Monochrome-Monologue

2005年9月
 2005年9月1日(木)  したことは、される
朝3時半から動きはじめ、仕事場にて2時間。朝食と緑茶、新聞のあと、ふたたび仕事場に。

新聞に、某国をハリケーンが襲い数千人の人命が失われた可能性があるとのこと。某国が侵略中の某々国では、パニックで数百人が死亡。「したことは、される」という教え、震える気分で思い出しました。

他人事ではありません。こころ、おかね、じかん。あらゆる面で、家族やほかの人に迷惑をかけてきた自分、かけている自分。「お役に立つ」ことの反対である「迷惑」は、その数倍になって自分に返ってくるのだそうです。これは真実です、そう思います。他人を責めることはできません。自戒。謙虚に。感謝を忘れず…と何百回も読み、教えられてもできないでいる自分に気づかされます。
 2005年9月2日(金)  一期一会、会者定離
朝、というか深夜1時、布団の横で、背中のほうから「もしもし、もしもし」と呼ぶ声がします。前の日は缶ビール1本をいただいて、9時に眠りにつきました。いつものように3時すぎに起きる予定でした。もう朝か、と深い、たぶんいちばん深い眠りの底から目を覚ますと、妻があたくしを呼んでおります。「おじさんが、危篤なので、病院へ」とのこと。

夢かうつつかと目をこすりつつ、次第に意識をはっきりさせ、ベッドから降りました。顔を洗い、身支度を整えて、母と妻を乗せて車で中野市の病院へ。病室に入ったのは、電話をいただいてから30分ほど経ってからでした。駐車場で、おじちゃんの長男(あたくしのいとこ)と会い、「先ほど1時6分に息を引き取りました」とのこと。病室には、奥様(おばちゃん)が看護婦さんと、待っていてくれました。享年68歳。若い、旅立ちでした。

それから2時間、主治医の若い先生のお話を伺い(レントゲン写真などを見ながら経過をわかりやすくお話くださいました)、亡骸(なきがら)をきれいにしていただき、移送専用の車に載せ、お見送りしました。

ひと眠りしてから朝、3人でおじちゃん宅へ。打ち合わせのあとあったん自宅に戻り(妻・朝子はお勝手のお手伝い)、夕方6時からのお通夜に参列。夕食とビールをいただきながら親戚のみなさんと語りあい、10時ころ帰宅しました。

満開の桜に包まれた池に浮かべたボートを、力強い腕で、にこにこしながら漕いでいただいたこと。温泉に連れていっていただいたこと。松本の病院に入院していた祖母の見舞いに車ででかけた日のこと。お祭りや正月のお客呼びには、ご家族みんなで拙宅に出かけていただき、お酒や歌を楽しまれたこと。新しい本をたくさん買い求めてくださったこと。新築したわが家の居間に、お祝いにすてきな緑のソファセットをお贈りくだったことなどなど。していただいたり、頂戴したり、そんないい思い出ばっかりのおじちゃんでした。

一期一会。
(1)〔茶会に臨む際には、その機会は一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ、の意〕一生に一度だけ出る茶の湯の会。
(2)一生に一度だけの機会。

会者定離
会うものは必ず別れる運命にあるということ。世の中の無常なことをいう語。

こんなことばを思い浮かべながら、すごした一日でした。あしたは、告別式です。
 2005年9月3日(土)  場の力を考えつつ
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朝8時、亡きおじちゃんのお宅へ。喪主は、ご長男(いとこ)、40歳。若い。まだまだお父さんを頼りにしたかったと思います。すがるもの、当てになるものがなんにもないような、目の前の地面にぽっかりと穴が開いたような感覚。あたくしも10年前、36歳の時に同じ立場になりました。実父も享年はおじちゃんと同じ68歳。

しかし。10年を経てみて、思うことがあります。家を建てる、文屋を起業して営む、家族を仲良くまとめて暮らす…まだまだ未熟な状態ではありますが(父が見れば30点以下でしょう)、もし父が健在であったなら…。天=あたくしは神と呼びますが、神のなされることに間違いも行きすぎもないと信じています。すべてに役割がある、そう思うこのごろです。

10時半、納棺。11時15分、出棺。マイクロバスで斎場(火葬場)の松川苑へ。新築が仕上がり、昨日から共用が始まったばかりの斎場です。最新鋭の設備で無煙無臭。待合室もトイレも、ホテルのようなしつらえでした。

午後3時から告別式、4時よりお斎(とき)。8時に帰宅しました。

残されたおばちゃん、いとこや奥さんたち。みんな仲良く、力を合わせて、乗りこえて、みなさんらしく、生きていってください。実家であるわが家にも、すこし落ちついたなら、遊びにおでかけください。

「場力」と書いて「ばぢから」。最近、気に入っていることばです。オリジナルのことばかいな、などと思っておりましたら、そんなはずありませんよね。昨年、買い求めた本『田中一光へのオマージュ』(木下勝弘著・トランスアート刊)に「「場」を創る」という一文を再読しています。

「先生(故・田中氏)はなによりも、表現を介して人と人とコミュニケーションをはかる「場の力」、表現の送り手とその受け手たちが一体となって集う出会いの場の存在を大切にされ、そしてその「場」を自ら創ってこられました。
 御自身が書かれているように、先生は「仕込み」という、人に喜んでもらうことの裏方的仕事に情熱を注がれました。それらの場創りを通して、実に沢山(たくさん)の人々の輪が拡がったことは、多くの方々の知るとうりのことです。紙の上の仕事にとどまらない活動の大きさ豊かさ。グラフィックデザインの領域を遥かに越えたところにこそ、先生の田中一光たる所以(ゆえん)があるように思います。・・・」

こんな文書を載せた美しい本を、作っていきたいと思います。

【きょうの写真】『田中一光へのオマージュ』の表紙です。装丁、紙の質感、そして文体、内容。御志の美しい本、だと思います。オマージュとは、フランス語でhommage。(1)尊敬。敬意。(2)賛辞。献辞。だそうです。
 2005年9月4日(日)  仲良し、きょうだい
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朝、ゆっくりと眠り、6時半に布団から出ました。久しぶり。朝食、緑茶、新聞、おしゃべり。

軽トラに乗って町の施設である桃源荘へ。きょうまで2週間、滞在してくれた5か国の若者たちが使った布団を新生病院のスタート記念館へお返し。それから彼らが使った自転車を、アラ小布施にお返ししました。

ふたたび居間にて、妻と緑茶。さあ仕事だ!と思うのですが、なかなか仕事場に行く気になれません。どうしてかな、と思いましたが、すぐにわかりました。体、首から下が言うことを聞かないんです。「運動不足だから、頭や指より前に、体を使って!汗をかいて!!」と言っています。

愛車にまたがり、ひとっ走りすることにしました。千曲川のいつもの土手を走り、中野市の浜津ガ池の公園へ。往復1時間半。はい、もう大丈夫。これで頭や指を使ってもご機嫌よく動いてくれる、心身の状態になれました。

昼食のあと、机につきました。この写真帖の書き込み、本の発送、一新塾本の企画などをしてすごしました。夕方、スーパーへ買出しに。めずらしく、夕食をあたくしが作りまッす!

【きょうの写真】いまから10年ほど前の春、千葉の房総半島の海岸にて。波と戯れる山国の、3人の子どもたちです。一番後ろの長男は大学1年生、2番目は高校1年、長女は小学6年生になりました。いつまでも仲良く。仲良くしていれば、うまくいく、ね!

玄照寺さんの参道入口に、ご住職の葦澤義文さんがいつも揮毫して掲示されていることば。いまは「平和は幸福の基(もとい)なり」です。まったくそのとおりですね。そして平和とは、「戦争をしていない」状態だけでは実現しません。差別がなく、人権が守られ、みなが尊重しあって暮らしている状態。これを「積極的平和」というのだそうです。

ご住職のことばをもとにあたくしが思うことば。
「和合は平和の基 平和は幸福の基」
 2005年9月5日(月)  ソーストンカツに初挑戦、だよ
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朝から夕方まで、仕事場にて手紙を書き、本を送り、一新塾本の台割り表を作り、ある会社の出版物のための資料読みをして過ごしました。

ところで昨夜は、久しぶりに夕食をあたくしが作りました。ふだん、食器洗いとか、かんたんな温めものなどはするのですが、料理といえそうなものを作るのはしばらくぶりです。しかも今回はちょっと本気。『マードレの田園レシピ』の著者・竹節志げ子さんの「男性のための料理教室」で習った献立のうちのふたつに挑みました。

一つはソーストンカツ。もひとつはトマトサラダです。くわしい作り方は本をご覧くださいませ。はじめてしたこととしては、揚げ物(小麦粉とか生パン粉を使って)、タレ作り、ドレッシング作り、トマトの湯剥(む)きなどです。いずれも、教わったことをなぞりながら、なんとかお皿に盛りつけることができました。

お味は? 家族みんな、満足してくれました。トンカツのタレには、酢大豆の酢を少々加えて、レモンの酢気の代わりといたすなど、自分なりの工夫もでき、あたくしとしても80点はあげられるかな・・・って思います。このふたつ、何回かやってみて、自分の献立にしていきたいです。

料理、楽しいですね。犬と子どもと料理に関心が高い次男の荒野は、ときおり台所を覗いては、やり方などを尋ねておりました。じか栽培農園を持つレストラン、荒野にやってほしい、というのは男親の勝手な願いでございます。

【きょうの写真】ソーストンカツです。お肉は、志げ子さんがご推奨のJAすこうのスーパー「アグリス」の信州豚のロース。たしかにおいしいです。生産者のことや飼料の履歴などもわかり、安心感もありますね。
 2005年9月6日(火)  『マードレ』、おかげさまで好評です
朝4時前に起きて朝のおつとめ。それから軽トラに消毒用の七つ道具を乗せて、JAの薬剤調合センターへ。130リットルの消毒液をタンクにいただいて、リンゴ畑へ。フジの収穫は10月末です。収穫前の、今年最後になる消毒です。約1時間で終了。軽トラの中と外を洗って帰宅しました。

8時、朝食、緑茶、新聞。そうこうしている間に、3件の本のご注文を電話とメールにて頂戴しました。有り難いことです。仕事場にて、手紙と本の発送などをしてすごしました。

竹節さんの『マードレ』の本が、おかげさまで好評です。中野市の本社のある地域紙「北信ローカル」さんにも大きく取り上げていただき、また今夕は長野県全域を対象とする「FM長野」でもご紹介いただきました。そのためでしょう。六斎舎から追加のご注文もいただきました。口コミの力で、奥様方に広めていただいているようです。心身引締めて臨みます。

鍵山秀三郎先生の新刊『掃除道』(PHP)を熟読しております。実践、しかも継続あるのみ、ですね。

夕方、愛車にまたがって千曲川の土手へ。一汗かいてから庭にてダンベル。夕食。風呂。10時、本を読みつつ眠ります。お休みなさいませ。
 2005年9月7日(水)  台風一過の黄金の夕焼け
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台風が九州から日本海を北上。朝から西のほうからの風が強く、夕方までつづきました。仕事場での編集と資料読み、伝票整理に終始した一日でした。

朝、トイレの掃除をしていて、以前から気になっていた便座を取り外してみようという気持ちになり、やってみました。ワンタッチで取り外すことができました・・・なんだ簡単じゃん。便座の、ふだんは取り外さない部分の下には、ほこりなどの汚れがありました。きれいにしていたつもりでしたが、その気になって取り組めば、やっぱりいくらでも掃除すべきことはあるのですね。ほかの二つの便座も、明日きれいにしようと思います。

台風がすぎた夕方、まだ風はありましたので、愛車でのトレーニングはおあずけにして、庭で体を動かしました。西の空が見る見るうちに朱色に染まり、やがて太陽の輝きを受けて雲が金色の輝きをもちはじめました。西の空一面が黄金色に。西方の極楽浄土とはこのことか・・・といたく感じ入りました。携帯に長野市の人から電話があったので、西の空を見て、と言うと「こちらの西の空は一面深い紫色です」とのこと。黄金の夕焼け、小布施に居る役得、なのでしょうか。よかった。

夜10時、眠りにつきます。

【きょうの写真】上)庭の入口にある樹齢300年の和ツツジの秋咲きです。

下)夕方6時ころに庭から見た夕焼けです。
 2005年9月8日(木)  静かな一日 この花、ご存知?
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朝5時ころから、わが家の2つ目のおトイレの掃除をしました。便座のはず仕方を覚えましたので、この便器もはじめて便座と便器を分離して、掃除をすることができました。床を掃き、壁や天井を拭き、サッシ窓のレールを磨き、そして便器へ。2時間みっちり。きもちのいいトイレになりました。

朝食、緑茶、新聞のあと、庭に車を持ってきて、内外を磨きました。

10時すぎ、車で長野市内へ。新しい出版物についての企画を語り合いました。

それから日赤血液センターへ。血小板の成分献血。血小板は採血から3日しかもたないもので、なるたけ早い段階で手術に使うようにしているそうです。血圧は70台〜105、ちょっと低め、いい感じです。

夕方、母が荷造りしておいてくれた『いい会社』を取次会社に発送。5時半、長女・星河の運動着をつたや洋服店さんにて、いっしょに行って購入。しずかな一日でした。

【きょうの写真】みなさん、この花、ご存知ですか? うちの庭に咲いております。夏のはじめからいままで咲いており、まだひと月は咲きつづけるでしょう。輝きのあるうす紫。ねぎぼうずのようなかたちです。背の高さは60〜80センチはあります。チョウがたくさんやってきます。ハチも。チョウがつかまると、その重みでしなるほどの、か細い茎です、種でどんどん増えます。ご存知の方、名前など、教えてくださいな。
 2005年9月9日(金)  小さなまちの底力 陣内秀信先生のお話
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朝から仕事場にてすごし、午後3時、フランス食堂ヴァンヴェールさんへ。政策学校一新塾のお仲間で浦安在住のコンサルタント・宮寺卓さんご夫妻がこのお宿に泊まり、今夜の小布施堂さんにおける小布施ッションに参加されるとのことで、事前にお会いしました。

帰宅して本を発送し、小布施ッションへ。きょうの講師はイタリア建築・都市史がご専門の陣内秀信先生(法政大学教授)です。演題は「小さなまちの底力−イタリアの魅力の秘密」。イタリアにおける、生活の楽しみや環境の美しさを追求する暮らしぶりを、「小さなまち」を鍵ことばにお話いただきました。

メモをもとに、参考になったことを記します。

「個性派ナンバーワンのイタリアが世界に発信する価値が、人々の心をとらえている」

「人間の手に都市を取り戻す。車中心の都市から人が歩いて楽しめる町へ。都市開発の発想・理念・哲学が転換された過去30年間」

「一万人内外からそれ以下の小さなまちに住む人が多い国イタリア。その反対に、しゃれていて活力のある、いい感じのまちが消えていく日本。文化的な厚みのある地方の自立したまちが健在のイタリア。合併を推進する国と、自立を決めた小布施。今後のあり方の参考になるイタリアの小さなまち」

陣内先生はネットワークについて「輝く都市が、横並びではなく個性を発揮しながら共存し(競争し、ではない)、そして地域ネットワークを組んでいる。地形や歴史、文化的なアイデンティティー、つまりそれぞれの持ち味、資源を生かしきって、小規模経営をしている地元企業が活躍している」と表現されました。

魅力ある都市空間の鍵ことばとして「歴史の重なり、記憶、物語性のあるまち。演劇的な都市空間。演ずる、顔の見えるまち。人間のための街路。街歩き、象徴軸と迷路性。出会いの場としての広場の存在。生活感のあるまち。家に住むという視座から、まちに暮らすという視座へ」

東京における例として、晴海のトリトンスクェア
(http://www.triton-shop.com/web/)や恵比寿のガーデンプレイス(http://www.gardenplace.co.jp/)のように、すでに話題の第一線からしりぞいた、その意味で初期のブームが去った場所で、広場での語らいや散策を楽しむおじいちゃん・おばあちゃんや乳母車を押す夫婦が増えてきたそうです。これらは、陣内先生が紹介されるイタリアの小都市における魅力的な空間や暮らしに通じるものがあるとのこと。もちろん小布施においても、ほかの日本のまちにおいても不可能ではないことですね。

小布施の場合、緑の公園化の構想のある北斎館西の駐車場や、しんきん横ののぼりの広場などがすぐに浮かぶ、”魅力的になりうる広場”です。あたくしは、歴史的な背景や商店街との関係、駅や小学校との位置関係などから、皇大神社の境内が、長期的には可能性を感じます。移転・新設(新築ではなく)が議論されている町立図書館との関係も、注目ですね。

お話のあと、開店したばかりの洋食レストラン傘風楼にて、パーティーが開かれました。とっても勉強になった夜でした。小布施ッションはこれで50回目だそうです。運営されているみなさん、声をかけてくださった花井裕一郎さん、そして陣内先生、ありがとうございました。

【きょうの写真】イタリアの小都市における過去30年間の様子を、たくさんの写真を使ってご紹介くださった陣内先生(左下)。ストロボが届いていません。ごめんなさい。
 2005年9月10日(土)  草刈り、そしてJC県大会に参加
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朝5時前からいろいろやって、身支度を整え、軽トラに刈払い機(ビーバー)を載せて玄照寺さんへ。「どんぐり千年の森」にて下草刈りを行いました。約2時間、杉や桜、雑木にからまったつる草や竹、雑草を刈りつづけました。ご住職と3人。今回は人数が少なかったのですが、やった分だけきれいになりました。お庫裏にて、奥様手作りの朝食をいただき、帰宅いたしました。次回は10月15日(土)朝6時からです。どなたでもご参加いただけます。朝の森の空気、おいしいですよ!

ひと休みして仕事場へ。早いお昼をいただいて、車で平松幸明さんと唐沢彦三さん(前町長)宅へ。お2人を乗せて須坂市のアートパークへ向かいました。きょうは青年会議所長野ブロック(県)協議会の大会で、まちづくりについてのシンポジウムがあり、その下働き役として参加させていただきました。

在職中、全国各地のまちとともに「スロータウン協議会」を設立した唐沢さんは、「ものごとをゆっくり、じっくりと考える時代。食だけはなく暮らしのすべてをスローからはじめることを考えたい」。「6年間の助役を経て町長を16年間。つねにむずかしかった」。「交流なくして発展なし。」。

平松さんは、「サロン。集い、出会い、語り合う場の大切さを感じます。自分たちがまず楽しむこと。それぞれの人や会社や団体、まちの役割を検証することがだいじでは。

コーディネーターの土屋龍一郎さん、長野ブロック長の小松裕さん、このフォーラムの運営のすべてを担った篠塚真一さん。みなさん、お疲れ様でした。またお会いしましょう。

【きょうの写真】上)朝の、どんぐり千年の森。5ヘクタールもある平地の雑木林です。100年、1000年の長い目線をもって、この森を育てていきたい。そんな願いと決意をこめた命名なのでございます。

下)フォーラムで語り合う唐沢さん、平松さん、小松さん。土屋さんは舞台下手にて、名コーディネーター振りを発揮されました。
 2005年9月11日(日)  平和は、和合の束、幸福の基。
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朝5時半まで、ゆっくりと布団にて休みました。きのうは朝の草刈り、いい汗をかくには、疲れるものなのですね、と身をもって再確認。さらに夕食後、室内の自転車とダンベルなどをして汗の上塗り。快眠でした。

あさから雨。仕事場におります。

【きょうの写真】上)玄照寺参道入口にある掲示板にて、ご住職の葦澤義文さんが自筆のことばを掲げ、定期的に代えておられます。いまのおことばは「平和は幸福の基(もとい)である」。まさにその通りですね。
いかなる暮らしの営みも、国が戦争を始めたなら、すべては台無しになってしまいます。戦争のできる国へと突き進む現在の政権与党を勝たせることは、自分や自分の子や孫を戦地に追いやり、自分たちの家や畑やまちをふたたび戦場にすることに、一票を投じることです。

ご住職のことばを参考に、いまのあたくしの心境は、
「平和は、和合の束(たばね)、幸福の基(もとい)」です。

下)昨日のJCフォーラムのあと、左から土屋さん、平松さん、唐沢さん、篠塚さんとあたくしです。篠塚さん、みなさん、お疲れ様。ご成功、おめでとうございます。
 2005年9月12日(月)  自民圧勝。おそろしい選択
朝3時半より仕事場にて。

朝10時、町役場にて10月22・23日に町総合公園(高速道小布施PA横)で開かれるクラフト&アートフェアの打ち合わせ会。

夜7時より、町公民館にて後期五カ年計画の第五部会「産業振興」の2回目の会合に参加します。

自民党が圧勝しました。と、組織としての「自民党」を主語にして語るのはやめます。日本国民が、自民党を圧勝させました。自民党を選びました。「郵政の民営化。改革を止めるな」一点張りの小泉氏の奇策に、一人一人の国民が一票を投じました。しかし自民党は、マニフェストで、この国のかたちを決める、だいじなことを掲げていました。

憲法改正です。

朝日新聞朝刊はこう書いています。
「憲法改正について自民党は、05年11月に草案を公表すると政権公約に明記している。これまでは発議に必要な衆参各院での3分の2以上の賛成を得るため、民主党への配慮も強いられていた。与党で320議席を得たため、今後は公明党との調整に力点が移りそうだ。」

今年11月には、憲法九条の改正をおもな目的にした自民草案が公表されます。戦争に参加できる国に日本をしましょうという草案です。この公約を(も)掲げた党を、国民が選んで支持したのですから、当然のことです。

平和あっての幸福です。郵政は大切な課題ですが、大きな木で言えば一本の太い枝にすぎません。根っこや幹ではない。平和あっての郵便配達なんです。平和あってのメールの交換なんです。どうして枝葉に目がくらんだ、根っこに視座を定めない、こういう選択をするのでしょうか?

「郵政では小泉支持、でも憲法改正では、支持しない」。こう言うのでしょうか? マニフェストは、選ばれた議員や党の行動を制約する公約であると同時に、選んだ国民をもしばるものだと思います。それでなければ、公正=フェアではありませんよね。

一方で、共産党が議席を維持し、社民党が議席を増やしました。小布施のある長野一区では、自民議員の得票の25%の票数を、共産議員が得ています。
 2005年9月13日(火)  10月2日、トイレ掃除に学ぶ会にどうぞ!
昨日夜は公民館にて、まちづくりについての懇談会に参加しました。おもなテーマは産業振興。合併をせずに自立の道を選んだ小布施町にとって、財政の健全化は大きな課題です。出るのを減らして入るのを増やす。ようするに、そういうことです。コストを減らす静脈的な議論と同時に、税収や雇用を増やす動脈的な議論もしていかなければ、みんなの気持ちちぢこんでしまいますし、財政はジリ貧になってしまいます。参加してみなさんのお話を伺いながら考えたことが2つあります。もとより”自分はどうするのか”という当事者としての気持ちで考えたことです。一つは、私と公。もう一つは、場についてです。私と公というのは、個々の人や家庭や企業が自助努力して改善解決していくべき課題=私と、町や地域が一体になって解決すべきしくみや制度や条例などの法の課題=公。同じ地域や業界の環境にあっても、お客様に恵まれて隆々と栄えている家や会社はあります。また、工場団地や駐車場、税制度など、個々の力だけではどうしようもない課題もあります。この2つを整理整頓して議論をしていきたいということを感じました。つきつめれば、だめないまの自分を人のせいにしないということ。それと三人寄れば文殊の知恵。こうした語らいの機会そのものが貴重だと思いました。もう一つの、場。これは、有志が集まって継続的に経営(自分、家庭、会社、地域、町のケイエイ)を学びあう場。塾といってもいいですが、そうした場を、小布施で運営できないかということです。町とJAと商工会、文化観光協会などが一体になり、住民も加わった運営母体を作ります。年間10回〜20回ていど、講師を迎えて話を聞き、それをもとに議論を深め、それぞれの経営に生かしていきます。参加費は、1回3,000〜5,000円。これくいらいは出す覚悟のある人に参加していただきます。どうでしょうか? まだ思いつきの段階ですが、必要な気がするのです。いまの小布施だからこそ。13日は朝5時からおんだ整骨院さんにて、ほぐしのじかん。午前中は仕事場。午後1時半、日本を美しくする会中部ブロックの竹中義雄さんが車を運転してお見えになり、栗ガ丘小学校のすべてのトイレを、市川教育長といっしょに見学。10月2日午前に開く、トイレ掃除に学ぶ会の打ち合わせをしました。現段階で、すべての便器とトイレを2時間できれいにするためには、150人あまりの人が必要です。申し込みは9月16日。集まった人数に応じて、掃除するトイレの数を決め、ピカピカにいたします。みなさん、いかがですか?ねんのため。この事業で収益を上げる人は1人もおりません。竹中さんをはじめ中部や関東から10数人の指導者がお見えになりますが、交通費も前日泊の宿泊料もすべて自己負担です。なぜか? 「掃除は自分の心磨きの機会。学校のトイレをお借りして勉強をさせていただきます。自分の心を磨く勉強ですから、自腹で参加します。もちろんボランティアではありません。自分の学びです」とのこと。これが、この運動の創始者、鍵山秀三郎さんの哲学です。いまや世界(ブラジル、中国など)にも広まっております。夜7時、文化観光協会の理事会に参加。10時、寝ました。
 2005年9月14日(水)  小布施IC出入口、来年3月末まで延長!
朝、長野市内にて編集の打ち合わせ。帰宅して仕事場におります。上信越道小布施PAに今秋から試験的に設置されているETC専用のIC出入口は、今月末までの予定でしたが、来年3月末まで延長が決まりました。利用実績によって、常設化が決まります。昨日夜の文化観光協会にて発表されました。県の内外から小布施にお越しのみなさん、お車にETCを搭載されている方はぜひ、小布施ICをご利用ください。このICから北斎館へは来るまで8分、文屋=拙宅までは車で2分です。5時、着替えて仕事場を出て、愛車にまたがって千曲川の土手へ。夕暮れの町や河原や志賀高原などを眺めながら走り、途中でジョギング、1時間後に帰宅しました。久しぶりに夕食の時、ビールを2杯ほどいただき、風呂に入り、眠くなったので休みました。9時でした。早寝が定着したこのごろです。
 2005年9月15日(木)  栗の集荷、丁重なごあいさつに敬服
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朝食の前に、自分の車を洗い、朝食と緑茶のあとにはトイレの清掃。だんだん掃除をする日課ができてきました。こんな感じで参りましょう。朝から夕方まで、仕事場にてすごしました。1週間ほど前、数年前から栗を出荷してお世話になっている地元の栗菓子会社の方々3人が、ごあいさつに見えました。母が応対しました。お1人は会社の幹部クラスの方でネクタイ姿、お2人は工場の現場の方で作業服姿、3人とも男性でした。玄関で迎えた母にネクタイの方が、A5判の白い紙にワープロ打ちされた「栗生産者各位」という文書を手渡しながら、「12日から集荷が始まります。今年も、ご協力をよろしくお願いいたします」と、笑顔で語り、深々と頭を下げてあいさつされたそうです。この会社の方々は、栗の収穫期には毎朝、中型のトラックで生産者の御宅へ集荷に歩きます。これはほかの会社も同じ。違うのは姿勢です。集荷のの際、作業服姿の若い男性たちがみんな、笑顔であいさつし、「ありがとうございます」とお辞儀をしていかれます。その姿を見て母はいつも、「すごく教育された、人格の高い人たちがいる会社だね。社長さんや幹部のみなさんの日々の暮らしや経営が、手に取るように伝わってくるよ」と感心して語ります。同じ出荷するにも、こうした気持ちのいいあいさつをしていく人や会社に引き取っていただくほうが、どれほどうれしいことかしれません。文屋の本の仕事も、同じだよな、と思いながら、いつも母の話を聞いております。お客様や仕入先(栗菓子なら栗の生産者、本ならばライター、デザイナー、印刷会社など)に、大事にされる会社でなければ、子や孫の代まで続けることはできません。「人間ね、10年や20年良くてもねー、30年、50年、孫子の代まで良くなければ、本当の幸せとはいえないでしょう」と教えてくださる先生のお話を思い浮かべております。最近手に入れた本『緑雨警語』(斎藤緑雨・冨山房)。こんなことばが目に留まりました。「拍手喝さいは人を愚かにするの道なり。つとめて拍手せよ、つとめて喝采せよ。渠(かれ)おのづから倒れん。」「朝(ちょう)に大臣となりて顕(あらわ)れんよりは、野(や)に色男となりて隠れん。」【きょうの写真】上)手のひらと比べてください。わが家の栗園の栗のイガです。あと1週間ほどで、収穫が始まります。おもに母と妻がやってくれます。下)栗園のいい枝ぶりです
 2005年9月16日(金)  花についての備忘録
朝、須坂園芸高校2年生の次男荒野を、車で高校まで送りました。来週の沖縄への修学旅行を前に、大きな荷物(バッグ)を前もって現地の宿へ送っておくのだそうです。ずいぶんとスマートな身軽な旅ですね。うきうきとしている息子の様子、なんだかまぶしいです。11時、仕事場を出て車で桜井甘精堂さんの本店へ。長野市内からお見えの小林さんと数年ぶりの再会。お互いの様子を語り合いながらお昼をご馳走になりました。ありがとうございます。午後は仕事場にて、資料読みや本の発送など。夕方、中野市内の書店さんへ納品と集金。『マードレの田園レシピ』、おかげさまで好評です。夜、神棚とお仏壇に手を合わせている時、ふと祖父のことを思い出しました。祖父は庭先に花壇を作り、グラジオラスや菊、ヒャクニチソウ、朝顔などを育てていました。万年青(おもと)や樹木、花が好きだったのですが、花を育てていたいちばんの目的というか、理由は、お仏壇に自分が育てた切花、生花をお供えするためでした。朝のお仏壇にはいつも、御飯とお水と、露がしたたるような切りたての花が飾られていたものです。春から夏、秋にかけて、つぎつぎと咲く庭の花は、それぞれの最盛期には家では飾りきれなくなります。そこで、祖父や祖母は朝、新聞紙に切花をくるんでくれて、小学校へ行く私たち子どもに持たせてくれました。それを持って登校し、教室へ入ると、担任の先生(堀籠悦雄先生、5年生からは成田正利先生)が、笑顔で迎えてくれ、花を受け取って喜び、窓辺の花瓶に生けてくれました。「豊ちゃんのおじいちゃんが育ててくれた花だよ」と先生がみんなに紹介してくれます。すこしばかり誇らしい気持ちをいだいたことを、覚えています。小学校高学年では、学校内の花や緑を育て、管理する緑化部に入りました。中学では、花作りクラブに入りました。きっと、花と緑の庭を愛でる自宅の暮らしが、そうした部やクラブに入る気持ちにさせてくれたのだと思います。小布施町でオープンガーデンが始まる30年も前のお話です。観光客など1人も訪れていなかった、一寒村にすぎなかった小布施。お仏壇に飾ってご先祖さんに喜んでもらいたい、学校の先生や仲間に花を楽しんでほしい。素朴に純粋に、それだけのために、花を育て、愛でていたあのころの暮らし、生活文化が、いまのまちづくりへの思いを支える心の土壌になっているのだなーと、なぜか今晩、ひとりで思っております。きのうから読んでいる本『静かに 健やかに 遠くまで』(城山三郎著)のあとがきに著者が書いておられます。この書名は、城山さんが最も好きなつぎの言葉を縮めたものだそうです。「静かに行く者は 健やかに行く 健やかに行く者は 遠くまで行く」
 2005年9月17日(土)  東京におります
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朝5時過ぎに家を出て車で長野駅へ。新幹線の始発で上京します。8時半、三田の政策学校一新塾にて、近刊『一新力』の編集チームのみなさんと編集会議。午後3時半、神田の出版社ウェッジさんにて、中西進先生の塾にて学びます。夜はいつものR&B東日本橋に泊まります。『一新力』、力強いメッセージをこめた本になりそうです。出版委員の6人のみなさんとの議論、深まりました。11月末の発刊を目指します。中西人間塾では、いのち、生命感をテーマに先生のお話を伺い、語り合いました。【きょうの写真】上)日本のおける俳句の起源について、仏教のお経の構成との関係を語る中西先生。下)塾生のみなさんです。11月の1回で今年度の塾は終了します。事務局の久田さん、運営をしてくださっている出版社ウェッジの安西さん、社長さん、ありがとうございます。
 2005年9月18日(日)  鎌倉、帰宅
朝8時、長野からお見えの小林さんと東京駅で落ち合って鎌倉へ。午後、信州に帰ります。夕方、須坂市の田中本家博物館にて開かれるコンサートを楽しみます。
 2005年9月19日(月)  国内生産の必然性と可能性
朝から終日、仕事場にて資料読みをしてすごしました。朝日の朝刊オピニオン欄に「国産の60年」という企画。パソコンを中国などではなくて国内、しかも東京都内で作る会社が紹介されています。「海外生産で輸送していた当時に比べ、故障率は半分以下まで低下しました。部品在庫の調整などが細かくできるメリットもあり、国産は高コストではなく、むしろコスト面でも有利なのです」と工場の所長さんがコメントされています。またシャープ亀山工場の方は「技術的にも枯れてコスト競争だけになった製品は、アジアに生産移転すればよい。一方、液晶事業はまだまだ技術革新と生産が不可分な状況にある。必然があっての国産なのです」。書き手は「高性能と高品質。両方が達成されたところで、国産と国内消費者の相思相愛は続く」と締めくくっています。国内生産を維持拡大して空洞化を防ぐことは、税収だけではなく国内の雇用の維持拡大につながります。コストだけの競争になる前の、日進月歩の最先端技術が、国内で開発されつづけることが、それにぴったりと連携連動した国内生産の必然性と可能性を保障してくれるわけですね。それが、働いていること、生きていることを”誇り”に思い幸せを感じられる職場作りにもつながる。科学技術立国が「ものづくり立国」を支える。文屋のテーマの一つです。
 2005年9月30日(金)  うわー反省です!
みなさん、こんにちは。9月は19日までは書いていたのですが、それから月末のきょうまで、まったく写真帖を書きませんでした。理由? ま、いろいろありまして…いそがしかったので、というのは理由にしたくないし、してはいけないし。この間に印象に残っていますことを少々。22日と23日は、妻朝子の実家がある長野市松代町豊栄の山の中にある田んぼで、稲刈りとはぜ掛けをしました。一条刈りの稲刈り機で刈り、一輪車で集めた束を一つずつ、はぜ掛けしていきます。妻のお姉さん夫婦と妻と長女の星河、そして実家の両親と私。稲刈り機を使ったのは生まれて初めてですし、はぜ掛けをしたのは・・・そうですね、30年ぶりくらいでしょうか。小布施の田んぼは、田植えから稲刈り、お米の乾燥まですべてJAに委託してあり、私たちは田の草刈りや施肥、水の管理をして、最後のわら揚げをするくらいなのです。目先の合理性とか生産性を考えはじめたらできないお仕事。でも、思いました。緑の自然に囲まれた妻の実家の田んぼで、両親といっしょに、きょうだいの家族が集まって、仲良く仕事をして、お昼をいただいて、お茶を飲んで、そのことそのものに、かけがえのない価値というか値打ちがあるんだなーと考えつつ、けっこう重労働の2日間でありました。もう一つは、来年1月4日から10日ほど、ウクライナとドイツを旅することになりました。東海大学平和戦略国際研究所の武田洋平先生を団長とする一行10人の一人として、日本の生活文化や文芸を紹介して交流する旅です。大好きなどいつへ久しぶりに参ります。うきうき。あたくしは、日本の地方の、具体的には信州小布施の、ふだんの暮らしを、写真などを使って紹介するお役目です。準備、これから進めます。最後に、一つ。「世界一」ということばの重み、というか、力について。「世界一の本づくり」「世界一の◎○工場」というふうに、世界一を志すことから生まれるやる気や結束力のすごさを、ある場所で実体験しました。「あの人より」「あの会社より」「日本の中では」というようなものさしをもっていまの自分を測るのではなく、世界で一番をものさしにする。すごい刺激的な場でありました。その場、その集団に、これから関わらせていただくことになりました。有り難いことです。ではみなさん、佳き10月をお迎えください。10月は写真帖、ちゃんと書こうと思います!反省、反省。

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