体育の日。夕方近くまで仕事場にてすごしました。昼休み、仕事場の安楽椅子(自然の木の枠に水牛の皮が張ってあります。かんてんぱぱの塚越寛会長が、インドネシアで買い付けてきた品を、数年前のかんてんぱぱ祭りで販売されていたのを買い求めました)に身を預け、新聞の気になる記事や本を読むことが、「あー、しゃーわせ(幸せ)だな〜」と思えるひとときです。
今読んでいるのは、『村田昭治のマーケティング・ゼミナール』(国元書房、1998年)。慶應義塾大学名誉教授の村田先生が、商学部教授を退任される直前の講義録をまとめたものです。サブタイルには「すてきな考え方と、こころときめく発想の旅」とあります。大学の授業とはいえ、難しい表現はほとんどなく、村田先生の温かな、学生想いの語り口調がつらなる、それでいて、社会を、経営を、人生を歩む時の道しるべになる大切なものごとが記された、あたくしは名著だと思います。
その一部、アンダーラインを引いた2か所を、ご紹介しますね。
「(恩師の小泉信三名誉教授は)同じ言葉を一時間以内に連発するなとおっしゃった。接続詞を使わないで話をしろとおっしゃった。思想がつながっていれば、接続詞はいりませんといわれた。ノリやホッチキスのないセンテンスで話をなさいといわれた。これは大きな宿題でした。」
「小泉先生のお宅に伺って、またその教えを聞いた。できるものでしょうかと申し上げたら、『三十年ぐらいはかかるでしょう。三十年間意識したら、少しは身につくかもしれません』とおっしゃいました。私は何か話しをするとき、その教えを思い出しながらしゃべります。なかなかそうはまいりませんが、近づいていきたいと思います。」
こう話された時、村田先生は60代後半。30年以上、学者として語り続けた据えのお話です。先生の書かれている文章も、お話と同様に、ほとんど接続詞がありません。「接続詞を使わないお話、文章」、あたくしにとっても、大きな宿題を頂戴した気分です。
村田先生は続けてこう記されています。
「私が心がけていることは、風化した言葉や手垢のついた言葉、あるいはすでに街であまりにも多くの人が連発している言葉は避けるということです。特に私が講義で使う言葉がどこから来るかというと、建築学、芸術論からであります。創造する分野から言葉をいただくことが私は大好きであります。芸術は創造であります。建築も造形であります。私たちがふだんなれ親しんでいない言葉が出てまいります。」
建築学と芸術論、ですね。心します。
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【きょうの写真】上)自宅の屋根から庭(手前)と物置(赤いトタン屋根と2階建ての瓦葺)を望む。この物置の敷地に、みんなが集まって語り合える場を備えた仕事部屋を建てることが、夢の一つです。
下)屋根の上ったあたくしです。秋のリンゴや栗の畑が見えます。きょうは、年に一度の、薪ストーブの煙突掃除の日。妻と長女の星河にも手伝ってもらい、長い柄のついた金ブラシで煙突の内側に付いたススを落とし、ストーブの中のススや灰をきれいにしました。これで、いつでも火を入れることができます。ヘルメットは自転車用。転落した時のために。無事でした。