文屋

過去のブログ

2005年10月1日

その1男性のお料理教室あんかけそば編

kako/2005_10/10594123934.jpg
kako/2005_10/10594123934-2.jpg
昨日9月最後の日の夜、町役場となりの北斎ホールの調理室で、町公民館主催の男性のお料理教室が開かれました。ひと月ぶりの参加です。

今回の献立は、「あんかけそば(皿うどん)」と「ミニかぼちゃ」、「うす焼玉子まきのお寿司」。先生はもちろん、竹節志げ子さんです。あんかけそばは、豚肉の薄切り、エビ、イカ、アサリ、白菜、玉ねぎ、ニンジン、インゲン、中華だし、塩、コショウ、醤油、そしてコーンスターチが材料でした。これ、あたくしにも作れそうです。こんど、家でやってみようと思います。

【きょうの写真】上)仲間たちです。右が竹節さん(撮影、あたくし)。

下)できあがり!あんかけそば、ミニかぼちゃ、うす焼玉子まきのお寿司です。

その2脱穀、終りました。

kako/2005_10/10594125615.jpg
kako/2005_10/10594125615-2.jpg
朝から車で妻と長女の星河といっしょに、妻の実家の長野市松代町豊栄へ。山中の田んぼにて、脱穀とわら上げ作業を4時まで行いました。

70代の両親にはかなりきつい農作業。何年も前から手伝わなければと思っていたのですが、今年ようやく、初めてのお手伝いとなりました。

先週、はぜ掛けしておいたわらは、好天に恵まれたすっかり乾燥していました。脱穀機(ハーベスタ)で脱穀し、わらを束ねて、倉庫へ移動します。小学6年生の星河が,段取り良く積極的に働いている姿、たのもしかったです。

夕方、帰宅してシャワーを浴び、着替えて、須坂市にある須坂温泉へ。温泉に漬かるためではありません。明日朝から開かれる「小布施掃除に学ぶ会」で指導してくださる「日本を美しくする会」の橋本様、竹中義雄様をはじめ16人のみなさんが、前日泊でおいでになり、夕食の会にお呼ばれさせていただきました。

町助役の冨岡さん、教育長の市川先生、町職員の林さんと4人。指導員のみなさんは、「掃除をさせていただくこと、ご指導させていただくことは自分自身の心磨きです。トイレ掃除、自分の家や職場、まちのゴミを拾い、掃除をする人が増えれば、日本は美しい国に生まれ変わります」と、旅費交通費や指導はすべて無料でお引受けくださっています。1時間半ほど、お話を伺いながら酒食をともにさせていただきました。

あすは小学校のトイレ、来年3月には小布施中学校のトイレ掃除の会が実現できそうです。そんなわけで、体も心もいっぱいに使った一日でした。10月の幕開け、すてきな一日でした。おつかれ!

【きょうの写真】上)お昼休みの昼食は、持ちよったおにぎりや漬物をいただきました。山の中腹の田んぼ。イノブタという動物(イノシシと豚のあいの子?)が出現し、稲や野菜を食い荒らすので、防護ネットが備えてあります。イノブタが本気になれば、ひとたまりもないネットだそうですが・・・。田んぼから300メートルほどで、山の尾根に出ます。

下)農作業用の安全靴です。10年くらい前から使っていまして、とうとう穴が開いてしまいました。ご苦労様の気持ちで今年いっぱいはお世話になります。有り難うございます!

接続詞を使わないで話す、書くという衝撃

kako/2005_10/105913182253.jpg
kako/2005_10/105913182253-2.jpg
体育の日。夕方近くまで仕事場にてすごしました。昼休み、仕事場の安楽椅子(自然の木の枠に水牛の皮が張ってあります。かんてんぱぱの塚越寛会長が、インドネシアで買い付けてきた品を、数年前のかんてんぱぱ祭りで販売されていたのを買い求めました)に身を預け、新聞の気になる記事や本を読むことが、「あー、しゃーわせ(幸せ)だな〜」と思えるひとときです。

今読んでいるのは、『村田昭治のマーケティング・ゼミナール』(国元書房、1998年)。慶應義塾大学名誉教授の村田先生が、商学部教授を退任される直前の講義録をまとめたものです。サブタイルには「すてきな考え方と、こころときめく発想の旅」とあります。大学の授業とはいえ、難しい表現はほとんどなく、村田先生の温かな、学生想いの語り口調がつらなる、それでいて、社会を、経営を、人生を歩む時の道しるべになる大切なものごとが記された、あたくしは名著だと思います。

その一部、アンダーラインを引いた2か所を、ご紹介しますね。

「(恩師の小泉信三名誉教授は)同じ言葉を一時間以内に連発するなとおっしゃった。接続詞を使わないで話をしろとおっしゃった。思想がつながっていれば、接続詞はいりませんといわれた。ノリやホッチキスのないセンテンスで話をなさいといわれた。これは大きな宿題でした。」

「小泉先生のお宅に伺って、またその教えを聞いた。できるものでしょうかと申し上げたら、『三十年ぐらいはかかるでしょう。三十年間意識したら、少しは身につくかもしれません』とおっしゃいました。私は何か話しをするとき、その教えを思い出しながらしゃべります。なかなかそうはまいりませんが、近づいていきたいと思います。」

こう話された時、村田先生は60代後半。30年以上、学者として語り続けた据えのお話です。先生の書かれている文章も、お話と同様に、ほとんど接続詞がありません。「接続詞を使わないお話、文章」、あたくしにとっても、大きな宿題を頂戴した気分です。

村田先生は続けてこう記されています。

「私が心がけていることは、風化した言葉や手垢のついた言葉、あるいはすでに街であまりにも多くの人が連発している言葉は避けるということです。特に私が講義で使う言葉がどこから来るかというと、建築学、芸術論からであります。創造する分野から言葉をいただくことが私は大好きであります。芸術は創造であります。建築も造形であります。私たちがふだんなれ親しんでいない言葉が出てまいります。」

建築学と芸術論、ですね。心します。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/476581520X/qid=1129194667/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/250-3295116-0731445 

【きょうの写真】上)自宅の屋根から庭(手前)と物置(赤いトタン屋根と2階建ての瓦葺)を望む。この物置の敷地に、みんなが集まって語り合える場を備えた仕事部屋を建てることが、夢の一つです。

下)屋根の上ったあたくしです。秋のリンゴや栗の畑が見えます。きょうは、年に一度の、薪ストーブの煙突掃除の日。妻と長女の星河にも手伝ってもらい、長い柄のついた金ブラシで煙突の内側に付いたススを落とし、ストーブの中のススや灰をきれいにしました。これで、いつでも火を入れることができます。ヘルメットは自転車用。転落した時のために。無事でした。

2005年10月2日

小布施トイレ掃除に学ぶ会

kako/2005_10/10594163916.jpg
朝7時、町で一つの小学校、栗ガ丘小学校へ。第2回トイレ掃除に学ぶ会が開かれました。日本を美しくする会の指導員の方々31人が、愛知や三重、岐阜、静岡などからお運びいただき、まったくの無報酬で、懇切丁寧なご指導をしてくださいました。

主催は小布施町の、掃除に学ぶ会。市村町長の全面的なご了解のもと、教育長の市川和恵先生をリーダーに準備が進められてきました。参加したのは、小中学生と親や一般の方々、先生、町職員など80人ほど。10の班に分かれ、10のトイレで掃除に取り組みました。

最初はナイロン手袋をしていた人たちも、途中からは素手で汚れを落とし始め、ひとり一つの便器を担当しました。2時間半、一つの便器をきれいにすることだけの一点に集中しました。

あたくしはこれで3回目の学ぶ会ですが、そのたびに、なんだか大きな山に挑むような、ちょっと気張った気分になります。男子トイレの便器を担当しました。おこげ状態にこびりついた、茶色い汚れや、尿石と呼ばれる石のように固まったものなどを、スポンジ、たわし、メッシュのやすり、ヘラなどを使って、少しずつ取りのぞきます。最初は気になっていた匂いは、慣れるにしたがって気にならなくなり、汚れが落ちるとともに匂いの元が消えていって、トイレの中の空気は、すがすがしいものに変わっていきました。

「きれいになると、それまでに気づかなかった汚れが目に付くようになる」と言われるとおり、良く見ると黒っぽい水垢が残っています。それをきれいにしようと頭はだんだんと便器の中へ。ふだんは目に入らない便器の内側をのぞきこむと、まだまだ黄色い汚れが残っていました。

トイレ掃除は自分の心磨き。身を低くして掃除をしていると、おのずと謙虚になってくる、と教えられています。そうだなーと実感を新たにした2時間でした。

帰宅してシャワーを浴び、しばらく、仕事場の安楽椅子でぐっすりと休みました。いっしょに参加した妻は、母と収穫真っ盛りの栗園へ。ご苦労様!

市川教育長は閉会のあいさつで、「来年3月、こんどは中学校でトイレ掃除に学ぶ会を開きたいと思います」と”宣言”してくださり、会場から参道の拍手が寄せられました。竹中さんをはじめ指導者のみなさんからも、ご協力の了解をいただくことができました。できれば高校入試が終った翌日から卒業式までの間の半日を使って、卒業生約100人と先生方を中心に、保護者や一般の有志が参加して開くことができればと思います。「3年間の感謝を込めて」…そんな掃除の会を実現させたいものです。参加を希望されるみなさん、どうぞ連絡ください。

【きょうの写真】1日夜、須坂温泉にて、日本を美しくする会の指導者のみなさんと。ちょっとぼけてますね。

2005年10月3日

えむ、という日本語

みなさん、お元気ですか?

朝日新聞のbeという特別版に、中国の香港で”微笑み運動”が展開されているという寄稿文が載っていました。英国との長年の関係から中国本土を見下す気質が定着し、それが超一流ホテルのマネージャーの人さえも、お客様の目を見て微笑むことができない土地になってしまったそうです。なんとなしなければ、ということで始まったのが微笑み運動。サービス業に携わる多くの人たちが、黄色に微笑みマークの丸いバッジを付けて応対し、あるホテルでは、笑顔コンテスト(お客様がいちばんいい笑顔のスタッフを投票する)まで実施されているとのこと。

笑顔、いいですよね。

長野市のある大きな書店にお邪魔した時、スタッフの部屋の壁に貼ってあった紙のことばを思い出しました。

「笑顔に勝る化粧なし」。

至言だと思います。どんなに美人でも、目鼻立ちが整っていても、髪の毛やお肌につやのない人は美しくありません。笑顔がきれいな人は、肌や髪につやが出てきて、きれいに輝くものだと思います。

笑うという日本語で思い出すのは、春の芽吹きを迎えた山を表現する「山笑う」ですね。そして笑うのは春だけではありません。秋。文屋のある信州小布施町飯田の里に広がる栗林は、収穫のまっさかりです。栗のイガが割れることを“笑む”と言います。花が咲くことも“笑む”。日本語、いいですね。文屋のお庭にある樹齢300年の和ツツジには、紅の花がいっぱい笑んでおります。和やかな微笑のあふれた暮らし、日本、世界・・・みんなの笑顔の積み重ね、ですね。

2005年10月4日

美日常と”つくる”

美日常
 人づくり
 ものづくり
 まちづくり

つくるについて考え、語りあい、本にしていきたいなと考えはじめております。

2005年10月5日

年に一度のお庭の手入れです

kako/2005_10/1059693141.jpg
朝から仕事場にて編集の仕事、おもに資料読みと手紙書き。午後は長野市内の会社にて出版の打ち合わせと取材を行い、夕方帰宅しました。

きょうの朝から、文屋のお庭には、庭師の持田造園さんの息子さんと職人さんが2人で、庭の手入れに入ってくれています。手の込んだ松やトガなどの針葉樹の手入れから始めてツツジやサツキ、カクレミノなどの広葉樹の刈り込みなどを、2日間かけてやってくれます。職人さんにお願いするのは、うちでは毎年秋のこの時期1回だけ。あとは、母が中心になって草取りや、妻による花植え、あたくしは眺めるのが専門ですが、ときおり防虫などのための消毒をいたします。

オープンガーデンを小布施町が始めて6年がすぎました。最初のころのように大勢の人が見学に訪れることはなく、静かになりましたが、ときおりふいに、お客さんが見学にこられます。10月22・23日には小布施町が窓口になって、お庭の見学ツアーが企画されているようですので、わが家でもできるかぎりのおもてなしをさせていただこうと思ってます。みなさん、おでかけくださいませ(あくまで、できるかぎりの、ですよ)。

「家庭」は家と庭で成り立つ熟語です。庭をきれいにして、作業のあと、部屋からゆっくりと庭を眺める。そんなとき、「家庭」という日本語に込められて意味合いを考えることがあります。

さて今晩は、ノーベル化学賞の受賞発表。有力な候補として名前が挙がって4年目の遠藤守信先生(文屋文庫第4巻の著者)には朗報が届きませんでした。でも、6日の「朝日」も報じている通り、21世紀の鍵になる科学技術であるナノテクノロジーの世界的な権威で第一人者であることは、世界が認めるところ。生まれ故郷の須坂市にご家族と暮らし、出身校の信州大学に根を張り、郷土のものづくりを温かく支えながら、世界最先端の道を切り開き、みずから国際会議も主催されている遠藤博士の魅力は、なんら揺らぐものではありません。心身ご自愛され、いままで以上のご活躍を願っております!

これでマスコミが一気に、なにもなかったかのように、先生のもとから引いていきました。静かな先生のもとへ、また伺いたいと思います。

【きょうの写真】持田さん(手前)と職人さん(奥の高い木をお手入れ中)。このあと、防虫の消毒と栄養剤の葉面散布をして、冬を迎えます。

2005年10月6日

偶然をとらえて幸運にする力セレンディピティー

午前中は仕事場、お昼は東京からお見えのコンサルタントの先生と会食、午後はふたたび仕事場におりました。

塚越寛さんのご著書『いい会社をつくりましょう』に紹介されていることばに「セレンディピティー」があります。塚越さんに教えていただき、初めて知りました。それ以来、本や新聞を読んだり、人に会って話を聞いたり、まちを歩いたり、あるいは仕事場から庭を眺めたりするときに、ときおり思い出しています。

このことばの意味は、偶然をとらえて幸運にする力です。

岐阜新聞に掲載された記事をご紹介します。ノーベル化学賞を受賞された白川博士の発見に関連した文章です。

(以下、引用)

 「セレンディピティー」という言葉を、初めて知った。白川さんが今春まで在籍した筑波大物質工学系の同僚で、同じ高山市出身の住斉教授(57)に教えていただいた。「目的以外のことで偶然得られた大発見」「思わぬものを偶然発見する能力」といった意味で近年、研究員の間でよく使われるようになった言葉という。

 住教授が、白川さん自身がこの「セレンディピティー」について解説している小文のコピーを送ってくれた。1996(平成8)年4月、筑波大第三学群長だった白川さんが、新入生に向けて書いた小文だった。

 それは、「セイロン(スリランカ)の3人の王子」というおとぎ話にちなんで主人公たちのもつ能力から作った言葉とされる。おとぎ話の王子たちは、探し求めていたのではないが偶然と賢明さに助けられて発見を重ねていく。太陽系の運動について考えを巡らせていたニュートンは、リンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を思い付いた。リンゴは単なるきっかけに過ぎないが、ニュートンにとってはセレンディピティー的な着想だった−。

 白川さんはこんな前置きをした上で、こう記す。

 「偶然とは文字通り、予期できないような時と仕方で予知できない物事が起こることです。いつ起こるかわかりませんし、いつでもありそうです。しかし、その偶然を認識し、思索を深めて発明や発見につなげるためには、その偶然に出会った人が旺(おう)盛な好奇心や深い認知力と洞察力などに富んでいることが不可欠です」

 住教授は「白川さんは一言も触れてはいないが、ここに御自身のことを書いている」と直感したそうだ。

 白川さんに、セレンディピティーについて聞いた。

 1967(昭和42)年の「9月ごろ」と、白川さんは振り返る。ポリアセチレンを合成する実験に挑んだ外国人研究生が「失敗しました」と報告に来た。見ると、溶液表面にぼろぞうきんのような膜が張っていた。よく調べると膜状になったポリアセチレンそのもので、金属光沢もあった。 原因は研究生がメモを間違え1000倍濃い触媒で反応させたためらしいが、白川さんはそのぼろぞうきんを見て、「しめた。電気が通るかもしれない」と思った。

 「僕があの当時やってたのは、触媒を使ってポリアセチレンができる反応のメカニズムを調べる研究だった。たまたまその途中、ある間違いでフィルムができた。普通だったら間違いとして捨ててしまうのだけれど、僕はそのフィルムに興味を持った。そこでいろんなフィルムを作って物性を測定して、もともとの目的は達成されたけれど、それに付随して、電気が通るかもしれないという研究も始まって、それが花開いた。つまり、目的とすることではないことで大発明、大発見をする、そのことをセレンディピティーと言うんです」「偶然に出会った人が旺盛な好奇心や深い認知力と洞察力などに富んでいる」場合のセレンディピティーの実例が、そこにあった。

 ちなみに、有機導電体を研究していたマクダイアミッド教授が白川さんと出会った幸運は目的上の偶然で、これにはあてはまらない。(編集委員 永井豪)

(引用、以上)

セレンディピティーは、手元の英和辞典にも載っています。SERENDIPITYと書きます。「掘りだしじょうず」というくだけた和訳も添えられています。この力、なにもノーベル賞級の科学研究だけに当てはまるものではありません。日常の暮らしにも使えるでしょうし、文屋の編集・出版にももちろん生かせますね。みなさんのお仕事や暮らしにも。

こんなサイトも見つけました。掘りだしもの!にするかどうかは、見つけた人次第、なのでしょうね。↓

http://www.biwa.ne.jp/~fumika/hasso.htm

2005年10月7日

火の季節ですね〜

kako/2005_10/10591014527.jpg
朝から仕事場にて資料読みを中心に仕事。後半は庭の手入れの後片付けをいたしました。朝夕、めっきり冷え込むようになりました。そうです、薪ストーブの季節が到来です。まってました!

あさって、屋根に上ってストーブの煙突の掃除をして、ストーブ本体を掃除して、薪用の大きな木の箱を用意して、いつでも火を入れられる状態にしようと思います。火、生の火、生きている火、早く見たいです。早く火にあたりたいです。わが家では10月中旬からストーブを使い、4月いっぱいは毎日、5月後半まではときおり、ストーブのお世話になっております。半年以上、ということになりますね。

あ〜火に会える、と思って書棚を眺めていると、詩人の高橋睦郎先生の『詩人の食卓』(平凡社)が目に留まりました。もくじに「美しい日日」という章の名前が。めくってみました。

書き出しです。

「十二月は私にとって火の月である。
といっても、何のことかわかるまい。十二月は私の生まれ月(づき)である。私の生命の火がはじめて外気に触れた日である。生まれた日は十五日、何かと気ぜわしい師走もいっそう気ぜわしさを増してくる月半ばだ。」

20数ページの章の終わり、高橋さんはつぎのように締めくくっておられます。「私は火が好きだ。ジャン・コクトーがシナリオを書いた映画『悲恋』(原題・永劫回帰)に逃避行中の恋人たちの男が火を焚き女がそれを見ているシーンがあり、それをそのまま絵にしたのではないかと思うほどの、その名も『美しい日日』というバルテュスのタブロオがあるが、火の変幻だけを主題にした一冊の詩集を作ることが、冬が来るたびに甦(よみがえ)る私の夢だ。

そのためにはガスの火ではない、もっと荒荒しい火が必要だ。広くもない庭のひとところ竈(かまど)を築(つ)いて、海で拾って来た流木を、ただ火の変幻を瞶(みつめ)るためだけに燃やしたい。火の月に夢みる私の美しい日日だ。」いかがですか、みなさん。火、いいですよね。高橋睦郎著『火』(文屋・刊)、これがあたくしの夢なのでございます。

高橋さんはこの章で、12月15日のお誕生日に近い日曜日の午後、逗子のご自宅に近しいお客様を迎え、お誕生日のパーティーを催されることを書いておられます。すべて自作のお料理を、大皿に盛って。主たるお料理は「鴨酒塩鍋(かもさかしおなべ)」なのだそうです。逗子のお宅に伺ったことがあります。緑に包まれたすてきな書斎でした。

あたくしのお誕生日は3月18日。そんなパーティー、こんど開いてみたいと空想しております。

【きょうの写真】『詩人の食卓』の表紙です。美しい本です。

2005年10月8日

ツマラナイカラヤメロトイイ

kako/2005_10/10591015292.jpg
現地時間の8日朝、パキスタンで地震が起きました。地図で見ると、アフガニスタン、パキスタン、インドと国が連なる一帯。震源地はパキスタン北部。インドとパキスタンが領有権を争う紛争地のカシミール地方を直撃しました。双方に深刻な被害が出ているそうです。

手元の信濃毎日新聞(共同配信)には、「紛争地域を直撃」「印パの協力不可欠」「和平プロセス好影響も」との見出しが目につきました。人と人、国と国同志の欲のぶつかりあいである領有権をめぐる紛争。和平プロセスが動き出した矢先の大惨事でした。

和合を欠いていては神様は守らない。和合を心がけていれば、たいていのことはよろしく運んでいただける。そう教えられて暮らしております。平和は和合の束(たばね)、平和は幸福の基(もとい)。そう教えられながらも、人の粗(あら)を見て批判したり、悪口を言ってみたり、自分の欲におぼれて相手の立場を考えなかったり、なかなか改善はできません。

新聞の記事には、パキスタン人の男性へのインタビューが紹介されていました。「これも神の思し召しか」。

紛争地域を直撃した大地震によって、印パ双方は、和平プロセスを前倒しして、救助や救済支援のため協力し合ってほしいものです。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にこんな文章がありますね。

「北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い」。

おっと、他人事ではないわい、自分の矢印向けましょう。

【きょうの写真】信濃毎日新聞10月9日4ページより。

2005年10月9日

お庭の手入れと編集と

朝から仕事場にて、編集の仕事に専念いたしました。午後3時、愛知県の小中学生のバスケットボールの監督をされている畑中典夫先生と、小布施町総合体育館でお会いしました。先生は、学校の先生をしながら小中学生のチームをいくつも監督として指導しておられます。今回は、中学女子のチームを率いて昨日から小布施に滞在され、県内外のチームとの交流試合をされました。バスケットを愛し、子供たちの努力を愛する熱血の畑中先生の後姿には、感じるもの、教えたられるものが多々あります。ひたむきな努力、正しい心は、きちんと報われるという、あたりまえのことを、あたりまえに真正面から教えておられる、稀有な先生だと思います。来春の再会が楽しみです。帰宅して着替え、庭へ。持田造園さんが刈り整えてくださっ庭には、いたるところに枝や葉が散っています。それをきれいにするには、1人の手で約8時間はかかります。次男荒野、長女星河の手も借りながら、夜7時前までかけて、ようやくきれいにすることができました。汗だくになる重労働ですが、きれいになった庭を眺めれば、疲れはどこへやら。これを母は昨年までずっと、1人でやっていてくれました。あらためて、礼を言い、労をねぎらいました。有難うございます。この手入れを契機に、わが家ではあたくしが、庭いじりの主になりそうです。そうしなければいけないのでしょうね。覚悟、できました。どんな?お庭をとことん楽しみぬく、覚悟でございます♪

2005年10月11日

歓迎、埼玉と千葉のみなさま

kako/2005_10/10591319572.jpg
kako/2005_10/105913195535-2.jpg
朝4時半に家を出て(まだ暗い!)、おんだ整骨院さんへ。6時までゆったりとほぐしていただきました。

朝食のあとは仕事場ですごし、11時半に、5人のお客さまを拙宅にお迎えしました。埼玉県の中村博行さん、新木田信明さん、岡本博子さん、若尾明子さん、千葉県から四元恒慈さん。前の3人様はすでに2〜5回も小布施にお見えいただいている方々です。

自宅の居間のソファに座っていただき、母と妻が作った栗の渋皮煮や練り餡、漬物、なしとぶどう、緑茶など、うちにあるものだけでもてなさせていただきました。お話の話題は、「美日常の、いいまちをつくりましょう。」という文屋の活動理念について。今回は、最近小布施町の活動に加わった「トイレ掃除に学ぶ会」について、美日常の視点から語り、みなさんからもご意見やご助言をいただくことができました。

小布施に、自宅・仕事場に、居ながらにして、外から訪れてくださった方々をお迎えし、交歓して、貴重な情報をいただける。あたくしもなんとかしてお力になりたいと、あらん限りのお話をさせていただく。生活者と来訪者がお互いに交歓しながら満足し合える瞬間の積み重ね。これが美日常なのですね、と語り合いました。みなさん、有り難うございます(地粉うどんのお土産も!)。またお出かけください。

午後1時、高辰(たかたつ)豆腐店のご主人・高見沢範男さんの告別式に参列。長年、スーパーカブに豆腐の箱を積んで、豆腐と油揚げを、週2回ずつ、わが家に届けてくださった高見沢さんが病気になられて数年。全快を祈る周囲の願いもかなわず、お別れとなってしまいました。残念でなりません。よく身のしまった硬い木綿豆腐が高辰さんの身上。お父さん譲りのお店でしたが、77歳で亡くなられた高見沢さんを最後に、このお店は閉められました。小布施の豆腐屋さんがまた一つ、無くなりました。豆腐屋さん、小布施の豆腐屋さんの登場を、願っているあたくしです。

夕食のあと、町公民館にてまちづくりの懇話会に参加。50人近い人たちと、産業振興をテーマに語り合いました。

【きょうの写真】上)5人の来訪者のみなさん。文屋の居間にて。

下)まちづくりの懇話会。産業振興をテーマに語り合っています。あたくしは、自分たちの事業の発展と小布施町全体の発展をともに目指す継続的な学びの場「小布施経営塾」の創設と、トイレ掃除に学ぶ会の継続的な開催を提案させていただきました。

2005年10月12日

3月に第3回トイレ掃除に学ぶ会

11時半、町役場の教育長室に市川先生をお訪ねしました。2日に開かれた、栗ガ丘小学校でのトイレ掃除に学ぶ会に続いて、小布施では3回目の会を、来年3月に中学校で開くことが、まもなく正式に決まります。くわしくは未定ですが、在校生はもとより、一般の住民の参加も歓迎する方針です。みなさん、ご参加ください。夕方、資料読みと原稿の校正の仕事を一区切りして、夕食。食休みのあと、身支度を整えて、1人で夜の街へ。お酒でもカラオケでもありません。ひたすら歩くのでした。夜ですので、蛍光たすきをかけ、発汗用のジャケットを着て。小学校のグラウンドを軽く走り、帰宅。風呂。お休みなさい。

2005年10月14日

細川たかしさんのチャリティー・ディナーショー

kako/2005_10/10591855323.jpg
朝から仕事場にて、資料読みと整理をつづけておりました。

夕方4時半、車で母と妻といっしょに山ノ内町夜間瀬スキー場のホテル明幸へ。演歌歌手・細川たかしさんのディナーショーに参りました。来年3月にこのスキー場で開かれる、アジアの子供たちによるスキー競技会の運営資金を作るためのチャリティーパーティーです。『マードレの田園レシピ』の著者・竹節志げ子さんにお招きいただき、有り難くも3人で楽しませていただきました。

ディナーショーなるもの、生まれて初めて参加するあたくしたち3人は、少々緊張して会場に入りました。定刻より前にもかかわらず、お食事会は始まっておりました。迎えてくださった竹節さんに招かれて円テーブルへ。長年この町に暮らしていた竹節さんだけに、多くの参加者をご存知で、さかんに声をかけられていました。みんなムラの知り合い、って感じで、ムラの宴会の雰囲気でしたので、緊張は一気にほぐれたのでありました。

食事にお酒も進み、宴たけなわになった1時間後、細川さんが赤い舞台衣装で登場。『北酒場』『矢切の渡し』などおなじみの曲十数曲を熱唱しました。北海道の寒村に生まれ、中学を出てから札幌で修業。それから東京でデビューしていま30周年。NHKの紅白に連続出場の記録を更新中とのこと。その声量や謙虚なお話しぶりから、日ごろの地道な練習や心身の鍛錬の様子が、にじみ出ておりました。どの世界でも、真面目にこつこつと、人の見ていないところでも働く、やさしい謙虚な人が、最終的には評価される。その教えを体現されている方だと感じました。

きょうの2回のステージは、細川さんのボランティアです。来春のアジア大会には、インドやパキスタン、中国、韓国など十数か国から、子供たちがやってきます。長年、長野県や全国のスキー関係の人たちが、スキーを贈ったり、指導員を派遣したりして、育成してきたのだそうです。

終演後、竹節さんのご案内で、このホテルの北隣にあるロマコティー・キーピスというロッジの前へ。このロッジは、10年ほど前まで竹節さんが8年間営んでいた”お城”です。ご主人を40代で亡くしてから一念発起。育ちざかりの3人のスキーヤーの子供さんを育てながら、100数十人収容の宿を切り盛りしてきた人です。いま、『マードレ』の本が出版され、新しい舞台に立った竹節さんのこれからが楽しみです。ここにも、「真面目にこつこつと…」というお手本がいらっしゃいました。

3人で、遠見の湯という温泉にゆっくりとつかり、途中のコンビニでアイスクリームをお土産に求めて帰宅。次男と長女が出迎えてくれました。長女にとっては、夕方1人でお留守番をした初めての記念日にもなりました。

【きょうの写真】左が細川さん。右端は往年のオリンピック代表選手・杉山進先生。文屋の初めての本『ベーシックノート志賀高原』のディレクター役を担ってくださった、恩人です。有り難うございます。

2005年10月17日

デンマークからメアリさんご一行が来宅

kako/2005_10/105918682.jpg
朝10時、デンマークから懐かしいお客様が訪ねてこられました。メアリ・ソーレンセンさんです。お友だちのモーンスさんご夫妻、長野市の小島美穂子さん、小島さんのご両親の柳島純雄さんご夫妻と6人のご一行。母も、自作の栗の渋皮煮や漬物を用意して、迎えてくれました。

メアリさんに初めてお会いしたのは、5年ほど前。(社)長野国際親善クラブの派遣による視察旅行で、小島さんといっしょに、デンマークのコペンハーゲン郊外、ベアルースというまちに暮らすメアリさんと夫のアイビーンさんにお世話になりました。小島さんはメアリさん宅に、あたくしはご近所のヨーゲンさんご夫妻宅に数日、ホームステイをさせていただきました。

メアリさんは昨年、アイビーンさんに先立たれ、しばらくはお元気でなかったそうですが、いまは心身ともに快癒され、少し痩せられましたがお元気で、安心しました。モーンスさんの奥様は日本人の芳江さん。栃木、長野、京都を経て東北方面へ旅をして、東京へ。約1か月の日本の旅を3人でされます。日本人のように1週間で2、3か国を回る海外旅行をするようなリズムではないですね。

自宅を出てから、近くの文屋の栗園へ。栗拾いを楽しんでいただきました。昼食は小布施堂本店にて。

終えてからあたくしは、玄照寺さんへ。来春の「境内アート」の打ち合わせを、ご住職とさせていただきました。

【きょうの写真】右から柳島さんご夫妻、メアリさん、小島さん、モーンスさんご夫妻。小布施堂さんにて。

2005年10月18日

久しぶりに長野市へ

朝9時に家を出て長野市へ。10時からFM善光寺のスタジオにて、ラジオ番組に出させていただくための収録です。放送は11月7日から11日までの朝8時52分から9時までの正味5分ほどだそうです。番組の名前は「朝の喫茶室」です。お相手してくださったのは、アナウンサーの田中美香さん。田中さんのやさしい運びに乗せていただき、おもに文屋の出版活動の内容と、文屋の理念である「美日常の、いいまちをつくりましょう。」について語らせていただきました。

終えてから、仕事場にて、ひきつづき行っている長野市の会社の資料読みと整理に取り組みました。

2005年10月19日

火を薪ストーブに入れました

kako/2005_10/10592122253.jpg
kako/2005_10/10592122253-2.jpg
17日月曜日は戌(いぬ)の日でした。なぜかは知りませんが、戌の日に冬始めの火を使い始めるのが、わが家の慣わしです。たぶん、火事などの災難にあわず、冬を温かく過ごせるようにという願いが、この風習には込められているのでしょう。ほかの家や土地でもそうなのでしょうか?

17日の夕方、母が薪ストーブの前にろうそくと線香を立てて、お経を読み、安全を祈願しました。終えてからあたくしが、ストーブの中にあらかじめ用意しておいた乾燥した松の葉にマッチで火をつけました。これは主(あるじ)の役目だそうです。その火は細い枝に燃え移り、さらに太い幹の薪へと火がついて、本格的な火になりました。

きょう19日は朝10時に六斎舎でお迎えした群馬県桐生市商工会議所の視察のお客さま20人様に1時間ほど、小布施のまちづくりについてお話をさせていただき、それからバスで拙宅へ。お庭を見ていただきながら、母の手作りの栗の渋皮煮やお漬物を召し上がっていただきました。気温は春のように上がっていましたが、ストーブに火を灯して、歓迎の気持ちを表わしました。みなさんに喜んでいただき、良かったです。桐生のみなさんには、文屋の本をそれぞれにお求めくださり、感謝いたします。みなさんのまちづくりのご成功を祈念いたします。

午後は仕事場にて資料読みと本の発送など。

夕食のあと、母と車で信濃町の総合会館へ。三遊亭京楽さんのこの町では15回目の高座が開かれました。演目は、兄弟子の良楽さんによる『禁酒番屋』、『大安売り』につづいて、京楽さんの人情噺『景清』。笑いと涙の大きな振幅を演じる手腕に、うならされました。腹の底から笑う。いいですね。お招きくださった桑原さんご夫妻(黒姫のペンション・ニョッキ)、ありがとうございました。

【きょうの写真】上)生の火がともった薪ストーブです。

下)京楽さん、良楽さんの演目。筆は京楽さんです。

2005年10月20日

樹響(ききょう)さんにて

kako/2005_10/105921221626.jpg
kako/2005_10/105921221626-2.jpg
朝から仕事場にて資料読みと編集に専念。11時過ぎに家を出て、車でレストラン樹響さんへ。『マードレの田園レシピ』が出版になってから2か月ほどになる節目に、著者・竹節志げ子さんに御礼とご慰労の気持ちをこめて、食事をともにさせていただきました。文章化に努力してくれた中島敏子さんも一緒です。

今春、ダイニングレストラン樹響をオープンさせた村松直幸さん(30)・砂織さんご夫妻の元気な笑顔に迎えられ、信州牛の和風ステーキのお昼のコースをご馳走になりました。ふだんは朝食のおかずを中心に野菜とリンゴを食べる程度のあたくしの胃袋は、高級かつボリュームいっぱいの献立に、かなりびっくりしていたようです。ま、たまにはいいですね。こんなすてきなお店での昼食も!

『マードレ』はおかげさまで、発売2か月で1,500冊ほどをお求めいただくことができました。「時間がたつほどに、お声をかけていただくことが多くなっているようです」と竹節さん。年内の初版完売を、あらためて目標として確認させていただきました。みなさん、ご支援をお願いいたします!

昼食後、中島さんとメイプルにて文屋文庫第5巻の編集の打ち合わせ。『うつくしむくらし』と題した、窪島誠一郎さん(無言館館主)のお話。原稿を読んでいるうちに何度も涙がこみ上げてくる原稿……こんな内容、文屋としては初めてです。12月の発刊を目指しております。

以降、仕事場にて編集と打ち合わせなど。

【きょうの写真】上)村松さんご夫妻と竹節さん。樹響にて。電話番号は026-247−6675。昼食と夕食を楽しめます。みなざんもどうぞ!

下)竹節さんとあたくしです。

2005年10月22日

下草刈り、そしてアート&クラフトフェアに

kako/2005_10/10592421213.jpg
kako/2005_10/10592421213-2.jpg
朝6時から玄照寺さんの「どんぐり千年の森」にて、雑木林の下草刈りの作業を、ご住職の葦澤義文さんと有志5人で行いました。春から毎月1回続けてきて、かなりきれいになってきました。5ヘクタールものまとまった平地の雑木林です。名前の通り、100年、1000年の長い目線をもって、育てていきたいと思います。

この作業のお楽しみは、1時間半ほどの仕事のあとにいただく、奥様の手料理の朝食です。あったくて具沢山のお味噌汁をはじめ、お心のこもった家庭料理を、仲間と一緒にいただきながら。近況を語りあい、次なる文化事業の予定を話し合います。こうした機会をいただけることに、みんなで感謝しております。

終えてから自宅でシャワー、緑茶、身支度を整えて、自転車で町の総合公園へ。きょうから明日まで2日間、アート&クラフトフェアが開かれます。実行委員の1人として、参加させていただきました。

町事務局の永井芳夫さんや実行委員が協力した成果で、短期間の準備でしたが20組の出展者をお迎えすることができました。そのうち4割ほどは、玄照寺境内アートの出展者。春と秋の連携をしながら、小布施町をアーティストが楽しみ、アートを楽しむまちにしていきたいと思っています。

【きょうの写真】上)物理学の工学博士で小布施在住の川上明さん(県工科短期大学教授)が、手作りのおもちゃを出展。子供たちの人気をひとり占めしていました。大人たちにも好評でした。

下)宇宙ゴマを内蔵した自律運転型自転車。倒れそうになるとみずからバランスをとって走ります。

2005年10月23日

若林文夫さん、アーグネシュ・フスさん展へ

kako/2005_10/10592420567.jpg
朝10時から、総合公園のアート&クラフトフェアの会場へ。昨日は参加していなかった自然酵母のパン屋さん「きなり」の瀬川賢一さん・優子さんご夫妻が3人の子どもさんを連れて出品していてくれました。ご夫妻は小布施の北西となりの飯綱町(三水村)在住。この村にある山の幼稚園「大地」を営む青山さんご夫妻の教育方針に共鳴して、埼玉県から家族で移住してパン屋さんを始めました。先月、3人目のお子さん「胡糸」(こいと)ちゃんが誕生。きっと胡糸ちゃんは大地に通うのでしょう。

自然酵母で牛乳も使わない瀬川さんのパンは、あごと歯をしっかりと、ゆっくりと使いながらかみしめていただくような、充実した食感。大地の恵みをそのまま凝縮したようなパンです。連絡先は、026-253-4310。みなさん、一度召し上がってみてください。

昼過ぎ、須坂市の版画美術館で25日まで開かれている、銅版画家・若林文夫さんと陶芸家・アーグネシュ・フスさんご夫妻の展示会場へ。お二人には、昨年春の第1回境内アートに出展していただいてからのおつきあいです。お二人にそれぞれ、近況や作品の解説をしていただき、お茶をともにしながら1時間あまり、お話させていただきました。

アーグネシュさんが「陶芸をやっていて、色からかたちを連想して作り始めることが多いんです」と言われたことが、記憶に残っています。かたちのあとに色が来る、と思っていたのですが、和の色などさまざまな色や配色、たぶん自然の色に接して、陶芸のかたちを想起する。そういう創作のパターンもあるのですね。文筆にも、それはあるのかな…と考えております。

アートという、あたくしとは別の世界に生きていらっしゃるお二人にお話を伺うことは、新しい視点やことばをいただくことができ、楽しくて刺激的な時間です。

お二人については、つぎのサイトなどをご覧ください。

http://members.at.infoseek.co.jp/mugenan/mg1/ao.htm 

3時から六斎舎にて、ミスかぼちゃコンテストの審査会と授賞式と懇親会に参加。二次会も楽しませていただきました。推進した小渕晃さん、土屋一男さんをはじめ運営のみなさま、お疲れ様でした。また一つ、小布施に独特のお楽しみ企画、それも農業に関係する試みが誕生しました。うれしいですね。

【きょうの写真】ミスかぼちゃの第1回グランプリを受賞された藤田さんと、作品のかぼちゃ「みよちゃん」です。このコンテストは、女性の風貌を競うものではなく、男女を問わず、国籍や居住地を問わず、育てたかぼちゃとそのネーミングの面白さ、可愛らしさなどを競って楽しむ企画です。念のため、誤解のなきように。後ろは、右から市村町長、金田議長、市川教育長さん。

2005年10月24日

資料読みと校正の一日でした。

朝から自宅にて資料読みや文章の校正をしてすごしました。本の発送は3件。きのうとは打って変わって、静かな一日なのでありました、まる。========

信州まちづくり研究会のMLから、つぎの手紙が配信されました。ご存知の方も居られるかと思いますが、すてきな和訳になっていますので、ご覧ください。

和訳は、カナダ在住の建築士・小林徹さんです。

この大地は貴重なものである

小林 徹 様(カナダで仕事している建築士)より 2001.0206

1854年にアメリカの大統領が、シアトルのインディアンの酋長に「土地を譲って欲しい、そのかわり、インディアン保留地を約束する」という申し出をしたのですが、そのときの、酋長の返事の手紙は今も残っております。その意味するところ、アメリカの自然環境を考える上での原点ともいえるほど、美しく、深遠な文章です。ご参考までに、コピー致しました。1854年の話ですが、温室効果、オゾン層の破壊など、地球規模での環境破壊は、結局、この酋長の予言どおりになってしまった感があります。最後の、The end of living and the beginning of survival.

すなわち、「生きることの終わりであり、生き残ることの始まりである」という文は、胸に迫ってきます。私は、これをもとに、いつか、「一人芝居」の脚本ができないものかと想を練っているところです。

                         徹。カナダにて,

以下、「THIS EARTH IS PRECIOUS」で知られる英文の和訳です。

========

大地はかけがえのないもの

     空を、大地の暖かさを、売り買いすることができるんじゃと?
不思議な考えじゃ。わしらにはとんと見当もつかん。

わしらが、空気の爽やかさや水のきらめきの所有者じゃあなかろうに、どうしてあんた方はそれを買うことができるんじゃろ?

この大地のものはみんな、わしらの種族にとって神聖なのじゃ。
輝く松葉の一つ一つ、海辺の砂の一粒一粒、暗い森の中に漂う霧、森の空き地、羽音をたてる虫の一匹一匹は、わしらの種族の、記憶と経験の中で神聖なのじゃ。

木の中を流れる樹液は、インディアンの記憶を運んでおる。

どうやら、白人の死者は、星々の間をさまよううちに、生まれた国を忘れてしまうようじゃな。
じゃが、わしらの死者は、この美しい大地を忘れることはない。
それはインディアンの母だからじゃ。

わしらは大地の一部じゃし、大地はわしらの一部なんじゃ。
香しい花は、わしらの姉妹。鹿や馬や大鷲は、わしらの兄弟じゃ。
岩の頂き、草地に宿る露、野の馬の体温、そして人。みーんな、同じ家族なんじゃ。

だから、ワシントンの白人大酋長が、わしらの土地を買いたいといってきたとき、彼は、わしらに、大それたことを望んできたものじゃ。

大酋長は、わしらが気持ちよく生きられるように、保留地を提供するという。
それは、つまり、彼は、わしらの父となり、わしらは、彼の子供となるということじゃろう。
だから、わしらは、わしらの土地を買いたいという彼の申し出を、よーく考えてみよう。
しかし、それは易しいことではないぞ。
この大地は、わしらにとって神聖じゃからな。

この、小川や河を流れ、輝いている水は、ただの水ではないぞ。
それは、わしらの先祖の血じゃ。
もし、わしらが、あんた方に、この土地を売るんなら、あんた方は、それが神聖であることを覚えておかねばならん。

また、あんた方は子供達に、それが神聖であることを、そして、湖の澄んだ水面のかすかなきらめきが、わしら種族の、生命のできごとや記憶を伝えていることを、教えねばならん。
水のせせらぎは、わしらの父の、そのまた父の、声なんじゃ。

河は、わしらの兄弟じゃ。河は、わしらの渇きを癒す。
河は、わしらのカヌーを運び、わしらの子供たちを養う。

もし、わしらが、わしらの土地をあんた方に売るんなら、あんた方は覚えておかねばならん。
あんた方は、あんた方の子供達に教えねばならん。
河はわしらの兄弟であることをな。あんた方の兄弟であることをな。そして、これからは、あんた方が兄弟に与えるのと同じ思いやりを、河に与えねばならんということをな。

わしらは、白人がわしらの生き方を理解しないのを知っている。
彼等にとって、一片の土地は、その隣の一片の土地と同じなんじゃ。

夜に訪れた見知らぬ人じゃから、必要なものはなんでも土地から奪っていくのじゃ。
大地は、彼の兄弟ではありゃせんのじゃ。敵なんじゃ。
征服したら、突き進むだけじゃて。

彼は、彼の父の墓をあとに去っていく。
かまいはせんのじゃ。
彼は、彼の子供達から土地を奪う。
かまいはせんのじゃよ。

彼の父の墓や、子供達の生得権は忘れられてしまっておる。
彼は、母なる大地、兄弟である空を、買ったり、盗んだり、羊や光った首飾りのように、売ることができるもののように扱っているんじゃ。

彼の食欲は、大地を貪り食い、荒れ地だけを残していくんじゃ。

どうもわからん。
わしらのやり方は、あんた方のやり方とは違う。

あんた方の町は、インディアンの目には痛いんじゃ。
じゃがそれは、恐らくインディアンが野蛮人で、理解しないからじゃろう。
白人の町には、静かな場所などない。
春に、木が葉っぱを広げる音を聞く場所がない。かさこそという虫の羽音を聞く場所がないんじゃ。
恐らく、わしが野蛮人で、理解しないからじゃろう。
騒がしい音は、耳を侮辱するようじゃ。
もし、人が夜、夜鷹の寂しげな鳴き声や、池のまわりの蛙の合唱を聞くことができんとは、いったいどんな生活なんじゃろう。
わしはインディアンじゃ。理解できん。
インディアンは、池の水面をかすめていく風の、やわらかい音を好む。
昼の雨に清められた風、ほのかに松の香をはこぶ風の薫りを、好むものじゃ。

インディアンにとって、空気はかけがえのないもの。
すべてのものは同じ息を共有しているからじゃ。
獣、木、人間、彼等はすべて同じ息を分け合っておる。
白人は、彼が呼吸している空気に気付いてはおらんようじゃ。
まるで何日も死にかけている人のように、臭気に麻痺している。

しかし、もし、わしらがあんた方に、わしらの土地を売るんなら、空気はわしらにとってかけがえのないものだということを覚えておかねばならん。
空気は、それが支えているすべての生命と、その精神を分け合っているのじゃ。

風は、わしらの祖父に最初の息を与え、彼の最後の吐息を受け取った。

もし、わしらがあんた方に、わしらの土地を売るんなら、あんた方は、それを隔離して、神聖に保っておかねばならん。
たとえ白人でも、草地の花の甘い香を含んだ風を、味わえる場所としてな。

そこで、わしらは、わしらの土地を買いたいというあんた方の申し出を考えてみよう。
もし、わしらが、その申し出を受け入れるんなら、わしは条件を一つ付けるつもりじゃ。
白人は、この土地の獣を、兄弟として扱わねばならないという条件をな。わしは野蛮人じゃから、ほかの扱い方を知らん。

わしは、無数のバッファローが、白人によって、通りがかりの汽車の窓から鉄砲で打たれ、腐った死骸となって大草原に打ち捨てられているのを見てきた。
わしは野蛮人じゃから、どうして煙をはく鉄の馬の方が、わしらが生きるためにだけ殺すバッファローより、もっと大事なのか、わからない。

獣がいなかったら、人はいったいなんなのか?
もし、すべての獣がいなくなったら、人は、大きな心の孤独に苛まれて死んでいくじゃろう。
獣たちに起こることはなんでも、やがては人の上にも起こる。
すべてのものは繋がっているのじゃ。

あんた方は、あんた方の子供達に教えねばならん。
足の下の土地は、あんた方の祖父たちの灰であることをな。
彼等が土地を敬うように、あんた方の子供達に告げるが良い。
大地は、わしらの親戚の命で満たされているんじゃと。
わしらが、わしらの子供達に教えてきたことを、あんた方の子供達に教えるが良い。
大地は、わしらの母なんじゃと。
大地にふりかかることは何でも、大地の息子たちの上にふりかかるのじゃ。

もし、人が地に唾を吐けば、彼等は、彼等自身に唾を吐きかけているんじゃ。
これが、わしらが知っていることじゃ。
大地は人に属さない。人が大地に属しているのじゃ。
これが、わしらが知っていることなんじゃ。

すべてのものは、家族を一つにする血のように、つながっておる。
大地にふりかかることは何でも、大地の息子たちの上にふりかかるのじゃ。

人が生命の織物を織っていたのではない。人は単なる織物の中の、一筋の糸にしか過ぎん。
人が織物にすることは何であれ、自分自身にすることなのじゃ。

その神が、まるで友人どうしのように、彼と共に歩き、彼と共に話しをする白人でさえ、共通の運命からは逃れられんのじゃ。結局、わしらは兄弟かも知れんがな。
いずれ、わかるじゃろう。

わしらが今、知っていることは一つ。
それは、白人は、いつかきっと、わしらの神は、同じ神であったことを発見するじゃろうということじゃ。

今、あんた方は、わしらの土地を所有したいと思っているように、神を所有していると考えているかも知れんが、それは、出来んことじゃ。
彼は人類の神なのじゃ。
じゃから、彼の慈悲は、インディアンにも、白人に対しても、おんなじなんじゃ。

大地は彼にとってかけがえのないものじゃ。
じゃから、大地を傷めるものは、その創造者の上に、侮りを積み上げておるんじゃ。

白人も、やがては死ぬ。おそらくは、他のすべての種族よりも早くな。
あんた方の寝床を汚しつづけ、ある夜、あんた方の汚物で息がつまるじゃろう。

だがな、滅び去る時、あんた方は、明るく輝くじゃろう。
あんた方を、この世にもたらし、何か特殊な目的のために、あんた方に、この地の支配権を与え、インディアンを支配する権利を与えた、その神の力に焼かれてな。

その運命は、わしらには神秘じゃ。
バッファローが殺されたとき、野生の馬が飼いならされたとき、森の秘密の場所が、たくさんの人のにおいで満たされた時、豊かな丘の眺めが電話線で損なわれた時、わしらは、分からなくなってしまうのじゃ。

あの木の茂みはどこへ行った。消えてしまった。
イーグルはどこへ行った。消えてしまった。
生きることが終わり、生き残ることの始まりじゃ。

小林 徹 訳

2005年10月25日

小布施におりました

朝5時前から、おんだ整骨院さんにて和みの時間。6時過ぎに帰宅して、ふだんどおりの日課。仕事場にてすごしました。

午後4時、冨岡一郎さんのしめじ栽培のお仕事場へ。しばしの歓談。帰宅、夕食後、歩きとジョギング、汗。

2005年10月26日

新潟へ

朝、高速道にて新潟県内の企業にて取材、夕方まですごしました。「一流」、「世界一」という高い志向を抱く人間集団とすぐれた指導者とともにすごす時間。文屋にとってもすばらしい刺激です。いい本になりそうです。いやきっと、いい本にしてみせますとも!

夕方帰宅して、山ノ内町のカメラマン関眞澄さん・千尋さんご夫妻宅へ。しばしの歓談。

夜7時、小布施町の福利センターにて、まちづくりについて、とくに産業活性化についての懇談会。けっこう主張させていただきました。

あす、あさって、出張ですので、めずらしく深夜2時までお仕事。おやすみなさい。

2005年10月27日

鎌倉、東京

朝一番の新幹線にて東京経由で鎌倉へ。

午後、東京に戻って、美術館とギャラリーを見学。夕方、新宿にて新年の海外視察の初顔合わせの懇談会。東京泊。

2005年10月28日

鎌倉、東京、長野?

朝から鎌倉へ。

午後、東京に戻り、方々を見学ののち、夕方、政策学校一新塾にて編集会議。その展開によっては帰宅、場合によってはもう一泊。29日帰宅か?……わからん。明日は明日の風が吹く。
«  2005年10月  »
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

アーカイブ

image