ました。それはバブルを知らないマトモな若者が、社会貢献をどうしたら出来るのか?と、動き出しているのを見て感じます。私達大人(?)以上に、漠然とした危機感を感じていますから。」

藤村さんのことばです。「バブルを知らないマトモな若者」。たしかに、今の若者はバブルを知りません。狂乱とも表現されるあの身のほど知らずの傲慢な日々を知らず、バブルがはじけたころに生まれ育って、受験戦争の果てに就職先を選ぶこともままならない社会に生きている若者たち。「文化の潮目」ですよね。「私達大人」の一人であるあたくしはどうするのか? 自分の子供だけでも3人いる潮目の向こう側の子供たちとどう向き合うのか? 厳しくも楽しい課題、教えていただきました。だから出会いは面白い! 藤村さん、こんどは長野にてお仲間といっしょにお会いしましょう。

【きょうの写真】お昼前、顔を出してくれたお天道様に、うれしくてカメラを向けました。写真を見て気づきましたが、もみじの葉、枯れたまま、まだ落ちていないんですね。
 2005年12月20日(火)  次男荒野の三者面談に
編集の仕事を朝からつづけていたら夕方になり(こんなにかんたんな表現でいいのかい?! はい、それくらいにあっという間でした)、妻と次男・荒野(こうや、と読みます)と車で須坂市の須坂園芸高校へ。荒野は現在2年生でして、2学期に終了を前にした三者面談のため、担任の先生が待つ教室へ。

「なんでうちだけお父さんとお母さんが来るん? これじゃ四者面談じゃん。そんなうちねーよー」とぼそぼそと言う荒野のつぶやきを、聞かないふりをしながら教室に入りました。

成績は、中の上程度。昨年よりは良くなりました。サッカー部の部長もやっているし、無遅刻だし、まーなんとかやっているということでしょう。

課題は進路。料理人の道か、シェパード犬で捜査をする公務員の道か。食か犬かで迷っている次男なのでございます。食の道なら専門学校だろう、と親は思うのですが、「いや、4年間大学へ行って視野を広げたい」とも。犬は・・・公務員になって無事配属されればいいですが、公務員にならないで犬の訓練士ということでしたら、趣味ならともかく、食っていくのは大変かも、ですね。しばらくは、楽しみながら、道を探ることになりそうです。

ところで、「荒野」という名前。めずらしいようですね。あれのさんという作家さんは居られるようです。名前の由来は、「だれも見向きもしない荒れた土地を開墾して、無限の可能性を引き出して、世の人々に喜んでいただける人になって」という男親(あたくし)の気持ちを込めてあります。はたして荒野君。どんな道を切り拓いていきますやら。楽しみでございます。みなさまには、そのおりごとに、実況中継をさせていただきます。
 2005年12月21日(水)  境内アート 違う文法との出会いが生むもの
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やはり終日、編集のお仕事をしておりました。じっと仕事場に一人でいる日の楽しみは、いくつかあります。お昼のあとのゆったり椅子に身を預けて読書兼日向ぼっことか、アマゾンで届いたCDを聞き流すとか。予期せぬ楽しみとしては、メールの受信がありますね。

きょうの特筆すべき受信は、やっぱり突然でした。送信者は「吉田犬一」さん。ご用向きは「玄照寺境内アート お申込みです。」でした。玄照寺さんで毎年春に開いている境内アートの事務局をお引受けしている関係で、参加を希望されるアーティストのみなさんが、私にメールをくださるのです。http://www.gensyoji.jp/index.html

それにしても、「犬一」と書いて、ケンイチさん。いったいどんなお方なのか、興味しんしんに読み進めると、つぎのように記してありました。

ご住所は茨城県北茨城市中郷町。

出展作品「まず東京から小布施まで歩きます。その道程で制作したドローイングを展示します。また、小布施の町中を歩き、『小布施はどんなところですか?』という質問をしてまわり、その結果を展示します。」

なんとまあ、かの葛飾北斎様でさえ、お江戸からずっと徒歩ではなく、途中までは川を舟でと言われているこの小布施へ、奇特にも歩いて起こしなのです!

そして、「通信欄」には、「第2回では参加作家・塩川岳の助手として参加しました。歴史あるお寺と苗市&『境内アート』&そこに訪れるひとでつくられる〈感じ〉がとても良くて、今度は自分も作品を持って参加したいと思いました。 」 吉田さん、ほんとうにうれしいお便り、ありがとうございます。葦澤ご住職がご覧になったら、きっと嬉し涙を流して祝杯を挙げなさることでしょう!

それにしても、お江戸から歩いて小布施へ・・・。少し前に読んだ本に、「建築家やアーティストの本を読むことは、自分とはまったく違う世界に生きる人たちの話す、文法の異なることばを読むこと。だから意識して、この人たちの本を読み、作品の場に身を置き、この人たちに出会って語らうことにしている。」という文章を読んだことがあります。そうか、自分にとって境内アートというのは、そういう意味があるんだな。そして、境内アートでの出展者と来訪者との出会いにも、そんな効果のようなものが期待できるのかな。さらには、北斎様をお迎えして以来続く、小布施人の”外の風への憧れ”は、こうした意義や効果を、本能的に感じている故なのではないかな。そんなことを感じつつ、メールのお返事を吉田さんにするあたくしなのでありました、まる。

【きょうの写真】上)今年4月の境内アートにて。演奏を楽しむ親子連れ。来年は4月15・16日に開きます。

下)同じ日、主催者の玄照寺慕古の会会長の冨岡一郎さん(右)とともに。
 2005年12月25日(日)  マイナス14度の世界
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きのうもきょうもあしたも、編集のお仕事で仕事場に一日中こもっております。でも今朝はちょっとちがう幕開けでした。次男で須坂園芸高校2年生の荒野は今年の春から毎週日曜の朝刊の新聞配達をしております。ふだんは自転車でするのですが、雪と氷の世界はとってもたいへんなため、お父さんの出番となりました。

5時前、妻の軽自動車に荒野を乗せて上町の久保田新聞店さんへ。ほぼ100軒分の新聞を積んで林地区へ。地元紙の『信濃毎日新聞』がほとんどですが、『朝日』『日経』そして『日本農業新聞』もあります。荒野は、当然のことながら、どのお宅がどの新聞かを覚えていて、一軒一軒配って歩きました。

雪があり、路面は凍り、幸い雪降りではなかったですが、これに雪や雨風がともなうと、新聞をぬらさないような気配りもしなけらばなりません。あたくしも高校時代の2年間ほど、毎夕、夕刊を30軒ほど配るバイトを続けましたが、そのたいへんさを久しぶりに思い出しました。

外気温はマイナス14℃。小布施ではいちばんと言える冷え込みでした。よくがんばったと、わが息子をほめる親父でございました。

【きょうの写真】上)自動車の温度計はマイナス14℃でした。

下)もくもくと配達する荒野です。いずれも携帯のカメラで撮りました。
 2005年12月28日(水)  モデルになること、モデルを追い求めること
きのうもきょうも、きっとあしたも、本の資料読みと編集ですごしております。その合間に、年賀状書きがまだ数百枚残っておりやんす。いつ終わることやら。

近ごろ、そうかーと思ったこと。それは、モデルについてです。ファッション系の雑誌を眺めていると、かっこいい人がかっこいい服や靴や車に包まれて、凛としてたたずんでいます。とてもそんな暮らしはできないわと思いながらも、こんどお小遣いがたまったら、あの、ではなくても、あんな服を買おうかと、一歩でもそのモデルが漂わせる”すてきさ”に近づこうとします。それがモデルの役割の一つなのでしょう。

経済にも、政治の世界にも、モデルというのはありますね。日本は明治維新以来ずっと、欧米の経済、暮らし、政治の先進性をモデルに走ってきました。大戦、敗戦によるダウンを経てさらにがんばって「経済ではお手本になる国はもうない」とさえ言うようになりました。モデル、目標がない状態になっているのがいまの日本。それでも、自殺者が多いとか、貧富の格差拡大とか、少子高齢化などたくさんの課題があり、北欧の暮らしを憧れの対象、モデルとして追い求めようという雰囲気もあります。

では政治はどうか? 話は飛ぶようですが、日本国憲法には、こんな文章があります。「前文」。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」

この国の憲法は、崇高な理想と目的をかかげている。その主旨は、戦力の不保持と平和主義です。「ふつうの国」ではない、高い目標を掲げた国だと宣言しています。つまり、「モデル」を求めるのではなく、みずからが「モデル」になります!と宣言しているわけです。

自分自身が、先例のないモデルになると誓った国に生きているのだなー。そうかー。というのが、近ごろの気づきです。

「そんな現実離れしたことを!」「すでに日米安保の現状をくつがえすことなんて」「中国も北朝鮮も、すごい戦力を持っているのに」。たくさんの頭のいい人たちが、この「現実」を強調しています。平和憲法なんて、「現実」に合わない理想論だ、とも言います。しかし、自身が現実論者だと語るその人たちは、日本が引き起こした占領と戦争によって、太平洋戦争だけで2000万人がいのちを落としたという「現実」をどう考えるのか。日本国民だけで300数十万人です。原爆も2つ落とされ、東京大空襲では10数万人という「現実」。

そしてアメリカ、という「現実」。大戦後も、世界各地に数百の基地を造り、朝鮮、ベトナム、アフガン、湾岸、イラクと戦争をやり続けてきたアメリカという「現実」。戦争をやり続けなければ国の産業(軍需産業、国際金融資本、石油資本)が成り立たないというあの国の「現実」。

やはり私たちは、60年前のまっさらになった日本人と世界の人たちが、実体験した「現実」をふまえて定め、誓い、宣言した、日本国憲法の戦力不保持、平和主義といい「現実」と「理想」を確認しあって、壊すべきは壊していく覚悟をし、行動に移すべきだと思います。

つまりそれは、平和憲法の維持、日米安保条約の解消、そして自衛隊を「いのちを救う」という目的に絞った内容にするということです。「軍隊は人を殺す役割。自衛隊は人のいのちを守る役割」。年末にあたりあらためて、自分自身の考えを、書かせていただきました。

 2005年12月29日(木)  実弟・稔さんと「ながい」さんにて♪
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あさからやっぱり仕事場の人でした。どう感謝したらいいのかわかりません。たくさんの、やりがいと手ごたえのあるお仕事に恵まれています。昨年も一昨年の暮れも、おかげさまで都市を越せるだけのお仕事をいただいていました。でも、今年は違います。格段に違うのです。充実感がまったく。編集でこの年の幕を引き、編集をして新年を迎えます。待っていて、待ち望んでいてくださる方々がいてくださる。なんてありがたいことなのでしょう。こころから、感謝しております。そのみなさんにも、そしてなにより、偉大なる存在に。

午後3時すぎ、長野市に暮らす実弟の倉島稔さんが来宅。母や甥にあたるうちの息子たちとお茶飲み話をしてから、あたくしが車に同乗して長野市へ。奥様の稔枝さんに乗せていただき、市内南千歳町にあるお酒と料理のお店「ながい」さんへ参りました。

「ながい」さんで29日の夜を兄弟ですごすのは、ここ数年続けてきた恒例の催しなのです。「ながい」さんについてはホームページがありますので、ぜひご覧ください。http://homepage3.nifty.com/izakaya-nagai/ 

そして、きっとすごいファンであられるだろう方が、すてきな文章を書かれたサイトも見つけましたので、お読みください。http://markun.cs.shinshu-u.ac.jp/nagano-info/gourmet/restaurant/res8-e.html 

お店の構え、雰囲気、備前を中心にした器、お料理、そして『十四代』をはじめとする日本酒たち。なによりも、ご主人のながいさんのお人柄。信州人にはもちろんですが、東京でも京都でも大阪でも、どこにお住まいに方にでも推薦できる、訪れていただきたいお店です。ほんとうの日本酒とそれに合うお料理と器、会話を、堪能したくなったら、どうぞ。焼酎はございません。

ご主人様のお名前は、永井寛治さん。奥様と息子さん(二代目、ほかのお店にて修行中)で営んでおられます。永井さんのニックネームは「錦小路のみまろ」。そのココロは上のサイトをご覧あれ。

いずれ、ながいさんの本、出させていただきたい、そう願っております。その前に一度、インタビューをさせていただき、あたくしの本に載っていただければ・・・。ながいさん、稔さんと語らううちに、妥協をしない本づくりの大切さをあらためて自分に誓ったあたくしでした。ながいさん、これからもよろしくお願いいたします。

【きょうの写真】上のファンの方のサイトに掲載されている、ながいのご主人様のお写真です。拝借、ご容赦ください。
 2005年12月30日(日)  どさ ゆさ
あと2日で今年も幕を閉じます。だからではないですが、仕事場にずっとおりました。一度だけ、小布施郵便局へ車で行き、年賀状を出しました。でもまだ300通くらいは残ってます。文屋文庫の会員様向けには年明けになってしまいます。この場をお借りして、お詫びします。

夕方、家族で、おぶせ温泉へ。それから、スキー(スノボ)帰りの荒野を乗せて6人で長野市のイタリアンレストランへ。1年の日々を振り返りながら、おいしくいただきました。

寒い寒いということになると、しゃべるのもおっくうになり、口を大きく開けるのがいやになります。以前、落語家の方がお話しになっていたのですが、「どさ」、「ゆさ」というやりとり、思い出しました。

東北の温泉のある小さな村。吹雪の夕方。どてらを着て背中を丸めたおっちゃんAが、やっぱりどてらを着て、ほっこかぶり(日本手ぬぐいで頭、頬、口まで包むかぶり方)をして背中を丸めた村のおっちゃんBとすれ違います。

おっちゃんA「どさ」。
おっちゃんB「ゆさ」。 2人はそれだけで、すれ違い、背中を向けて歩き去りました。その意味は・・・
おっちゃんA「どこへ行くんじゃ?」。
おっちゃんB「共同浴場へ行くんだ」。
つまり、「ゆさ」のゆは、湯だったのさ。
まー、気持ちだけはあったかくもって、温かなことばを交わしあいたいものです。お休みなさいませ。
 2005年12月31日(土)  血をほめられて、今年は幕!めでたし。
朝5時から年賀状書き。まだ何百枚かありますわい。お一人ずつへの短いことば、考えていると時間が足りない。でも書いてしまうあたくしです。

朝食をすませて8時すぎに車で長野市の日赤血液センターへ。年末年始の血液不足に備えて、特別にご依頼をいただき、もちろん喜んで参りました。いつもの成分献血で、血小板を献じました。

事前検査をしていただいたところ、あたくしのきょうの血小板の数は31.5万個/mm³。なかなか上々の数値なのだそうです。「うわぁ、すごい!いいですねー」なんて、血液をほめられました。なんでも、ほめられるのはうれしいことです。

ここで、血小板のことを調べてみました。

「血小板(けっしょうばん, platelet)は、血液に含まれる細胞成分の一種である。核を持たない。血管が損傷した時にその傷口をふさぎ、出血を止める作用を持つ。」

「血小板は、骨髄中の巨核球(巨大核細胞)という細胞の細胞質がちぎれたものである。そのため細胞質のみから構成されており、核を持たず、また形も不定形である。血小板1つ1つの大きさも一般の細胞よりはずっと小さく、1〜4 μm である。通常の血液中には、10万〜40万個/mm³程度含まれている。寿命は3〜10日であり、寿命が尽きると脾臓で破壊される。 血小板数はPLTという略号で表されることが多い。」

以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E5%B0%8F%E6%9D%BF
書店さんに本を納品して帰宅し、庭で車を洗い、神棚を清めてお札を新しくし、仕事部屋とトイレを掃除して夕方に。家族6人そろって、御年とりの夕食をいただきました。

10時半すぎ、玄照寺さんへ。2年参りのアイスキャンドルを灯しに参ります。では、みなさん、よいお年を。来年もよろしくお願いいたします。

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