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2003年1月18日

ずっと気になっていること

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「国生み伝説」のことが、ずっと気になっています。
男神イザナキと女神イザナミが塩の柱を回ってたがいに声を掛け合ったときに、生まれたヒルコのこと、です。手元の絵本にはこうあります。「ぶきみな音が響いた。あやしげなかたちが生まれてきた。ヒルのようにぶよぶよで、かたまることのないものだった。『これはどうしたことか』ふたりは、できそこないのこどもを葦船に入れて、遠くへ流してしまった。」
それから二人の神は、ヤマトをはじめたくさんの島々や、火や鉄などをつかさどる神々を生みます。でもこのヒルコのことは、まったく触れられないで、物語は終わっています。あんまりじゃないですか?ひどすぎる。
いじめとか、差別が問題になっています。わたくしもいじめたことがあるし、差別の気持ちは今もあります。その自分の暗い部分を考えるとき、いつもヒルコを思います。奇形な存在への目線、弱くて欠点だらけの者への視線。この国の誕生物語の最初にまで、この問題はさかのぼるし、まったく解決されないで、今に至っているのです。
昨日17日の朝、布団の中で寝ぼけながら、このことを考えていました。
そして松岡正剛さんの「千夜千冊」を見てびっくり!この課題に触れられているのです。
大江時雄著『ゑびすの旅』(1985、海鳴社)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html
松岡さんは「(ヒルコが)そのため、流れ流れて、どこかで祀られたとか、何かになったという多くの民間伝承を生んだ。ヒルコがまわりまわってエビスになったというのは、そういう”空白”を埋める化生譚でもあった。」と書きます。
また「『負』を背負っているからこそ、かぎりなく賑やかに、かぎりなく陽気に、かぎりなくキンキラキンになったのである。エベッさんは、いってみるなら、きっとそういう派手を極めた“負の花魁(おいらん)”なのだ。」
「ゑびす——。われわれはいつだって「化外」(けがい)との出会いを覚悟しておくべきである。」
ニッポンがますますおもしろくなってきました。

午前は編集学校と執筆。午後は飯田分館の会計監査で公会堂へ。その後、おんだ整骨院にて、なりとマッサージ。
荒野と星河がインフルエンザに。荒野は40度の高熱です。みなさん、お気をつけて。

【今日の写真】点火を待つどんど焼きのだるまと上空の月。だるまさんも、手も足もないですね。ヒルコに通じる存在なのでしょうか?

【透玄 今日の一句】「満月に 照らされており 達磨焼く」 

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